MY MEMORANDUM

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輝蹟の剣〈剣道部編〉 ❾

   第八章 県大会──それから

 

        1

 

 翌日の放課後、各々不安そうな表情をした剣道部員たちが武道館へと集まった。昨夜の出来事は既に、全員に知れ渡っている。

 牙門は学校へ来ていない。それどころか、事態を知った沢渡が連絡を取ろうとした牙門の保護者である叔父夫婦も、店を畳んで行方不明になっていたのである。彼らの行き先は見当もつかなかった。

「……ともかく牙門のことは僕に任せて、みんなは県大会に向けて練習に励んでくれ。彼もきっと大会に出たかったはずだと、僕は思う」

 沢渡の言葉に皆、神妙な顔でうなずいた。誰もが牙門の身を案じ、戻ってくるのを願っていた。

 運動部としては競い合うことも必要だ。だが、同じ部の仲間同士、励まし合い、あるいは力を合わせ、友情を育む。これが部活動の本来あるべき姿なのだ。

「それじゃあ、いつものように打ち込み稽古から順に進めて……ああ、冬元、ちょっと来てくれるかな」

 ふいに呼ばれたロッキーは急いで沢渡のところに駆け寄った。

 練習を始めた部員たちから少し離れると、沢渡は思いもよらない発言をした。

「冬元、もっと強くなりたいと思うかい?」

「えっ……」

 とたんに、昨日の場面がロッキーの脳裏に甦った。

 泰喬に竹刀を突きつけたものの、実際に闘っていたら為す術はなく、勝てる可能性はゼロに等しい、無謀な挑戦だった。

「もし、県大会までに牙門が戻ってこなかったら、その穴を埋められるのはキミだけだ。キミには剣の才能があると僕は確信している。あと一週間、特訓を受ける覚悟があればAチームの一員として充分通用するようになるだろう。どうする、やってみるかい?」

「イエス!」

 ロッキーは即座に答えた。

「ボクは今まで甘えていたのかもしれない。みんなと一緒に戦いたい、力になりたいと思いながらも、初心者だからとあきらめていた。一週間で何とかなるなら、こんなにベリー・グッドなことはないね。コーチ、よろしくお願いします!」

 頼もしいその言葉に、沢渡はロッキーの両肩を励ますように叩いた。

 練習終了後にロッキーの特別メニューが組まれると聞いた龍は協力を申し出た。稽古の相手を買って出たのである。

 通常よりもさらに厳しい練習をこなし、ようやく部室に戻って帰り支度をしていると、

「リュウ、今日はサンキューね」

 ロッキーは感謝を口にした。

「何改まってんだよ。友達だもん、当然のことじゃねえか」

「トモダチ……そうだよね」

 微笑むロッキーはふと、呟いた。

「ミスター牙門、どうしてるのかな」

「ああ……」

 龍の返事も沈みがちになる。

 久しぶりに影刃族の仲間と婚約者に会い、剣探しも進んだ。喜ぶべき状況なのに暗い顔をしていた牙門、きっと彼はここにいて剣道を続けたいと思っているはずだ。

「ま、今はとにかく県大会だ。牙門のためにも優勝を手に入れようぜ。優勝すれば全国に行ける。ずっと大会が続くから、また牙門も出られるってわけだ」

「オッケー。あ、そうそう、アメリカにいるグランパが剣道を始めた記念にいいモノを送ってくれるって」

「へえ、気前がいいじいちゃんで羨ましいなあ。ウチなんかもう、マジでドケチ。いいモノって、もしも美味いものだったらオレにも分けてくれよ」

「モチロン。期待しててね」

 

        2

 

 蒸し暑い夜が続いていた。都内某所にひっそりと隠れ住む、高原育ちの彼らにとって、東京の熱帯夜はかなりのダメージだった。

 ここは牙門よりも前から日本に潜伏していた影刃族の一人の住処で、建築関係の会社の寮だったのが、あまりにも古い建物のため彼の他に住人がおらず、無関係な者が入り込んでもバレない環境だった。

 とはいえ、謎の中国人の集団が移り住むにはそれなりの手間がかかり、ようやく落ち着くのに一週間近くも経った。

 見捨てられた建造物には当然ながらエアコンなどの設備もない。団扇でパタパタ扇ぎながら、泰喬は忌々しげに吐き捨てた。

「なんなのだ、この蒸し暑さは! これでは剣を集め終える前に暑さでやられてしまうぞ。どうにかならないのか?」

「それはこっちが訊きたいぐらいだ。だいたい、どうして私たちまでここに隠れ住まなくてはならないのか。傭兆、本当に理由を知らんのか?」

 傭兆に詰め寄ったのは牙門の叔父、利悌だった。ここには日本に住む影刃族全員が集まっている。あとから来た傭兆たちを含めて十名。今、彼らは寮の食堂として使われていた薄暗い部屋に集合し、話し合いをしていた。

 何の前触れもなく突然、故郷から日本へ来た傭兆に言われるがままに、皆、自分の住まいを引き払ってきたのだ。そんなことをしなければならなかった真の理由を傭兆はまだ説明していないのである。

「そうだな、もう話してもいいだろう。これは天盟様直々に私に伝えられたことで……」

 天盟様とは影刃族を治める長、長老様とも呼ばれ、村のみんなから敬い、慕われる人物である。齢九十を超えているが元気でかくしゃくとしていた。

 その天盟翁は独自の占いによって一族に起こる出来事を予知し、解決方法を指示していたのだが、ある日の占いの結果が彼を震撼とさせた。

『北方より敵きたる』

 まさか影刃族の村を襲撃しようとする者がいるのか……だが、敵の狙いは村ではなく、輝蹟の剣にあると判ったのである。

 元の時代にフビライのもとで共に戦った民族、武夷山脈の麓に住んでいたが、やはり流れ流れて今はチベット高原の辺りに居住する、その名も武夷族は影刃族と同じような運命をたどっていた。

 いずれの民族も思惑は同じとみえ、一族の復興を夢見る彼らは影刃族の持つ輝蹟の剣を──かつて武夷族の祖先が剣の力を使う場面を目撃したらしい──奪い取ろうと考えた。四本のうち三本が行方不明で、それを探すために牙門たち影刃族の者が日本に渡ったと知った武夷族は剣を横取りしようと、追っ手を差し向けたのだ。

 この情報を得た天盟は仲間の保護と、一刻も早い剣の捜索のため、傭兆たちを派遣したのである。バラバラに住むよりまとまっていた方が身の安全を確保するのに都合はいいし、剣の腕が立つ傭兆と泰喬を選んだのも、用心棒的な意味合いがあったわけだ。

 以上の話を聞かされて、他の者たちは黙りこくってしまった。こちらの手元には二本の剣があるが、残りは既に敵の手に渡っているかもしれないし、四本全てを揃えるため、ここを狙ってくるかもしれない……

 切れかかった蛍光灯の唸る音が不気味に響いて、さっきまでの暑さが嘘のように薄ら寒くなってきた。

「……いや、ネットの情報によれば」

 時代遅れの民族といえども、日本で暮らしていればインターネットを駆使することもある。ネットに流れていたアメリカのニュースで、現地の骨董市に於いて輝蹟の剣によく似た骨董品が取引されているのを見た一人がその話をすると、皆がざわついた。

「アメリカだと? それは本当か?」

「ちらっと映っただけなんだ。だから本物だと断言はできないけど、紫の鞘の剣というのは珍しいし……」

「可能性は充分あるでしょう。日本に渡ったとされてから、八百年近くも経っているんですもの。ずっとこの国にあると考える方が無理だわ」

「ならば、アメリカだけじゃなく世界に散らばっていてもおかしくない。これ以上探しようがないぞ」

「たしかに、それが本物だとすれば、我々にはもう、どうすることもできないな。近い場所で朱雀が見つかったのは運が良かったとしか言いようがない」

 そうこぼして、利悌が溜め息をついた。

「我々だけでなく、武夷族もまさかアメリカまでは行けるまい。ものは考えようだ」

「それにしても、剣はお互いに呼び合うんじゃなかったのか。世界中に散り散りになったとは、言い伝えもどこまでが本当なのかわからないな」

 故郷とは比べものにならないほど、文明・文化の進んだ日本に住み続けているうちに、一族の復興だの繁栄だのを伝説の剣に頼るという考え自体がバカバカしくなってきた。

 そんな彼らの気持ちの変化を咎めるわけにはいかず、傭兆は沈黙を守っている。

「我らの考えはどうであれ、また、残りの剣が他国に渡っていたとしても、武夷族の連中が追ってきているのがたしかならば、何か対策を練らなくては」

 すると泰喬が「フン」と鼻で笑った。

「武夷族だろうが何だろうが、我がこの手で切り捨ててやる。我こそが影刃族一の使い手、それゆえに天盟様は日本へと使わせたのだからな」

 それから泰喬は牙門をチラリと見た。ポツンと離れた場所で座る牙門はさっきから一言も言葉を発していなかった。

 彼は虚しさに囚われていた。自分の運命は動き始めたのだ、もう戻れはしない。常聖学園で学ぶことも、剣道を続けることもできない。全部諦めるしかない……

 牙門を案じる華鈴が心配そうに見つめているが、そんな二人の様子は泰喬の嫉妬を激しく煽った。

 華鈴に想いを寄せる泰喬は彼女が牙門を好きなのを承知の上で、それでも牙門より剣術の腕前が上ならば、すなわち牙門に勝つことができれば二人の婚約は解消され、自分にチャンスがまわってくるのではと期待しているのである。

 より強い男に嫁ぐのが影刃族の女として最高の幸せなのだ。牙門より格上となるには輝蹟の剣士に選ばれるしかない。

「我が輝蹟の剣士として武夷族を葬れば何の問題もない」

 そう言い放つと、泰喬は傭兆の手からひったくるようにして白虎の剣を奪い、抜いてみせた。が……

「……なっ、なに、こ、これは木刀ではないかっ!」

 怒り狂う泰喬、

「こんなものがいったい何の役に立つというのか、バカにするのもほどがある!」

 剣の正体を知らなかった人々も呆気に取られている。中身が木刀だと知っていたのは一族の中でもごく一部で、それを明らかにすると、剣探しに支障がでるからというのが、事実が伏せられていた理由だった。

 探し方がネットなどではなく口コミ頼みだったのも『鞘が何色で、これこれの動物の彫刻があって中身は木刀』などと明記するわけにはいかなかったからである。

 それにしても、ただの木刀を宝と仰いでいたとは、今までの苦労は何だったのか、落胆と将来への不安が彼らを支配し、不満が噴出した。

 すると、荒れる泰喬の手から剣を取り戻した傭兆は「木刀の件は黙っていて申し訳なかったが」と言いつつ落ち着いた足取りで、牙門の前まで進んだ。

「おまえが持ってみろ」

「えっ、私が……ですか?」

 牙門が受け取ったその瞬間──

「おおっ、剣が白銀に光ったぞ!」

「木刀が、木の刃が真剣に変わった!」

「これが……輝蹟の剣の力なのか?」

 眩いばかりに燦然と輝く剣、見守っていた人々から感嘆の言葉が溢れ、手にした牙門自身も茫然としてしまった。

「剣はそれ自身の意思で自分の持ち手を選ぶという。選ばれた者だけが剣を使いこなせるのだ。牙門よ、白虎の剣はおまえを輝蹟の剣士の一人、白虎の剣士として選んだ。今からこれはおまえに預けることにする」

「白虎の……剣士」

 両手にズシリとした重みが伝わる。伝説は本物だった。

 牙門が白虎に選ばれたと判ると、泰喬は朱雀の剣を抜いたが、こちらも木刀のまま、真の刃となって輝く気配はなかった。

「クソッ!」

 激しくテーブルを叩くと、泰喬は部屋から出て行ってしまった。ライバルの牙門だけが選ばれたショックに耐え切れなかったのだが、一連の出来事を見ていた牙門にはある考えが浮かんだ。

「もしや、朱雀の剣士は?」

 その問いかけに、傭兆は深く頷いた。

「そうだ。剣が日本に渡ってから長い時間が過ぎた。輝蹟の剣士は今や影刃族の者の中から選ばれるとは限らない。朱雀は推察するに、あの男だろう」

 常聖の赤い鷹──いや、鷹を超越した、鳥の王・鳳凰に相応しい男──

「それでは、私たちがここに持ってきてよかったのでしょうか? 剣士の手元に置いておく方が……」

「いや、それは」と傭兆は首を横に振った。

「このような話をしたところで信じてはもらえないだろう。それに、剣のあるところに武夷族が現れるとなれば、本人だけでなく家族も巻き込むことになる。我々が所持している方がマシだ」

「たしかに……」

 そこで牙門はハッとした。

 春日道場に輝蹟の剣があるならば──だが、彼らにそれが何かなど判るはずはない。それどころか、何も知らないまま武夷族に襲われる可能性がある。

 龍と祖父母が危険に晒される……不安を抱えながらも、今宵はどうすることもできない。牙門は唇をかみしめた。

 とりあえず明日、何らかの手を打とう。明日は県大会当日だった。

 

        3

 

 太陽が照りつけ、空には入道雲。季節は夏本番だ。大会が終わるとすぐに夏休み、全国大会は八月の下旬に予定されているから、もしも優勝したならば、休み中は地獄の特訓となるはずである。

 そんな地獄に優るとも劣らない特訓を終えたロッキーは意気揚々として会場に乗り込んだ。場所は地区予選と同じ県総合運動場の武道館で、控室に集合した常聖学園チームのメンバーはトニーに来明、龍、翔、そしてロッキー。あれから牙門は一度も姿を現さなかった。

「学校でも手を尽くしているんだけど……保護者の叔父さんたちも一緒にいなくなっているから行方不明扱いも難しいし、とりあえずは中国にいる御両親に連絡を取っている最中なんだ」

 沢渡の説明によると、牙門の故郷はかなり辺鄙な村で、ネット回線どころか、まともな交通機関もない地域らしく、簡単に連絡が取れるはずもなかった。

(影刃族って、やっぱ僻地に住んでたんだ。変なマントとか着て、映画のキャラみたいだったし)

 一族の復興で、文明開化も成し遂げたいのだろう。それにしても泰喬の技は不思議だった。あんなことができるなんて、謎の多い民族だ。

「心配は心配だけど、今は全力で頑張るしかないから。今日の中堅は冬元でいくよ」

 試合場に並んで支度をしている時、ロッキーは左隣の龍に「昨日、グランパのプレゼントが届いたよ、終わったら見せるから」と話しかけた。

「そっかー。で、美味そうなもの?」

「イェース、めっちゃワンダフルね」

「試合のあとのお楽しみだな。あ~、ハラが減る」

 県大会は三つの地区でそれぞれ優勝・準優勝した合計六チームのリーグ戦で行われ、その中の優勝校のみが全国へ行ける。

 下馬評では昨年の優勝校である浜島中が今年も最有力だが、準優勝だった元城中を破って進出してきた常聖学園は侮れないと噂の的だった。

 ところが、勢揃いした常聖チームの顔触れを見て、他校の選手たちは目を剥いた。

「ガイジンが二人もいるなんて、いったいどういうチームだ」

「あの金髪は一年だってよ」

 昨年、団体戦では出場できなかったが、個人戦で実績を残した夏樹翔は健在。しかし、華麗な技とその美男子ぶりで話題をさらった、白い袴に長い髪の秋牙門がいない。

 メンバーの人選に用心する者もいれば、一年と外人ばかりのチームなんてと見くびる者もいる。初戦ではトニー、来明と順調に勝ち続けて中堅戦。立ち上がるロッキーに龍がエールを送った。

「おまえの実力、見せつけてやれよ。みんなで全国に行こうぜ!」

「オーライ、任せといて」

 開始線の前に立ったロッキーは竹刀を下段に構えた。

「下段の構えは守りの構えだ。己を守り抜き、そこから技を繰り出す。それが冬元の剣の形なんだ」

「守りの構えか……」

 沢渡の言葉に、龍はロッキーが以前、言ったことを思い出した。自分も闘いたい、仲間を守るために──

「赤、一本! 勝者、冬元!」

──紫紺の優勝旗を高々と掲げる来明主将の姿を見つめながら、ロッキーはしみじみと呟いた。

「ミスター牙門に見せてあげたかったね」

                                 ……❿に続く