MY MEMORANDUM

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輝蹟の剣〈剣道部編〉 ❸

   第二章 常聖の赤い鷹

 

        1

 

 横浜市内でも高級住宅街と呼ばれる宅地の一画に、一際目を引く大きな建物があった。風格のある門をくぐると広がる日本庭園には大きな池もあって、立派な錦鯉が優雅に泳いでいる。

 その向こうに佇むのはまるで老舗の高級旅館のような風情の家屋、これこそが常聖学園校長兼理事長、夏樹大二郎の邸宅である。今この屋敷の一室、自身のコレクションルームにて、当主の大二郎がガウン姿でゆったりとくつろいでいた。

 富も名誉も手に入れた彼が今もっとも力を入れているのは骨董の蒐集である。二階の部屋のひとつを骨董専用の収納部屋とし、その隣の部屋は彼の書斎となっていた。

 大正時代を彷彿させるクラシカルな雰囲気の洋室には、これまた年代物のシャンデリアが吊り下げられ、そんな室内は華やかだが、どこか薄暗い。

 臙脂色の高級ソファの前には紫檀のテーブルがあり、コレクションを取り出してきてはテーブルの上に置いて眺めたり、ブランデーを嗜んだりと、趣くままに過ごすのを極上の時間として楽しんでいる。

「……誰だ?」

 微かに聞こえた廊下の足音を聞き咎めたが、返事はない。

「翔なのか。入ってきなさい」

「何か御用ですか?」

 足音の主が面倒臭そうに返事をすると、苛立った大二郎は畳みかけた。

「いいから入ってこいと言っておるのだ」

 現れたのは整った顔立ちながら冷たい目つきの少年、大二郎の孫の翔だった。祖父の書斎の壁に寄りかかり天井を見やる、何とも投げやりな態度である。

「沢渡君から聞いたぞ。おまえ、部の練習に顔を出していないようだが、いったいどういうつもりだ?」

 翔はダンガリーシャツの袖をたくし上げると、威圧的な大二郎に対抗するかのように、腕を組んでこの絶対君主を見据えた。長身のせいか、中学生らしからぬ迫力だ。

「お遊びクラブに参加したってしょうがありませんよ。あの学校だって、母さんの顔を立てて通っているんですから」

「ふざけたことを。実力第一主義、私の教育方針はまず、孫のおまえから実践すべきだというのに」

「やれやれ、わかりませんね。貴方がなぜ剣道部ごときに入れ込んでいるのか」

「それでは何のために、就学前から道場へ通ったのだ? おまえは剣道で……」

「あんたがそうさせたんだろ」

 翔の口調が変わった。

 この祖父と対立した挙句、婿養子だった父は家を出て行方知れず。祖母はとっくに他界しており、残された一人娘である母・京子の頼みで大二郎の命に従う翔は常聖学園に入学し剣道部にも入部したが、ここのところ祖父には反抗的で、制服のない学園にわざと制服風の服で登校するなど、ささやかな抵抗を示していたのである。

「……まあ、いいだろう。今年も大勢の一年が入部したらしいからな、エースだ何だといってうかうかしてはいられんぞ。足元を救われんようにな」

 翔は何も言わずに出て行った。

「ふん、可愛げのないヤツだ。ますます父親に似てきておる」

 大二郎は嘆息すると、コレクションの中でもお気に入りのひとつ、赤い鞘の刀を手に取り、しみじみと眺めた。

 鞘には鳳凰の姿の彫刻が施されており、赤というよりは臙脂に近い、鈍い輝きを放っている。これは中国のとある民族に伝わる伝説の宝の剣と言われ、四本あるうちの一本なのだが、四本すべてを揃えた者は強大な力を手に入れる、といったような言い伝えがその民族の間に残されていた。

 とにかく美しい鞘である。言い伝えの真偽はともかく、残りの三本もこの手に収めてみたいと思う大二郎は密かに剣の行方を探したが、以前に日本へ渡ったということ以外は分からなかった。

 また、これらの剣は強い剣士の元に吸い寄せられるとも伝えられているため、彼は剣道部の活動に力を入れた。部に集う若者の中に剣を手にする者がいないとは限らないのだ。まさかともファンタジーかとも思うが、可能性はゼロではない。

「四本の……伝説の剣か」

 

        2

 

「さーて、ブカツ、ブカツ」

「ロッキー、やけに張り切ってるなあ」

「いやぁ~、ミスター・トニーにいろいろ聞いちゃってね」

「いろいろって何を?」

「うふふー」

「なんだよ、もったいぶるなって」

 同じアメリカ人のよしみか、副主将のトニーはロッキーのことを気に入ったようで、剣道部における、あることないことをこの一年に吹き込んでいるらしい。

 ウェーブのかかったブロンズの髪に緑色の瞳と、白人ならではのルックスを武器に、ガイジンに弱い日本の女子たちを手玉に取っているトニーだが、女にマメな性格は面倒見の良さにも通じるとみえて、たった一人の初心者であるロッキーに、熱心に稽古をつけている様子だった。

「トニー先輩か。まあ、あの人の話は眉唾で聞いておいた方がよさそうだな」

「マユツバ?」

 眉唾についての解説をしながら、防具を抱えた龍と、トレーニングシャツを着て竹刀を手にしたロッキーが武道館入りしたところ、稽古着も袴も黒という、黒ずくめの見慣れない男が黙想していた。

「えっ、誰?」

「初めて見るクールガイだね」

 二人の視線を受けた男は目を開け、こちらに鋭い一瞥をくれると、すっくと立ち上がり竹刀を構えた。隙のない見事な姿勢である。

 あとからやってきた噂のトニー先輩にさっそく「あの人誰ですか?」と尋ねると、

「オー、彼ね。二年の夏樹翔(なつき しょう)だよ」

「二年生? もしかして今年入部したってんじゃ……」

「ノー、ノー。去年からずっといるよ。それにしても今になって御登場とは、いくら御曹司とはいえ、いい度胸しているよな」

「御曹司?」

 夏樹翔──御曹司──

 連想ゲームに頭をひねる二人に、

「校長先生のお孫サマサマ」

 トニーは茶化すように解答を述べると、ウィンクしてみせた。

 ワンマン校長の孫もワンマンなのか。それで、新学期になって随分たった今頃、練習に出てきているのか。何だか気に入らないと、龍は不愉快になった。

「よーし、全員集合!」

 来明の呼びかけに、部員たちは武道館の左隅に集まった。

「コーチがまだ来てないので、今からの練習メニューを伝える。合図があるまで続けるように」

 十分間の準備体操、次の十分は素振りで、そのあとは打ち込み稽古、かかり稽古の順に行う。

「かかり稽古だが、二、三年はなるべく一年とあたるように組んでくれ」

 かかり稽古とは、打つ側と打たれる側を交代しながら、ほぼ全員と当たるように行う練習である。打つ側は合図があるまでの間、技を繰り出し、打たれる側は相手が打ちやすいように間合いを取る。

 イメージしやすく説明すると、AとBが打つ側・打たれる側を一回ずつ終えたら横にずれて、AはCと、BはDと組むのだが──何かのルールに似ている。そう、フォークダンスのオクラホマミキサーだ。

 初めてかかり稽古を体験したロッキーがそうと口にしてから、龍の頭の中には「チャ~ララ~ララ~ララン♪」の能天気な音楽が流れて、なかなか払拭できないでいる。

「お願いしますっ!」

 オクラホマミキサーの呪いを知らない、打つ側の部員たちは来明の合図に、一斉に声を上げた。

(ヤベェ、オレも気合い入れなきゃ)

 と、龍の面がね──防具の面の、顔を覆う鉄製の部分──の隙間から見えたのは、さっきの鋭い目だった。

(げっ、御曹司サマが相手かよ)

 かかって来い、とばかりに、翔はあごを上げた。挑発的な態度だ。

「上等だっ!」

 激しく打ち込む龍の竹刀を右に左に払いながら、翔は相手の実力を冷静に測っているようだった。

 その自信と落ち着き──先程トニーはさらに「剣道部ナンバーワンの実力」と翔のことを評した。

 次の大将は、などと言われていた牙門がナンバーワンではないのか? こいつはさらに上をいくのか? 

「まあ、彼にはキョーチョーセイがないからね。常聖の赤い鷹とか言われて、イイ気になっているみたいだけど、剣道だってチームワークは大切だよ」──

(赤い鷹だの白い貴公子だの、そんなんばっかりだな、この学校は。だいたい黒ずくめなのに、何で赤なんだよ)

 攻守交代、今度は翔の攻撃を受け止める番だが、赤い鷹は言葉を一言も発することなく、それでいて鋭く的確に打ち込んでくる。さすがに高く評価されるだけのことはあった。

 もう少し打ち合いたいと思ったが、合図によって交代。名残惜しくてチラリと視線を送ると、相手もこちらを見ていた。思わぬ反応に戸惑う。

(次に互格稽古とかで当たったら、どうかな……えーい、頑張れ、オレ!)

 春日龍と夏樹翔──宿命のライバルの出会いであった。

 

        3

 

 次の日の放課後、いつものように練習が始まろうとしている時に、沢渡がロッキーを呼んだ。

「冬元、注文の品が届いているから取りに行ってくれるかな」

「オッケー、コーチ」

 それは新しい防具一式と白い稽古着に藍色の袴が入った防具袋だった。

「これで体操着ともお別れ、よかったな」

 ロッキーの傍で袋を覗き込んでいた龍はそれから「やっぱ新しい稽古着はいいよな」と羨んだ。

「龍君も新調したらどう?」

 横から至が口を挟むと、

「ムリムリ。あのケチなじいちゃんが金出してくれるわけねーじゃん。男は服装ではない、心意気だ! とか何とか、時代錯誤なこと言っちゃってるし」

 袋の中には先に解説したように、試合の時などに使用する、垂につける名札も入っていた。濃紺の地に白い糸で文字が描かれた代物である。

「『常聖 冬元』か、カッコイイー。って、待てよ?」

「リュウ、その名札がどうかした?」

「いや、ロッキーは『冬』元だろ。オレは『春』日、それから……」

 龍が向こうで準備をしている上級生たちを振り返ると、

「今頃気づいたの?」

 したり顔で至が言った。

「なんてったって僕はマネージャーだからね。『秋』牙門さんに『夏』樹翔さん。春夏秋冬勢揃い。とっくにチェックしていたよ」

「オー、グレイト! ホワイト・プリンスとレッド・ホークともお仲間ね」

「へー、偶然にしちゃあデキ過ぎだよなぁ」

 龍はそう言ったが、これが単なる偶然ではないことをのちに彼らは知るようになる。

 着替えを済ませたロッキーが戻ってきたところで、いつもの準備体操と素振り、胴と小手をつけての打ち込み稽古ののち、今日は互格稽古をやると沢渡が告げた。

「試合のつもりで真剣にやって欲しい。一年生と当たった上級生、特に気を抜かないようにね」

 現時点の一年の技量を量る目的もあるらしい。龍と対戦するのは牙門だった。入部した当初に、目の当たりにした彼の技、流れるような動きにスッと切れ込む竹刀を思い浮かべ、龍は身奮いした。強い相手に挑戦する時、彼は俄然、闘志を燃やすのだ。

(牙門さんか。相手にとって不足はなし、ってやつだ。いくら強くたって、そう簡単には負けねえからな)

 当の牙門は落ち着き払った態度で悠々と面をつけている。

 これだけの美形を女子生徒たちが放っておくはずはなく、至の情報網によれば、校内に彼のファンクラブがあるらしい。

 さすがに武道館の中まで押しかけてくることはなかったが、練習終了後の帰り道などでキャアキャア騒いでいる女子たちの姿を龍も目撃していた。

「龍君は……牙門先輩と対戦だね」

 記録係の至がやって来て、何やらノートに書き込んでいる。

「カッコよくて、剣道以外のスポーツもできて、女の子にモテて……成績もいいらしいよ。天は何物も与え過ぎだよね」

「チェッ、勝負できるのは剣道だけかよ」

「いや、剣道だって勝てるかどうか」

「何だよ、ドクター。友達甲斐ねえの」

 口を尖らす龍だが、二人の会話を小耳に挟んだロッキーがちゃちゃを入れた。

「リュウはオトコにモテるタイプね」

「ゲッ、何てこと言い出すんだよ」

「ズボシ?」

「図星って……あのなぁ」

 当たらずとも遠からじ、視線を泳がせる龍を見た至とロッキーの追求が始まった。

「もしかして心当たりがあるの?」

「いや、心当たりっていうか……」

 もじもじしていた龍は小声になって、

「それがさ、小六の時に他の学校の、五年の男子から手紙もらったんだ」

「ワォッ!」

「それで何が書いてあったの?」

「『剣道の試合、いつも応援しています』とか何とか」

「返事は出した?」

「ンなもん、出すわけねーだろ。ったく、恥ずかしい話させんなよな」

 恥ずかしいモテ話を切り上げた龍は竹刀を手に立ち上がった。

 この武道館では二面の試合場が用意できるため、互格稽古に於いては同時進行で二組の稽古が進められる。部員たちが見守る中、龍は牙門と対峙し、蹲踞の構えを取った。

「それでは始め!」

 先手必勝、龍は小手を打ち込んだ。出ばな技だ。

 それを軽くかわした牙門、簡単に打たせてくれるはずもなく、続けて胴を狙う龍を打ち落としで応じ、そのまま面を決めようした。

「そうはさせるかっ!」

 がっちりと受け止める龍、両者の気合いと気合がぶつかり白熱した展開に、至たちの応援にも力が入る。

「龍君、頑張れーっ」

「ファイトー!」

 いったん間合いを取り、互いの動向を探りながら、龍は考えを巡らせた。

(こんな場面で、なんて静かな構えなんだ。殺気が全然感じられないけど、隙を見せると負けちまう)

 まるで森に潜むハンターのようだ。じり、じり、と間合いを詰める牙門、怯んだ一瞬を逃さず小手を決めてきた。

「クソッ、やられた」

 気を取り直し、再び立ち向かう龍だが、あとわずかといったところで有効打突が決まらない。三分の制限時間は無常に過ぎて、終了の合図が場内に響いた。

「……ありがとうございました」

 見学席に戻って面紐をほどいていると、ロッキーが慰めるように言った。

「ナイスファイトね」

「ああ。やっぱ、あの人強いや。もっと時間があったらなあ」

 すると、彼らの横に座っていた、未だに龍を快く思っていない宍戸が嘲笑うように「もっと時間だって? 負け惜しみも大概にしろよな」と言ってのけた。

「ヘイ、ユー。相変わらずリュウにインネンつけるけど、それってジェラシーね」

「なんだと? 初心者は引っ込んでろ」

「おい、ロッキーにまで絡むのはやめろよ。おまえが文句あるのはオレに、だろ」

「そのとおりさ。ったく、特待生も大したことねえな。牙門先輩に全然歯が立たなかったくせによ、偉そうにするんじゃねえよ」

「別に、オレは偉そうにした覚えはないぜ」

「それに、まったく歯が立たなかったわけではありません」

 背後から凛とした声が聞こえて、宍戸が飛び上がるほど驚いた。彼の後ろにいたのは当の牙門だった。

「春日君の打ち込みは素晴らしかった。あと三分続けていたら、勝敗はどうなったかわかりません」

 牙門が龍の肩を持ったために、面白くない宍戸は「フン」と鼻であしらい、別のところに行ってしまった。

「おーい、冬元。次、出番だぞ」

 我に返ったロッキーが慌てて走り出す。二人きりになり、何を話していいのかわからずに焦っていると、牙門の方から意外な言葉がかけられた。

「君と一度ゆっくり話がしたいのですが、用事がなければ今日、駅まで一緒に帰ってもらえませんか?」

「えっ、オレと?」

「ええ。ぜひ」

 いったい何の話があるというのだろう。お互い、剣道部に所属している他に接点も共通点もなさそうなのだが……まさか? 

(オレがオトコにモテるから? いやいや、さすがにそれはねーだろ。ファンクラブまである貴公子サマにそのテの趣味があるなんて、ちょっとヤバイよな)

 あらぬ妄想を振り払う龍だが、牙門にはそんな妄想など知る由もなく「では、のちほど。さあ、冬元君を応援しましょう」と言って歩き出した。

 現在進行形の互格稽古に目をやると、真新しい防具に身を包んだロッキーが二年の武川を相手に奮闘中だった。

 そしてもう一組、この頃練習に参加するようになったあの御曹司がトニーと熾烈な戦いを繰り広げていた。

(……いや、互角じゃない。夏樹翔、あいつが圧倒的に強い)

 冷酷なまでに計算された技、ここぞという時には激しく打ちつけて相手を叩きのめす、絶対王者の剣──

 ブルッと龍は武者震いした。また一人、強い相手に出会えた喜びが彼を駆り立てる。

 秋牙門に夏樹翔、彼らに挑戦するためにも、もっと自分の腕を磨かなくてはと、心に誓う龍だった。

                                 ……❹へ続く