MY MEMORANDUM

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輝蹟の剣〈剣道部編〉 ❺

   第四章 もうひとつのキセキ

 

        1

 

 龍たちが入部して三ヶ月近くが経った。厳しい練習のせいか、沢渡コーチの予言通り、一年生部員の数は半分近くも減って現在十三名(マネージャーを含む)。

 さて、いよいよ始まる県中学生剣道大会地区予選だが、これには団体戦と個人戦があり、団体戦は五人一組で戦い、勝者の多い方が勝ちで、どちらもトーナメント形式となっている。

 団体戦に出られるのは各学校二チーム、個人戦は三名まで。個人戦の出場者は団体戦の選手も兼ねるため、補欠も含めて十五名が選手登録される。

 このチーム編成のための、部内での選抜試合が例年通り行われるのだが、今からその説明をするからと、沢渡は部員たちをホワイトボードの前に集合させた。

「さっそくだけど、地区予選の選抜メンバーはいつものようにブロック別リーグ戦で決めるから、みんな承知しておいてくれ」

 実力第一主義が教育方針なだけあって、この学校では誰もが挑戦する権利を得る代わりに、より強い者が前に出る。

 学年や剣道歴は関係なく、三年だから、最後の年だから試合に出してやろうなどという考えは一切ない。

 ブロック別リーグ戦とは、部員を幾つかのブロックに分け、ブロック内のメンバーで試合を行い、勝ち星の多い者から順に大会出場権を手にする仕組みである。

 今年は一年から三年まで合わせて三十四名で、マネージャー以外全員、初心者も含まれる。この三十四名をAブロックに十二名、B・Cは十一名ずつに、それぞれコーチが分け、ブロック内で優勝した者が自動的に個人戦出場者となる。

 それからブロックの準優勝者同士で戦い、勝った二名とブロック優勝の三名が団体戦Aチームに、あとはまたそれぞれに試合をしてBチームと補欠を決めるという流れになっていた。

 問題は自分がどこのブロックに入るのか、誰がいるのかということだが、そこは普段から部員たちの腕前を見ている沢渡の采配でうまい具合に決まる。

 ホワイトボードにメンバー表が掲示されると、みんな固唾を呑んでそれを見つめた。

「オー・マイ・ガッ! ミスター・トニーと同じBブロックね」

 興奮するロッキーだが、楽しげな様子だ。オレは誰と当たるのだろう、わくわくしながら表を見やる。Aブロックに牙門が、龍と同じCブロックには夏樹翔の名前があった。

「やった!」

 いよいよ本番、ガチンコ勝負だ。皆から少し離れたところにいる翔の方を向くと、向こうもこちらを見たが、すぐに視線を逸らした。腕組みをした無表情な顔からは何を考えているのかさっぱりわからない。

「ったく、シカトすんなよ」

「リュウ、誰にケンカ売ってるの? もしかしてレッド・ホーク?」

「トーゼン。絶対勝ってやるから!」

──以降、放課後の剣道部の練習時間は連日、リーグ戦の試合消化に費やされていた。二つある試合場をフルに使い、沢渡と他ブロックの三年が審判員になって試合を進行する。結果を記録するのは至の役目だ。

 Bブロックではトニーが順調に勝ち星を挙げていたが、驚いたことにロッキーも勝ち進んでいたのである。その上達ぶりに、沢渡も他の部員たちも驚嘆するばかりだった。

 翔や牙門のような技や、龍の素早さがあるわけではない。来明のように力で圧倒するのでもない、相手に打ち込む隙を与えない鉄壁の守り、それこそがロッキーの持ち味。彼には剣の才能があると、誰もが認めざるを得なかった。

 こうして試合消化は順調に進み、残すところあとわずかとなった。

 Aブロックでは来明と牙門が激突、ここは予想通り牙門が勝って、最初の個人戦出場者に決まった。ロッキーの連勝は三回でストップし、Bブロックはトニーの圧勝でほぼ決まりだった。

 残すはCブロックのみ──

 

        2

 

 練習はもっぱら学校で行うせいか、祖父の手ほどきを受ける機会はめっきり少なくなっていた。

 久しぶりに道場へ顔を出してみようと、龍は帰宅後、そのままそちらに向かった。

 春日家の自宅に並んで、古臭く重々しい感じの建物が建っているが、これが団兵の父の代から続く春日道場だ。横浜市内にこんな古めかしい建築物があるとは、由緒ある場所なのではと、たまに見学者が訪れるほど。

 入り口には大きな看板が掲げられていて、身がひきしまるような、独特の雰囲気が漂っている。近寄ってみると、中から話し声が聞こえてきた。

(あれ、誰かいるのかな?)

 かつては多くの門下生を抱えていたが、今ではここに通う者などほとんどいない。ましてやこんな時間にお客だなんて……

(独り言かな。やべぇ、じいちゃんボケちゃったかも)

 土間から上がってすぐのところには衝立が置かれていて、道場内が外から丸見えにならないようにしてある。その陰に隠れてこっそり中を覗く。こちらに背を向け、床の間に向かって正座する祖父の姿が見えた。その床の間には何かが飾ってある。どうやら団兵はソレに話しかけているらしい。

 もっとよく見ようと身を乗り出したところ、衝立がグラリと揺れた。慌てて体勢を立て直すと、

「こりゃ、龍。何をしている」

「へへー、バレてた?」

「当たり前じゃ」

 こっちへ来いと手招きされて、隣に座る。床の間に飾られていたのは一振りの太刀だった。ずっと道場の棚にしまっておいたのだが、久しぶりに出してみようという気になったらしい。

 緑がかった青い色の鞘には昇り龍の彫刻が施されており、なかなか立派なもののようだが、残念ながら柄の部分にサビが浮いている。

「何、そのボロッちい刀。虫干しするなら昼間のうちにやっときゃよかったのに」

「春日家に伝わる家宝だぞ。ボロッちいとはなんじゃ、失敬な」

「えー。だって、どう見てもお宝じゃないし。鑑定に出したら笑われそう」

「これはな……」

 団兵は太刀をうやうやしくいただくと、龍の前に置いた。

「我が春日家の御先祖様は博多の出身で、身分の高い武士だったそうじゃ。元……というのは今の中国だな、ヤツらが日本に攻めてきた時、戦いに参加していた御先祖が手柄を立てた。その褒美として、敵が持っていたこの剣を殿様から賜ったというのが我が家の言い伝えでな。何でも、その中国側の兵士が大切そうに扱っていたから、これは値打ちのあるものだろうと、ふんだくったらしい」

「へえー。刀じゃなくて剣なんだ」

 説明するまでもなく、日本刀は片刃で、剣とよばれるのは両刃である。

「剣と呼ばれていたと聞いておるが……」

「まあ、それはどっちでもいいや。せっかくだから抜いて見せてよ」

 そこで団兵はセリフつきで、ゆっくりと居合抜きのようなポーズをとった。

「抜けば玉散る氷の刃……」

 だが、団兵のかけ声もむなしく、目の前に現れたのは氷の刃などではない、薄汚れた木製の刀──剣の正体は木刀だったのだ。

 ポカンと口を開けた龍は「はあ、マジかよ?」と声を上げた。

 元の兵士たちはどうやって、そんな木刀で日本の武士と戦おうと思ったのか。神風が吹かなくとも、負けるに決まっている。

「本当にそいつ、家宝の剣なの? あ、もしかして殿様のヤツ、大判小判とかを褒美にしたくないから、中身は木刀って知ってたくせに『ごほうびですよ~』って、もったいつけてよこしたんじゃね?」

「殿様にヤツとは罰当たりな。まあ、言い伝えは言い伝えじゃからな、本当のところはわからん。そもそも、これが真剣だったらワシは銃刀法違反で捕まってしまうわい」

「それはそうだけど……期待外れ」

 気勢をそがれた龍だが、気を取り直すと団兵に相談を持ちかけた。そもそも道場を訪れた目的は祖父に話があったからだ。

「……なるほど。その先輩とやらにどうすれば勝てるか、か」

 力も技もある。素早さでは負けないが、的確に打ち込んでくる技量の高さはピカイチの赤い鷹に勝つ秘訣は何か。

「応じ技じゃな」

「相手の技をくずして、ってやつ?」

「そう。しかけてくるのを待つわけではない、より素早い動きで封じ、こちらの攻撃に移す。おまえの特性を生かすのにはもっとも効果的じゃろう」

──そして今、Cブロックの決勝が始まろうとしていた。決勝への進出において、翔は当然の結果と言えるが、まさか龍がここまで全勝で勝ち上がるとは。いくら特待生とはいえ一年の分際で、並み居る上級生たちを圧倒してしまうと予想した者はほとんどいないと言ってよかった。

「それでは赤・春日龍、白・夏樹翔の試合を始めます。礼!」

 赤と白の目印をつけた二人は一礼すると蹲踞の構えを決めた。

 始めの合図と共に、右足を強く踏み込み、大きくしなった竹刀の先が翔の小手に届いたかと思ったが、すんでのところで相手は身を翻し、反動をつけて打ち込んできた。

「おっと、そうはいかねえぜ」

 今度は龍が防御する番である。竹刀を竹刀で受け止めてグッと押し戻すと、体勢を立て直した翔は両腕を上げ、なんと上段の構えをとった。

 通常用いられる中段の構えに対して、この上段の構えは胴がガラ空きになる分、防御が手薄だが「どこからでもかかってきやがれ」という姿勢が攻撃的で、相手を威嚇するための、上級者向けの構えである。それだけ攻撃力に自信があるというのか。

 まさか、ビビッてるなんて思ってないよな、ナメられっぱなしは癪だと、龍は持ち前の素早い足捌きを活かして飛び込む。

「面を狙うのはわかってんだよ!」

 先手必勝。しかし、想像以上に翔の動きは速い。ギリギリで避けると、すかさず間合いを取る。

(やべえところだった)

 胸を撫でおろした龍は巻き返しをはかって面を打つが、小手を目がけてきた翔と、すんでのところで互いに回避。

 二本の竹刀は激しくぶつかり、文字通りの鍔迫り合いとなった。

「どうした? この程度か」

 低く冷静な声で挑発する翔、

「へっ、まだまだ」

 龍が竹刀を押し戻す。激しい攻防が続く中で、龍の、小手への攻撃を抜いた翔は右手を竹刀から放すと、左手だけでそれを振って、見事に面を決めた。

「白、一本!」

「……チッ、やられたっ! 片手技かよ」

「上が手薄になってるぞ、気を抜くな」

 上級生たちが口々に叫ぶ。

「あれだ、夏樹の必殺片手技!」

「並の中学生じゃできないぜ。さすが、赤い鷹だ」

 三本勝負だ、まだ二本ある、落ち着くんだ……龍は大きく息を吐き、団兵の教えを思い出していた。

「二本目、始め!」

 開始早々に翔が小手を狙ってきた。

(相手の技を待って受けるものではない、相手をくずし、より素早い攻撃で……)

 翔の竹刀をすり上げるや否や、龍は思い切り踏み込んで面を打った。

「……赤、一本!」

「なんだと?」

「やったー! リュウ、ユーはミラクルボーイね!」

 ロッキーのはしゃぐ声がここまで聞こえてくる。小手をはめていなければVサインを出す場面だ。

「えっ、春日のヤツ、あの夏樹から一本取ったぞ」

「なんかすげー」

 興奮気味の部員たち、決勝戦の盛り上がりは最高潮になってきた。

「三本目、始め!」

 その後、二人の戦いは延々と続いて決着がつかず、ついに延長戦へと持ち越されたのだが、制限時間間際に翔の胴が決まり、彼の優勝も決定した。

「龍君、お疲れさま」

「ま、しゃーねーな。やれるだけやったし」

 ねぎらう至とロッキーに、龍はとびきりの笑顔を向けた。

 

        3

 

 最初から気になる存在だった。

 しかしながら、稽古で当たった時の様子からして、さらに伸びる可能性を秘めているとはいえ、そう簡単に、自分にかなうはずはないと絶対の自信を持っていた。

 ゆえに、こんなにも早く追いつかれるとは思ってもみなかった。この土壇場において、ヤツは底力を発揮したとでもいうのか。

 動揺しつつも表に出すわけにはいかない。黙々と防具を片づけている翔の傍にやって来た牙門が「龍との決戦はいかがでしたか?」と訊いた。

「ヤツがえらくお気に入りのようだな」

「ええ、彼は不思議な魅力を持っています。私は、できることなら彼とずっと仲間でいたい。そう思っているのです」

「おかしなことを言う」

 牙門の真意を計りかねるものの、それ以上ツッ込んだ質問をする気もない。淡々と支度を終えると、沢渡たちに会釈をして帰路についた。

 その日の夜、自宅へ戻りシャワーを浴びてから夕食の席に着いた翔の前に祖父が現れ、広いダイニングの、これまた大きなテーブルの端に座った。とたんに冷え冷えとした空気が漂う。

 食事は済ませていたらしいが、京子が氷の入ったグラスとウィスキーを持ってくると、

「ああ、ありがとう」

 そう答えてから、大二郎は葉巻をくゆらせた。上機嫌な様子である。

「近頃は真面目に、練習に参加しているようじゃないか」

 そんな祖父にジロリと一瞥をくれると、翔は黙ったまま箸を口に運んだ。

「いよいよ地区予選だな。去年は一年ながら優勝したおまえだ。今年は県といわず、全国優勝を狙って当然だろう」

「……人間の欲望には限りがありませんね」

「何を言っておる。まさか、また準々決勝止まりなんてことが許されると思うのか」

 何の言葉も返ってこないため、大二郎は話題を変えた。

「団体戦のメンバーもそろそろ決まるようだし、今年こそは元城中を倒して、優勝旗を我が校に持ち帰ってもらいたいものだ。沢渡君の話だと、一年になかなかいい選手がいるらしいな」

 翔の箸を持つ手が止まった。

「特待生の春日龍のことですか?」

「春日君というのかね? いや、今年の剣道部の活動については沢渡君に任せきりだからよくは知らんが……おまえと同級の、中国からの留学生は私が認めて特待生にしたのだがな。まあ、そこまで強い一年が入ったとなれば、うかうかしてはいられまい。おまえにとってはいい刺激だろう」

 グラスに残ったウィスキーを飲み干し、葉巻も灰皿でもみ消すと、大二郎は「さてと」と言って立ち上がった。

 またあの部屋へ行くつもりだな、そう思いながら翔は食事を続けた。

 そう言えば、最近は赤い刀にやたらと御執心の様子だった。先日も書斎で目にした、赤い鞘の一振りのことだ。

 大二郎の骨董コレクションなど、どうでもよかった翔だが、今夜に限って、この目でどんなものか見てみたいと思うようになった。

(やれやれ、俺もそうとう物好きだな)

 ただし、祖父に刀を拝ませてくれと頼むのは絶対にイヤだ。

 六十を超えてから、大二郎は夜更かししなくなった。早い時には九時前に就寝している。今夜も早々に寝室に引っ込んだ様子だが、無断侵入を決行するならば深夜だ。

 この家全体がセキュリティシステムで守られているためか、部屋毎に鍵はかかっていない。書斎への侵入にあっさりと成功した翔は持ってきた懐中電灯で辺りを照らした。照明を点けたせいで母に、ひいては祖父に気づかれてはならない。

 一応書斎なので、この部屋にはパソコンとプリンターが備わっている。そのプリンターで印刷したらしいメールの文面の用紙がテーブルの上に乗っていた。

『朱雀の剣に似た刀が存在する模様。場所はアメリカ・オハイオ州……』

「朱雀の剣?」

 それは赤い刀についた名前なのだろうか。さらにメールを読み進めていくうちに、翔は祖父が配下に調べさせている事項の大まかな内容を把握した。

 朱雀の剣と同じような剣があと三本あること、彼らはその行方を調べていること、アメリカで行われた骨董のオークョンで、それらしき刀(剣)が現地の蒐集家の手に渡ったらしいが、それがどういう人物なのか、本当に探している刀なのかは引き続き調査するというところで、メールは締めくくられていた。

「あのタヌキめ、四本集めてどうするつもりだ? 何を企んでいる」

 肝心の赤い刀はコレクションルームの棚の中に収められており、棚には鍵がかかっているため、残念ながら手に取ることはできない。ガラスの扉越しに見るしかなかった。

 扉に懐中電灯の光を向けてみる。臙脂色の鞘、柄のすぐ下の部分に彫刻が施されているが、何の模様かまでは判らない。

「かろうじて鳥……に見えるな。朱雀の剣という名前なら、鳳凰が刻まれているということか」

 中国古来の思想、方位を守護する四神獣。東西南北の四つの方位にはそれぞれに守り神がおり、南を守護する四神獣の一体・朱雀は鳳凰に似た姿をしている。その倣いで考えれば、あとの三本には残り三つの神獣の名がつけられているのだろう。

「まあ、タヌキの企みなど、どうでもいい。どうせくだらんことだ」

 そのくせ手に取れなかったことを残念に感じて、後ろ髪を引かれるのはなぜか。

 複雑な思いで、翔はコレクションルームをあとにした。

                                 ……❻へ続く