第六章 波乱の予感
1
「それでは、只今より準決勝第一試合、元城中学Aチーム対、常聖学園Aチームとの試合を始めます。一同礼!」
「お願いします!」
「よっしゃー。一発ブチかましたるでー」
おまえはどこの出身だと言いたくなるセリフを吐いて、トニーが開始線の前に立った。去年の先鋒も同じ相手で圧勝だったため、誰もが彼の勝利を信じて疑わなかった。
ところが、攻撃を避けようとして足を挫き、それが元で調子を崩して立て続けに二本取られて惨敗。
「オー、マイ、ガーッ!」
またしても頭を抱える羽目になったトニーは大袈裟に嘆き、金髪美人たちも抱き合って悲痛な声を上げていた。
「そう落胆するな。あとの四人が勝てばいいんだ」
来明がトニーの肩を叩いて立ち上がる。彼はその言葉どおり、一勝を上げてみせた。
「よっしゃー、ライちゃん!」
「さっすが、キャプテン。頼りになるぅ」
応援団は狂喜乱舞の盛り上がりだ。
「次は牙門か。よっ、色男! 常聖の白い貴公子!」
「キャー、牙門さぁーん」
ファンクラブの、悲鳴ともつかぬ声援に刺激を受けたのか、元城中の応援席もざわつき、応援合戦は白熱してきた。
その最中でも静かに佇む白い姿、牙門なら楽に勝てるだろうと、誰もが思っていたのだが──
『……そう言えば、オレの友達で横浜の何とか道場に通ってたヤツが、先祖代々から伝わる伝説だか伝統だかの刀がそこにある、ってな話をしていたことがあったよ』
『それは本当ですか? どんな刀か判りませんか?』
『さあ、そこまでは……そいつも興味持って聞いてたわけじゃないし』
『では、その道場の名前は?』
『それもなぁ。小学校の頃だしさ』
『今度そのお友達に会ったら、詳しい内容を連絡してもらえませんか? お願いします、御礼は必ずしますから』
『うーん、それはいいけど』
──翔が立ち去ったあとに、捕まえた別の人物から牙門はこんな話を聞き出したのだ。
その刀と決まったわけではないが、輝蹟の剣にたどり着くかもしれない、初めてそれらしい情報を得たことが牙門の精神を乱していた。
頭の中で三本の剣がぐるぐると回る。今は試合に集中しなくてはならないのに、いったいこれは何たるザマだ。
精神の乱れは剣の乱れとなって現れ、強豪元城中の中堅がそれを見逃すはずもなく、牙門はまさかの一本を取られてしまった。
「いゃーん、牙門サマが負けちゃうー」
「コラー、何やってんだ、牙門!」
応援席から檄が飛ぶものの、溜め息をつくばかりで、自分を取り戻せずにいる。
(なんて無様なんだ)
牙門は唇をかみしめた。
(長老様によく言われた、己の精神の未熟さが技の未熟さに通じると。脆く、未熟な精神を克服せねば、選ばれし剣士の資格はない。私の前には主将たちが戦い、私の後には龍たちがいる。私は彼らの間を繋げなければならないのだ)
吹っ切れたように、牙門は身体を右斜めに開くと右の拳を右肩に引きつけ、竹刀を後ろに倒して構えた。
「あれは八相の構え?」
滅多にやる者のないこの構えから、どんな技を繰り出すというのか。たじろぐ元城の選手、わずかな隙を突いて小手から面への、わたり技が飛び出した。
「白、一本!」
見事に面を決めた牙門、だが、その後、勝負はつかず、制限時間ギリギリのところで胴を打たれてまさかの敗退となってしまった。
二対一、常聖危うし。
2
「龍……すまない」
うなだれ、目にうっすらと涙を浮かべる牙門を龍は返す言葉もなく見つめたが、しかし、翔は冷たく言い放った。
「余計なことを考えるのは試合が終わってからにしろ」
「夏樹、気づいて……」
「まともに戦えないヤツはいらん」
「ちょ、ちょっと、そんな言い方はないだろっ!」
思わず翔に食ってかかる龍を押し止めて、牙門は「そのとおりだ」と言った。
「すべては私の未熟さゆえ……君たちには申し訳ない結果になってしまった」
「大丈夫、気にするなって」
龍は明るい声で言い、さらにサムズアップをしてみせた。
「オレたち二人が勝てばいいことだろ。任せてくれよ」
負け越している常聖にとって、勝負は次の副将戦で決まる。龍が勝てば同点、大将戦で翔が勝って決勝進出だが、龍が負ければ常聖の敗北は決定してしまうのだ。
「任せろだと? 大口叩いている間にさっさと行け」
「はいはい、わかってますよ~」
苛立つ翔を茶化しながら、龍は開始線へと向かった。
「両者、礼」
顔を上げた龍の視線の先にいた岩本は「なんだ、えらくチビだな」と挑発した。線が細く華奢な、狐を思わせる風貌で、いかにも何かを企みそうな雰囲気の男である。
「チビでも勝てるのが剣道のいいところなんだぜ、知ってたかい?」
龍の反撃に「ふふん」と岩本は薄ら笑いを浮かべた。
「両者共、無駄口はきかないように」
注意を受けてからの試合開始、相手の竹刀を打ち払って面を打ち込もうとした龍だが、そう簡単にはいかない。いくら卑怯な手を使うとはいえ、元城のレギュラーを獲得した者らしく、岩本は手強い相手だった。
「なかなかやるな、チビ」
「うるせー。てめーが卑怯者だってのは、よーくわかってんだよ。そんなヤツに負けてたまるかって」
「そうか、あのスカしたヤツに聞いたんだな。なら、手っ取り早くやせてもらうぜ」
すかさず小手を狙う岩本、しかし、それを撃ち落とした龍の渾身のひと振りが相手の頭上に炸裂した。
「白、一本!」
信じられないといった顔で、岩本が審判を見る。まさか今の面が決まるとは思っていなかったのだろう。
負け越したとたん、岩本の薄ら笑いは消えて怒りと憎しみの形相に変わった。ヘラヘラしているわりにはキレやすいタイプらしい。
「クソッ、よくも!」
龍を睨みつけた岩本は二本目の号令がかかったとたん、狂ったように打ちつけてきた。激しい攻撃をかわし続ける龍はジリジリと境界線に追い詰められてゆく。このままでは場外か、だが、得意の身のこなしで岩本の胴へと、一撃を放った。
(ちくしょう、有効じゃねえのか)
戦いはまだ続く、またもや打ち続ける岩本の目が怪しく光った。
「……痛っ!」
カランッ、と音をたてて転がったのは龍の竹刀で、次の瞬間、
「赤、一本!」
三人の審判の赤い旗が真上に上がる。小手を狙うと見せかけて腕を叩いた、それが有効打突と認められたのだ。左上腕部を押さえ、龍はうずくまってしまった。
「キミ、大丈夫か?」
試合を中断した審判長は龍に腕の手当をするよう命じた。救急箱を抱えた至が転がるように駆け寄ってくる。
「ちぇっ、気をつけろって言われてたのに、油断したかな」
エヘヘと笑う龍のあっけらかんとした態度に、至はホッとした様子で彼の袖をまくり上げた。左腕は竹刀の形に沿って真っ赤に腫れ上がっている。
「随分酷くなってるけど、本当に大丈夫なの? これじゃあ竹刀が持てないかも」
「平気、平気。左がダメなら右があるさ。心配するなって」
彼らを取り囲んで、沢渡と来明が選手交代の相談をしている。牙門も不安そうに龍の顔を覗き込んだ。
「これでは続けられないでしょう。やはり交代した方が……」
「待ってくれよ、こんなに面白い試合、途中で投げ出すなんてゴメンだぜ」
包帯を巻き終えた至に礼を言うと、立ち上がった龍は再び竹刀を握った。
「しかし、春日……」
「やらせてください、コーチ。オレ、絶対勝ちますから」
闘志と自信に満ちた態度に、沢渡は「わかった」と答えた。
試合再開、岩本は勝ち誇ったように、
「おとなしく棄権すればいいものを。懲りずに出てくるとは相当のバカだな」
「オレは負けはしねえさ。卑怯者なんかに負けてたまるかってんだ」
「口の減らないヤツだ。右腕もいらないらしいな」
竹刀の重みを支えるのは左腕の力だが、今の龍の左腕は痺れて、ほとんど役に立たない。彼は右腕だけで竹刀を扱っていた。その構えは『脇構え』。牙門が使った『八相の構え』と同じく、現代の剣道ではほとんど使用されることのない構えである。
「しゃらくさい構えをするな、ガキめ。それで勝てると思ってるのか」
またもや小手を打ちながら腕を狙う戦法でくる岩本だが、そうやすやすとやられるわけにはいかない。龍は相手の打撃をすべて打ち返し、互角に渡り合っていた。
「すげえ、春日のヤツ、右手だけで戦ってるぞ」
「いったいどうなるんだ?」
味方も、敵の応援団も、みんな静まり返って試合の行方を見守っている。
長い攻防の末、岩本が面を打ち込んできたその時、姿勢を低くした龍は竹刀を流すようにして相手の胴を切り裂いた。
「……白、一本! 勝者、春日!」
「やったーっ!」
一礼を終えた龍に、応援席から走り寄ったロッキーが飛びついた。
「ワンダフル! スーパーミラクルボーイだよ、リュウ! ボク、大カンゲキねー」
「わ、わかったから、ロッキー、腕つかむのやめてくれよ、めっちゃ痛てえよ」
「オー、ソーリー。でも嬉しいね、ね? ドクター」
大喜びの一年生に、上級生たちも安堵の表情を浮かべた。
喜びに沸く常聖側とは対照的に、元城中の応援席は茫然としていた。すごすごと戻る岩本の背中が小さく見える。
「……はしゃぐな。まだ試合は残っているんだ」
黒い袴が立ち上がり、冷静な声で諭すと、
「わかってるよ。勝つってわかっているから喜んでるんだ。そうだろう?」
信頼を込めた目で見上げると、翔は少しだけ優しい微笑みを返した。
……❽に続く