MY MEMORANDUM

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パールの変調 ❷

    第一章

「大変長らくお待たせしました。ただいまより第五十七回神明大学三曲研究部定期演奏会を開催いたします」

 アナウンスの声が響くのと同時に館内の照明がゆっくりと消えて、灯りは緞帳に当たるスポットライトのみになった。

「プログラムナンバー一、八橋検校作曲による筝曲『六段の調』。本年度の一年生七名による演奏です」

 緞帳が上がり、ステージを頭上のライトが照らすと客席から大きな拍手が沸き起こる。敷きつめられた緋毛氈の上、向かって左側に並べた三面の箏の前で斜めに正座するのはさっき受付をやっていた女子部員たちで、真ん中に座って正面を向くのは三絃を構えた男女の学生、さらに右側には尺八を構えた男子二人。ちなみに箏の数え方は一面二面……で、三絃は一棹、尺八は一本、だそうだ。

 筝曲とは箏をメインにした作曲の手法をとっていて、たいてい箏の二重奏や、尺八との合奏などが多いけれど、三絃の手が入った曲もある。作曲者の名前が何某検校と書かれているのはいにしえから弾き継がれている古曲と呼ばれるもので、それに対して新曲というのは宮城道雄らによって作曲されたもの。その名前なら聞いたことがある、春の海は彼の代表作だってさ。

 一生懸命に演奏する一年たちだが、かなり緊張しているらしく音がぎこちない。聴いている方も肩が凝りそうだった。

 続いて二回生トリオの登場、箏と三絃の女性は艶やかな振袖姿で、尺八の男性は紋付袴を着ている。先ほどの一年は全員が白黒の洋装だったけど、邦楽の演奏会たるもの、やはり着物が似合う。

 彼らが演奏しているのは三絃メインの古曲で、優雅な気品にあふれた箏の音、情緒豊かな三絃の音、わびさびを感じさせる尺八の音、どれもこれもが日本人の感性に訴える和の音だ。

 ふだんはギターやドラムといった洋の音に浸り、ロック三昧の生活になっていようとも、オレのDNAにもそんな遺伝子が組み込まれているのだとつくづく思った。若者はもとより年配の人でも、クラッシックのコンサートを聴きに行く機会はあっても邦楽を聴くなんてチャンスはなかなかないだろう。一度は聴いてみるのもいい。

 しかし、最初は物珍しさもあって熱心に拝聴していたものの、晴れ舞台に臨んでいる部員の皆さんには申し訳ないけれど、似たような曲が続くうちに飽きてしまった。

 欠伸をかみ殺しながら、それでも半目を開いて何とか『聴く姿勢』を保っているオレに対し、隣のオヤジときたら、さっきから目を閉じたまま、身動きひとつしない。プレッシャーを与えるほど近い距離にいるということは向こうからもこちらの様子が丸見えとなるわけで、そこで寝てしまってはあまりにも失礼だ。

「おいこら、寝てんじゃねえよ」

 脇を肘で突くと、すかさず「寝てないわよ」という返事。目を閉じて、耳を研ぎ澄まして聴いているのだと理屈をつけた。

 呆れているうちに演奏が終わり、次に緞帳が上がった時、さっきまでとはガラリと違う光景を目にして面食らった。背景のスクリーンには碧色が映し出され、それが下にいくにつれて深い色へと濃度を増してゆく。海底を表現しているらしい。緋毛氈を取り払った舞台には木製の台──立箏台という名称だそうだ──に乗せられた箏が一面、その後ろには普通のものより大ぶりの箏がこれまた一面用意されているが、そいつを見た先生の講義が再開した。

「あれは十七絃と呼ばれる箏で、その名のとおり絃が十七本あって音域が低いの。ふつうの箏をギターとしたら、ベースってところね」

 ギターに対してベースは絃の数が少ないけれど、こちらは反対に四本多いというのが興味深い。十七絃の絃そのものはかなり太く、演奏するにあたっては力がいるのではと思われた。

 演奏者たちはそれぞれの配置についており、箏の傍らで椅子に腰掛けているのはスカートの部分を膨らませたデザインの白いロングドレスを着た、飛び切りの美人だった。いや、年齢的には美人が正しいけれど、スポットライトを浴びて柔らかに微笑んでいる顔は愛らしい美少女という表現がぴったりで、箏は琴でも、ハープ、竪琴が似合う優雅な雰囲気の持ち主だ。

 大きな瞳に長い睫毛、ウェーヴさせた髪を肩にふわりと下ろした儚げなたたずまいは陳腐な表現だけれど、白い花の妖精か、白い羽根の天使が舞い降りたといった感じで、登場したその一瞬にして会場中の男の視線を釘付けにしたと言っても過言ではないだろう。

 そんな彼女の後方、十七絃の傍に腰掛けた女子学生も同じく白いドレスを着ているけれどデザインは違い、丈が短くて胸元が大胆に開いたもの。豊満な胸を強調したいのだろうが目のやり場に困るし、優雅とか気品を大切にする演奏会の雰囲気にはそぐわない。

 当人は白い服を着ていても真っ赤なハイビスカスを連想させる派手な顔立ちの美人で、金髪に近い髪をくるくると巻いた、今ふうに表現するとキャバ嬢タイプってやつだ。

 美少女の横に並んだ三絃の担当は二人、一人目は男で、黒いワイシャツに黒いスラックスという、黒ずくめの格好をしている。SFアクション映画の主役になれそうな、目つきの鋭いワイルドな色男で、棹を垂直に立てて構えている様子がいかにも「カッコつけてる」と揶揄されそうだ。

 その隣に並ぶのは三人目の美人、ここのサークルに美男美女が揃っているという驚き以上に、それがこの演奏グループに集中しているのは奇妙な感じがした。三番目の美女の白ドレスは襟がスタンドカラー、身頃はボディコンシャスなデザインで、当人は日本人形のような黒髪のストレートのロングヘアーに知性が漂うクールビューティーだが、彼女にしろキャバ嬢にしろ、浮世離れしたスーパー美少女のせいで存在が霞んで見えるのが気の毒だった。

 最後はタケ担当、ここは男が一人きりで肩身が狭そうに座っている。メガネをかけた生真面目な感じのヤツで、三絃のワイルド氏と同じ格好をしているのに違う服に見えてしまうのが不思議なほどだ。

「あれが島村くんよ」

 急いでプログラムを見返す。

『水沢健夫作曲  現代邦楽「真珠の雫」

箏   谷崎聖子(法二)

十七絃 杉本摩耶(文三)

三絃  中条哲(理工三)

    林田愛美(理工三)

尺八  島村譲(経三)』

 現代邦楽というのは新曲以降に作られたジャンルで、現役のプロの演奏家が作曲する場合もあるらしい。そのメロディーは古曲などと異なり、クラッシックに近いフレーズで、邦楽に馴染みのない人にはむしろこちらの方が聴きやすいとか。

 演奏するにあたっても和装より洋装で、椅子に腰掛けて……といったスタイルが好まれるらしく、それでドレス着用なのかと納得した。白を選んだのはタイトルの真珠をイメージしてのことだと思われるけれど、男たちが黒ずくめなのはなぜだろう。白シャツに白スラックスを履くと何とか部長みたいだし、かといって白黒じゃ一年男子と同じでイヤだとごねた結果かな。

 紹介のアナウンスが流れ、沸き起こった拍手が鳴りやむと同時に、妖精美少女が絃に手をかけた。静かに、物悲しく鳴り響く箏の音に十七絃の深い低音が入り、ひと呼吸置いたのちに尺八、それから三絃が合奏に加わった。クラッシックというよりは異国の民族音楽に日本の童謡がミックスされたフレーズで、しばし異空間に引き込まれたような感じを覚える。

 この五人、なかなかの演奏者じゃないかと感心していると、オレの心中を見透かしたようなコメントが返ってきた。

「なかなか上手いですって? たしかに一人一人は上手だけれど息が合っていないわ。不協和音ってやつね。みんなバラバラなのは、きっと仲が悪いからね」

 中盤にさしかかるとリズムはアップテンポになり、それぞれが奏でるフレーズも早く、激しくなる。

 物悲しさは狂おしさへと変わり、悲しみというよりは狂気に満ち、涙を流すよりも嘲笑っているようで、真珠の雫が涙を意味しているとしたら、そのタイトルは間違っていると否定したくなった。

 先生は例によって目を閉じ、眉をしかめ、不協和音を仕方なさそうに聴いていた。一方のオレは各自の指の動きに注目していた。よくあれだけ早く動くものだと感心していたからだ。

 その時、十七絃のキャバ嬢が不審な動きを示した。一瞬、絃を弾くのではなく別の行動をとったのだが、それは右手で口の中に飴かガムのようなものを放り込んだかに見えた。

 とにかく、あまりの早業にその行動が何だったのかわからないままポカンとしていると、その直後に彼女はもの凄い勢いで立ち上がった。はずみで椅子が倒れ、バタンという強い衝撃音が響いて、突然の出来事に驚いたらしい残りの四人の手が止まる。

「ああ……うっ、うう」

 キャバ嬢・杉本摩耶(すぎもと まや)は苦しげに呻き声をあげながら、胸のあたりをかきむしるような仕草をした。

「お、おい、どうした?」

 仲間の異変に気づいたメンバーが声をかけると観客席もざわつき始めて、会場中が不安に包まれた。

「た、助けて」

 助けて? 今、そう聞こえたけれど、いったい何が起きたというのだ。咄嗟にどうしていいのかわからない人々の前で、なおも呻いていた摩耶の顔色がみるみるうちに変わった。

「えっ、そんなはず」

 バシャーンッ! 

 ドレスの裾を翻し、白い身体は前方に勢いよく倒れ込んだ。飛び散る暗褐色の吐しゃ物、十七本の絃が鈍い叫びを上げたとたん、女たちの甲高い悲鳴が耳をつんざいた。

 楽器を放り出した中条哲(なかじょう さとる)が駆け寄り、大きな箏に身を委ねた女を抱き起こした。

「摩耶! おい、しっかりしろ!」

 何度も名前を呼びながら女の青白い頬を叩く男、彼らを見つめて立ちすくむ三人、それぞれに眩しいほどのスポットライトが当たったままで、その様は見守る側に不思議な感情を抱かせた。

 なんて現実味のない光景だ。オレは以前、先生に連れて行かれた演劇の舞台を思い出していた。古典ミステリを題材にした、西洋の古い館で起きる連続殺人事件を扱っており、名探偵と犯人の攻防戦という、いかにも本格っぽいシチュエーションの内容だった。

 目の前の景色はまるであの時の舞台のようだ。俳優並みの美男美女が揃った舞台上の出来事は演出、本当は演奏会ではなく演劇の発表会なのではないか。そんな気持ちにさせるほど、芝居がかった彼らの様子に戸惑っていると、女の大きく見開かれた目は死の恐怖に怯えながら凍りつき、やがて身体の震えも止まってしまった。

 演出でもなく悪い冗談でもないとわかると周囲はパニック寸前、そんな中で隣に座っていた人物が腰を上げたため、オレは何かを祈るような気持ちで行く手を見守った。観客席から舞台へと続く短い階段を素早く昇り終えた先生は取り乱す男と、硬直しかけている女の傍に歩み寄り、その手首に触れた。

「かなり厳しい状態ね。ちょっとあなた、ぼんやりしていないで、口に指でも突っ込んで、もっと吐かせてみなさい」

 突然の出来事に抜け殻となっている哲を叱咤すると、右の端に視線を移した先生は「島村くん、急いで救急車よ。それから警察にも連絡して」と命じた。

「……は、はいっ!」

 それまでおろおろとうろたえていた部長が慌てて舞台の袖に向かう。次に先生はオレの方を向いて合図した。

「創、いいわね?」

「わかった」

 正面玄関へと飛ぶように走るオレの背中を追うかのごとく、観客席に向かって大声で叫ぶ先生の声が響いて聞こえた。

「緊急事態が発生しましたが、皆さんは落ち着いて行動してください。まずはそのまま席に座って、警察の到着を待ちましょう。そのあとは彼らの指示に従ってください」

                                 ……❸に続く