第一章 常聖学園剣道部
1
常聖学園中等部。同じ敷地内にある高等部とは独立した形になっており、五階建ての校舎が二棟に体育館と武道館、グランドの他にもプールにテニスコート、陸上のトラックやらと、とにかく設備が充実している。
四月七日の入学式は中等部専用体育館で行われたのだが、その様子が一風変わっていた。制服がないから新入生たちの服装はてんでバラバラ。日本人はともかく、留学生たちはお国の民族衣装を身につけたり、バカンスに行くかのようなくだけたファッションだったりで、入学式というよりはオリンピックの前夜祭の様だった。
「さっすが、何でもありの学校だよな。日本にいる気がしねえぜ」
みねに無理やり着せられたスーツのせいか、畏まって窮屈そうに腰掛ける龍、式の始まりを待つ間、キョロキョロと周囲を見回していた時、
「あーっ、もしかして龍君?」
聞き覚えのあるカン高い声にギョッとしてそちらを見ると、小柄でひ弱、龍よりもさらにスーツの似合わない少年がメガネの奥の目をしばたかせていた。
「あれー、ドクターじゃねえか。すげー久しぶりだよな、元気だったか? あ、ここ空いているから座れよ」
知らない顔ばかりでいくらか心細かったので、ホッとした龍は左側のパイプ椅子を示し、ドクターこと季村至(きむら いたる)を手招きした。
「それじゃあ、お邪魔しま~す。どっこらしょっと」
中学生らしくない、年寄りくさい掛け声で腰を下ろしてから、
「そうか、僕が引っ越してから、もう三年になるんだね。まさかここで君に会えるなんて思ってもみなかったよ」
至はガキ大将の龍とは対照的な優等生タイプだが、二人はなぜかウマが合い、小四の時に当人が転校するまで友達づき合いをしていたのだ。
「龍君は、この学校には剣道のスポーツ推薦で入ったの?」
「御名答。そっちは一般入試なんだろ? やっぱ勉強できるヤツは違うよな。なあ、相変わらず変テコな発明やってんの?」
「僕の人生の最大の目標はノーベル賞獲得だから。龍君こそ、また髪が伸びたね。それじゃあ武士というより落ち武者だよ」
「だから前にも説明しただろ、これはじいちゃんの趣味なんだってば、しょうがねえじゃん。ま、オレも気に入ってんだけど」
そう言って龍は首の後ろで無造作に束ねられた髪を撫でてみせた。団兵が推薦入学を勧めたのは、この学校の『高校受験なし』よりも『頭髪自由』が魅力だったからと思われる。
「変わってないなあ」
「お互いさま」
楽しげに軽口をたたく二人だが、その時、龍自慢のロングヘアーをグイッと引っ張る者がいた。
「わわーっ、な、何すんだよ?」
「オー、ソーリー。痛かったかい?」
空席だった龍の右隣に、いつの間にか座っていた金髪碧眼の少年がニコニコ笑いながらこちらを見ていた。
髪をつかんだ指にはリング、腕にはブレスレットに耳元のピアス、鮮やかな紫色のセーターを着たド派手な姿は会場の中でも一際目立つ存在だった。
「なんだよ、てめーは! いきなり人の髪引っ張りやがって!」
今にも噛みつかんばかりの龍に対して、少年はなおも人なつこい笑顔で話し続ける。
「ユーはサムライですか? ボク、サムライに会ってみたかったね」
「あのな、今の時代に侍なんていないの。オレは春日龍、れっきとした中学生!」
「これは失礼つかまつりました。ボクは冬元(ふゆもと)ロッキー、アメェーリカから来たよ。ヨロシクね」
変な日本語をしゃべる、いかにも能天気そうなロッキー少年に気勢をそがれた龍は差し出された右手を握り返した。
「調子狂っちゃうヤツだなぁ、まあいいや。こっちは季村至、あだ名はドクター」
「よろしくお願いします。ロッキー君はハーフなんですか?」
「イェース、正確に言うとママがアメリカ人、パパは日系人だから日本人の血はちょっとだけね。でも家では日本語、よく使うよ」
父の転勤に伴い、アメリカ国内だけでなく世界各地を転々とすることが多かったと話すロッキーは龍たちの友情が長続きしている様子を羨ましがった。
そんな話をされては黙っていられない。親分肌の龍はロッキーの背中を励ますようにポンと叩いた。
「じゃあ、今日からオレたちは友達」
「ホント? サンキュー、サムライくん。ボク、ベリー・ハッピー!」
「サムライくんじゃなくて龍。リュウでいいよ」
「……こら、そこ、静かにしなさい」
いつの間にか入学式が始まっており、三人は慌てて口をつぐんだ。
六十歳前後の、恰幅のいい人物が壇上に上がり、眼下の生徒たちを鋭い目つきで見渡している。
「諸君、入学おめでとう。私が校長の夏樹大二郎(なつき だいじろう)だ。この学校に入学した以上、諸君には生ぬるい学校生活など期待せぬようにしてもらいたい。我が常聖学園の教育方針は『実力第一主義』、勉強でもスポーツでも、実力のある者が上に立つ。人種も年齢も関係ないと胆に銘じるように」
なんてワンマンな校長だ。安易に推薦を受けたものの、本当にこれで良かったのか、公立の中学へ進学した方が平和だったかも、といささか不安になる。
龍の気持ちが伝わったのか、隣に座る至も心配そうな視線を向けたが、反対側のロッキーは浮かれた様子で、今にも鼻歌を歌い出しそうだった。呑気なヤツだ。
(……チェッ、だったら実力で勝負すりゃいいんだろ。やってやろうじゃねえか)
2
ガイダンスも終了して、通常の授業開始。部活動に関しては、新入生は仮入部期間とあって、自由に各部の見学や体験入部をしたのちに、二週間以内に正式な入部届を出せばいいことになっている。
とはいえ、剣道のスポーツ推薦で入学した龍は剣道部への入部が確定しているわけで、今日の放課後は新一年生にとって部活動初日、先輩部員や同期と初顔合わせの日だ。
さっそく防具一式を持ってくると、同じクラスになったロッキーに「この大きな袋は何か」と訊かれた。
「剣道の防具入れだよ」
「ボウグ?」
「身体を守る鎧みたいなもの。こっちは頭と顔を守る面ってやつで、これは身体につける胴。こいつは腕につける小手……」
龍の解説を聞きながら、ロッキーは目を輝かせた。
「オー、ワンダフル! 初めて見たよ、素晴らしいね!」
何にでも感心するロッキーに、龍は苦笑いした。
「汗臭いって、みんな嫌がるんだけどな」
「リュウがそんなにアツくなる剣道、ボクも近くで見てみたいね」
「だったら、見学希望者ってことで行ってみるか?」
「オッケー、行く行く!」
武道館へ向かうため廊下を歩いていると、反対側から至がやって来た。
「おーい、ドクター。どこ行くの?」
「科学部だよ。理科実験室に集合って聞いたから、そこへ……」
すると、至の話の内容を解っているのかいないのか、ロッキーがいきなり彼の腕に自分の腕を絡めて「ドクターも一緒に、見学行こうよ」と強引に誘った。
「えっ、行こうって、どこへ?」
「ブドウカーン、ね!」
「武道館? ちょ、ちょっと、僕は理科実験室に……まっ、待ってくれぇ~」
細身に見えるロッキーだが、腕力は思ったより強い。至はずるずると廊下を引きずられる羽目になった。
「だ、だから、科学部に入部……龍君、笑ってないで助けてよっ!」
公立の中学では、剣道部の活動は体育館で行われるところが多い。つまり、他の屋内スポーツであるバスケやバレー、卓球等と共用する場合がほとんどであり、専用の武道館があるという点からも、常聖学園の入れ込み方がわかる。
いつもは柔道部も活動しているのだが、今日は剣道部だけのようで、着替えを済ませた上級生たちが準備運動を始めていた。ロッキーのような金髪から赤い髪から、肌の色も白やら黒やら、様々な人種が稽古着、袴姿で竹刀を振っているのは国際試合みたいで不思議な光景だった。
そんな準備運動集団から離れた位置に体操着を着用した一年生とおぼしき生徒が数人いて、めいめい自分の防具の手入れをしていた。使い込まれたそれらの防具から、彼らは全員、剣道の経験者であることは察知できた。
「ちょっと訊くけど、入部希望者って、ここにいればいいのか?」
龍が声をかけると、その場にいた全員が顔を上げてこちらの三人組を睨みつけた。そのピリピリとした雰囲気にたじろいだ至が──けっきょくここまで連行されていた──怯えて龍の後ろに隠れたほどだ。
「なんだ、おまえら。そっちの二人なんて手ぶらじゃねえかよ」
「天下の常聖剣道部だぜ。冷やかしならやめておけよな」
いきなりの喧嘩腰にムッとした龍だが、そこは押さえて、
「こいつらは初心者なんだ。だから今日は見学……」
「初心者? だったら、なおさら入部なんて考えてもらっちゃ困るぜ。オレたちの足を引っ張るなっての」
出て行けと言わんばかりに、彼らは龍たちを取り囲んだ。しかし、龍は臆することなく言い放った。
「何年やってたかより、どれだけやる気があるのかが大切じゃないのか。足を引っ張られるなんてショボイこと言ってると、初心者に負けるぜ」
「なんだと、このやろうっ!」
あわや一触即発、だが、
「彼の言うとおりだよ」
若い男の声がして、皆一斉にそちらを振り向くと、ジャージ姿の背の高い青年が立っていた。穏やかな顔つきの、なかなかの美男子である。
「やる気のある人は経験者、初心者関係なく大歓迎だからね。僕は剣道部コーチの沢渡秀人(さわたり ひでと)。顧問は校長先生なんで、部の指導はもっぱら僕が行うからよろしく」
沢渡コーチの登場により、龍と他の一年たちとの小競り合いはとりあえず収束し、コーチによる新入部員へのガイダンスという流れになった。
「それじゃあ、一年生のみんなにはこのノートにクラスと名前を書いてもらおうかな。ああ、見学や仮入部の人も書いてね」
曜日毎の練習の時間帯、部室や防具の置き場所等、細かい説明のあと、
「……で、現在の部員数だけど、三年が十名、二年が十二名いる。例年二十名ほど入部してくるんだけど、半分残るってとこかな。さて、質問のある人は?」
練習試合はあるのか、どんな大会に出場するのか、高等部と合同で練習する機会はあるのか……幾つかの質問が出たが、それも出尽くしたようである。
沢渡は一年生たちの顔を見回した。
「季村くん、何かある?」
いきなりの名指しに至は思わず、
「あ、あのー、女子部員はいるんですか?」
みんなの失笑が漏れ、沢渡自身も苦笑いしながら、
「うーん、残念ながら女子はいないよ。女子部を作るって話もないし。期待はずれだったかな?」
「い、いえ、そんなつもりじゃ」
「女子マネージャーはいたんだけどね、今年の初めに辞めてしまったんだ。なんならキミがマネージャーをやってみるかい?」
そこへ眉の太い、精悍な顔立ちの部員がこちらに近づいてきた。とても中学生には見えないオッサン顔である。
「紹介しておこう、三年で主将の高倉来明(たかくら らいめい)くんだ。何かわからないことがあったら、僕か彼に訊いてくれ。あれ、トニーは?」
「来ていませんよ。ナンパにでも行ったんじゃないですかね」
ナンパ?
顔を見合わせる龍たち、副主将のトニーはどうやら遊び人らしいが、それこそ実力第一主義、実力さえあればそんな男でも副主将が務まるといったところか。
「困ったヤツだな。一年生の前で互格稽古をやってもらおうと思ったんだけど。それじゃあ主将……と、そうだな、牙門でやろうか」
「わかりました。おーい、牙門」
来明が声をかけると、上級生の中でも一際目立つ、白い稽古着に白い袴の男が進み出たのだが、彼の美貌には皆、息を呑んだ。
その美貌の男、二年生の秋牙門(しゅう がもん)は中国からの留学生で日本語も流暢に話す。剣道のスポーツ推薦によって入学したという経緯は龍と同じ、先輩にあたるわけだが、龍のボサボサ髪とはまるで違う、艶やかで腰まである黒髪はひとつに束ねられていた。
肌は抜けるように白く、切れ長で涼しい目元、笑みをたたえた唇は桜色と、ずば抜けた美しさと、普段から白い着物を着ているため、彼は『常聖の白い貴公子』──龍曰く「なんじゃそりゃ」──と呼ばれている。
「さて、せっかくの機会だから、先輩たちに試合形式で打ち合ってもらう。初心者の人は特によく見ていてくれ。剣道の試合の雰囲気がわかってもらえると思うよ」
来明と牙門はそれぞれ面をつけると、試合場の開始線の前に立ち、竹刀を基本の中段に構えた。
「始め!」
来明の力強い掛け声と、牙門の凛とした声が武道館内に響き渡る。
その声は彼らの竹刀の動きともリンクしており、激しく打ち込む来明の竹刀をスルリとかわす牙門、防具の重さを感じさせない柔らかな姿に、龍は思わず身震いした。
(すっげぇ! あの牙門って人、すごい使い手だ)
剣道は面で顔が隠れる上に、同じような色合いの稽古着や袴、防具をつけるため、個人の区別がつけにくい。他のスポーツのように、カラフルなユニフォームというのは存在しないのだ。
そのため、試合の時は垂という部分に名札をつけた上、胴紐に赤と白の紐をそれぞれ結び、三人の審判員が同色の旗を持って、有効打突──技が決まったかどうか──を審議し、決めた方の色の旗を上げる。
試合は三本勝負のうち、先に二本を取った者の勝ちとするが、主審を務める沢渡と、副審の三年生二人の合計三つの赤い旗が上がり、まずは牙門が一本を決めた。
だが、来明も負けてはおらず小手を入れ、最後に牙門が面を決めて、この勝負は牙門の勝ちとなった。
額の汗を拭いながら、来明はこの美形の後輩を讃えた。
「さすがだな、牙門。今度の団体戦、大将はおまえかもな」
「そんな、恐縮です」
微笑みながら牙門は謙遜する。が、実力は明らかに彼が上だった。
「グレイト! ボク、絶対入部するね!」
先輩同士の戦いを目にして、興奮冷めやらぬロッキーが意気込むと、龍はニヤニヤしながら、
「そうこなくっちゃ。で、ドクターはどうするの?」
「えっ? ど、どうしましょう……」
3
ロッキーに無理やり連れてこられたのだ。成り行きで仕方なかった……とはいえ、ノートには名前を書いてしまった。見学だけで入部決定ではないとは言われたけれど、じつは科学部に入部するつもりだなんて、今、ここでは言えっこない。
そんな至をさらに追い詰めるかのような展開が待っていた。
互格稽古を観戦したあと、上級生たちと一年生は互いに向かい合い、並んで座るよう指示された。
「それじゃあ、一年生に自己紹介してもらおうかな。一番右の人からどうぞ」
さっき龍に絡んだ一年生の一人、宍戸が指名されて立ち上がる。
クラスと名前、どこの道場に通っていたか、剣道歴などをそれぞれに語り、やがて龍の番になった。
「一年B組、春日龍です。祖父がやっている道場で練習していました。ヨロシク!」
名乗ったとたんにざわめきが起きたが、それは『特待生』という名誉の称号がもたらしたものであり、上級生も一年生たちも、驚きの表情で彼を注視した。
「こいつが今年の特待生か」
『特待生』──どうやら龍は他の一年とは比べものにならないほどの強いプレッシャーを受ける立場のようで、先の連中には何も言わなかったくせに、上級生からいきなりの言葉が飛んだ。
「目指すは全国大会だよな?」
「えっ? はあ……」
戸惑った龍だが、すかさず笑顔で、
「そうですね、オレが入部したからにはぜひ、全国制覇を実現したいと思います」
本人はリップサービスのつもりだったが、かえって顰蹙を買ったらしい。この生意気な一年にひと泡吹かせてやろうと、
「特待生は毎年、自己紹介で一芸を披露するのが慣例だぜ」
「なんたって特待生だもんな」
などと、三年生の数人が言い出した。
「一芸の披露? 去年はそんなことやりませんでしたけど」
牙門が首を傾げ、来明もこれはやり過ぎだと言いかけたが、沢渡の腕が彼を押しとどめた。
「春日がどう反応するか、見たくないか?」
しばらく考え込んだ龍だが「あっ、そのテがあった」と言いながら武道館を出て行くと、一本の傘を手に戻ってきた。
「ウチでこれやると、じいちゃんに怒られるんだけど……」
傘を広げ、その上に自分の小手の片方を乗せた彼は傘の柄をくるくると回しながら「テケテンテンテン~」と、調子よくお囃子を口ずさんだ。
「……ハイ、おめでとうございます! いつもより余計に回っておりますぅ~」
しばし呆気に取られた部員たちだが、やがてその場は爆笑の渦となった。
「なんだぁ、こいつ」
「芸人目指した方がいいぞ」
龍の倍近く体積のありそうな大男、三年で黒人のジャックが龍の頭を小突いてはファンキー、ファンキーを繰り返して大ウケ、彼はみんなに揉みくちゃにされてしまった。
「うわぁ、すげえ馬鹿力。ちょっ、ちょっと痛てぇよ、やめてくれぇ~」
こうして龍は持ち前のキャラクターで、部内のギスギスした雰囲気を一瞬にして明るく変えてしまったのだ。
(すごいよな、龍君は。実力第一主義だなんて、周りは仲間というよりライバルじゃないか。みんな何だかカリカリしていて、特待生だってわかったとたんに集中攻撃だし……なのに、いきなり人気者になっちゃうし、自分を目の敵にしていた人たちまでペースに巻き込んじゃって、たいしたもんだよ)
至の視線に気づいた龍がピースサインを出す。明るくてあっけらかんとした、頼もしくて最高の友だ。
「はい、それでは次の人」
「一年C組、季村至です。剣道の経験はありませんが、マネージャーをやりたいと思います。よろしくお願いします」
……❸へ続く