Ⅷ オカマ探偵の名推理
一夜が明けた。
真夜中の事件が頭を離れず、寝つかれなかった創と、レム睡眠まっ最中にたたき起こされてしまった尚人はそれぞれぼんやりとしたまま、ふらふらと階段を下りた。
それでも八時という時間に誰ひとり遅れることなく、朝食の席に着く。
食卓の上には焼きたてのトーストにバターとジャム、グリーンサラダ、ベーコンとスクランブルエッグからは湯気が立っており、コーヒーとミルクのほかにオレンジジュースも用意されていた。
だが、せっかくのおいしそうな料理を前にしても人々の顔色はさえず、もくもくと食べ物を口に運ぶ様子はまるで、お通夜のようだった。
食事が終わって一服したところで、食卓に着席したまま、四回戦・暗号の解読結果発表へと突入した。
「先の人の意見がヒントになるとフェアではありませんから、お二人には紙に書いていただきましょうか」
そこで薫の用意した大判の紙とマジックペンが尚人と歌純に手渡された。
(尚人のヤツ、けっきょく誰にも何も相談しなかったし、ずっと余裕こいて寝ていたけど、わかったのかな?)
見守る友の気持ちを知ってか知らずか、尚人はあいかわらず眠そうな顔をしながら、ペンを走らせていた。
「それでは尚人くんから発表してもらいましょう」
「はい」
尚人が示した紙には『青い石(サファイア)の隠し場所』と書いてあった。
「ほほう。これはまたどうして?」
「暗号のタイトルにあった青い石ですが、先生が夕べ、金庫の宝石を見せてくれたのはこれに関するヒントだったと思うんです。あの箱の中に青い色をした石はひとつもありませんでした」
では、トルコ石でもアクアマリンでもなく、サファイアに限定したのはなぜか。
「ダイヤ、ルビーといった高価な石と肩を並べる青い石といえばサファイアです。それに先生は優勝チームへのプレゼントとして、ダイヤかルビーか、サファイアかとおっしゃいましたよね」
「おお、よくおぼえていましたね」
「だから、先生はあの中からサファイアだけを取り出して、この建物のどこかに隠したんじゃないかなって思ったんですけど、そのどこかまでは見当がつきませんでした」
三島先生は尚人の答を聞いて、満足そうにうなずいた。
「さすが尚人くんだ。そのとおり、暗号はサファイアの隠し場所を示したものです。なかなかいいセンまでいきましたよ」
続いて答を披露するよう言われた歌純は恐縮した様子で、
「ごめんなさい……まったくわかりませんでした」
と、言いながら白紙を差し出し、それを見た三島先生はさげずむような目をした。
「書斎に忍び込むという大冒険をやったあとですから、暗号どころではなかったというわけですね」
その言葉を聞いた圭輔が驚きの声を上げた。
「えっ、歌純さんが忍び込んだって、それはどういう意味ですか?」
「昨夜の騒ぎですよ。みんながパジャマに着替えている時間にスーツ姿のままで、しかも真夜中になって忘れ物に気づくなんて、不自然としか思えない。あなたは皆が寝静まる時間まで待ってから書斎へ入った。目的は何だったんですか?」
「そ、それは……」
歌純は気の毒なほど顔色を青くしている。
圭輔はといえば憤慨した様子で、
「ちょっと待ってくださいよ、先生。まさか歌純さんが宝石を盗もうとしたとでも? オレらの力でやっと開いた金庫ですよ」
「つまり、キミが力を貸せば開けられるということですね」
「どろぼうの正体はオレ? そんなバカな、冗談じゃない! だったら、何ひとつ盗まれずに残っていた理由はどう説明するんですか?」
自分の言葉に酔い、しだいにエキサイティングしてくる圭輔に、
「これは失礼。どろぼうだなんて、本気で思いはしませんよ」
と、わびたあと、三島先生は歌純の目的を暗号のヒント探しではないかと言い出した。
なぜなら、歌純がいたのは奥のドアの前で、もしも宝石が目的ならば、金庫の位置からも階段からも近い手前のドアから入るのが自然である。
それをわざわざ奥まで行った理由──目的は机の引き出しの中にあったから、そこに暗号のヒントとなるものが入っていると考えたからではないかということだった。
「どうですか、総一朗くん。キミも気づいていたんでしょう? キミほどの人が昨夜の状況において、何も言わずに引きあげたのは、あれが歌純さんの狂言である。転んだか何かで声を出してしまったのをごまかすためだとわかったからではないのですか?」
(そうか、それで夕べはさっさとおひらきにしたんだ)
真夜中の騒動において、あっさりと解散したことに納得のいった創だが、せっかく現行犯あつかいしなかったのに、この場で改めて歌純を責めたのでは、よけいに気の毒ではないかとも思った。
三島先生に話をふられた総一朗は困ったような笑みを浮かべた。
「ええ、そうなんですけど……でも……これ、言っちゃっていいのかしら?」
「エラそうに、何もったいぶってんだよ。先生、こんなヤツの話なんか……」
つっかかる圭輔を制止すると、三島先生は総一朗に説明を求めた。
「ここに到着したとき、先生がケヤキ社に新作を依頼されて、それを書き上げたばかりだという話を聞きました」
「ええ、たしかに」
「そこで、できたてほやほやの原稿が机の引き出しにしまってあるのではと考えた。歌純さんの目的は暗号のヒントではなく、原稿だった。アタシはそう推理したんですけど」
図星だったらしい、歌純はますます青ざめた顔で、体をちぢこませていた。
たしかにヒントよりも原稿の方が机に入っている確率は高いし、説得力がある。
「……でも、書斎に入る前に、あの白いものを見ちゃって、それで」
幽霊らしきものはほんとうにいた、そのせいで中には入れなかったと、歌純はいいわけをした。
新作の原稿を盗み読みしてどうするつもりだったのかは黙秘したままだが、クヌギ社の編集者として、何らかのたくらみがあったのだろう。
「それより、先生」
三島先生が歌純に対して文句を言い出す前に、せっかくだから、暗号解読の続きをやろうと総一朗が提案した。
「これで終わりにして、ただ先生の解説を聞くんじゃあ、みんなもつまらないでしょうから。ね?」
そこで創はまっさきに手をあげた。
「総一朗さんに賛成」
「ワタシも優勝とか、賞品とか、そういうのは抜きにして、暗号にチャレンジしてみたいです」
「ボクもリベンジだ」
凛子チームメンバーのセリフに、めずらしく良太たちが同意したため、圭輔はプイとあちらを向いた。
「いいでしょう。キミはとっくにわかっているみたいですからね。ちなみに、どれくらいの時間で解けましたか?」
「はあ、じまんするようで恐縮ですが……五分ほどで。ただ、その考えをたしかめるための時間がかかりましたけど」
子どもたちの間にどよめきが起こった。圭輔だけがおもしろくないといった顔をしているが、黙っていた。
「さすがですね。では、この場は総一朗くんにおまかせしますよ」
「ありがとうございます」
そこで総一朗は暗号解読にチャレンジする小学生五人に白紙とペンを配ると、尚人の持つ暗号の文章を手元の紙へと書き写すよう、指示した。
「これからアタシがヒントを出すけど、自分の力でチャレンジしたいっていう人はいるかしら? いないようね。それじゃあ、文章の内容から検討してみましょうか」
オカマ先生の暗号解読教室、はじまりはじまりだ。
「さて、この文章に登場するのは『私』と『僕』で、『僕』と『貴方』は同一人物と考えられるわね」
そこで尚人が発言した。
「『私』は『僕』のそばで、孤独な『僕』をはげましているという内容とタイトルから考えて、青い石が『私』で、美は『僕』という擬人法を使ってるんだと思いました」
「そのとおり、擬人法ね」
「美のかたわらに青い石がいる、つまり美のところに青い石が隠されているんじゃないかって」
「そうね。尚人くんの解説、バッチリよ」
総一朗がほめると、尚人はうれしそうな顔をした。
凛子憧れのオカマ従兄に対して、これまで反発し続けていた尚人の変化に、創は驚きながらも、いい傾向だと思った。
「それじゃあ、美とは何者なのか。あら、凛子、何か言いたそうね」
「美術品じゃないかしら? ここにある骨董品とかアンティークとか、絵画をまとめて美術品。先生もこの建物をプチ美術館って呼んでいたし」
凛子は自信なさそうに答えたが、
「はい、ご名答」
と、総一朗が言ったので、はにかんだような笑顔を見せた。
「そっかー。美術品の美か」
まったくわからなかった創は二人の説明に感心するばかりだった。
「でもさ、どいつが『僕』なのかな?」
たとえば花びんや壷の中、あるいは絵画の裏側にサファイアが隠してあるというのだろうが、美術品と呼ばれるものは館にイヤというほどある。この中から『僕』にあたる何かを探すのはとうてい無理だ。
「そうなのよ。ここにたくさんある美術品のうちのどれか、それをしぼり込むためのヒントが文中の言葉にあるのよ。どう、良太くん。気になる言葉はない?」
名ざしされた良太はビクリとしたあと、おずおずしながら答えた。
「いや、別に何も……」
「じゃあ誰か、ここが気になるって人は?」
そこで彩音が大いばりで、
「『一人』と『独り』とか、『寂しい』と『淋しい』みたいなところ。漢字の使い方が変だと思うわ」
と、言い放った。
すると総一朗はにべもなく答えた。
「それはヒッカケよ」
どうあっても、生意気な小娘の存在は気にいらないらしい。
自分の意見をスッパリ否定されて、彩音はふくれっツラをした。
「気になる言葉か……」
何度も文章を読み返していた創はふと、不自然な言葉に気づいた。
「総一朗さん、あの……『もう泣かない』って、前後のつながりから考えると、何かおかしくないですか?」
すると、総一朗は目を輝かせながら創の方を見た。
「よく気がついたわね。そうよ、アタシもここが変だと思って、そこで隠された意味に気づいたのよ。ふつうだったら何という言葉を続けるかしら?」
「ええっと……『もう泣かないで』でいいかな?」
「オッケー、オッケー。この言葉は先生がわざと組み込んだヒントなのよ。さあ、これでわかったわね」
「……いや、それが」
みんなが黙りこくってしまったのを見て、総一朗は脱力のポーズをとったが、すぐに立ち直ると、すべての文字をひらがなにしてみろと命じた。
「ひらがな? 何でまた」
とにかく言われたとおりしようと、さっき写した文章の下に、ひらがなで書いてみる。
「びのかたわらのあおいいしがゆううつをすくう……だろ」
「さあ、いかが? あら、まだわからないようね」
そこで総一朗は次の手を提案した。
「それじゃあ、今度はローマ字に変換してみましょうか。大文字小文字は関係ないから、どちらを使ってもいいわよ」
「BINOKATAWARANO……と」
地道な作業が続く。
「さて、何か気づいたことはない?」
「気づくって言われても……」
暗号がローマ字になって、ますますわけがわからなくなったようだ。
良太などは眉間にシワを寄せて、むずかしい顔をしている。
「BINO……だろ、SABISHIIJIKAN……」
(さっき総一朗さんは『もう泣かないで』を『もう泣かない』にしたのがヒントだって言ったんだから、絶対にここの文が重要のはずだ。『もうなかない・で』『MOUNAKANAI・DE』……)
「あっ、そうか、わかった!」
創は興奮して叫んだ。
「Eだ! この暗号に使われてる文字は母音のEがひとつもない! Eが入るから『DE』、つまり『で』の文字は使えないんだ!」
「はい、よくできました」
総一朗は拍手をして、創の快挙をほめたたえた。
「どうしてサファイアという言葉を使わずに、青い石という表現にしたのか。サファイアはSAFAIAではなく、本当の英字のつづりはSAPPHIREで、Eが入ってしまうから使えない。そこまでこだわったんですわよね、先生」
総一朗の言葉に、ずっと子どもたちの暗号教室の様子を見守っていた三島先生がニコニコしながらうなずく。
「それじゃあ『エ行』の文字を使わない理由を考えればいいんですね?」
創に先を越されたのが悔しいらしく、尚人がムキになっているのがわかる。
学校のテストではいつも負けっぱなしの、学年一の秀才よりも先に、Eのことに気がついたのだ。
創はちょっと得意気になった。
(よーし、こうなったら尚人よりも早く暗号を解いてやるぞ!)
「『エ行』の文字は……」
「エは使わない」
「エがない」
「エ、え……絵?」
「あ、これって絵画の絵のことかも」
すかさず先に答えてしまった友に、しまったと思うまもなく、尚人は総一朗に食ってかかった。
「絵が、絵画がひとつもないという意味ですか? それなら正反対だ。この建物には絵画がみちあふれていますよ。これだけいっぱいあったら、どの絵が『僕』にあたるのか、特定できません」
「だから『僕』は絵画ではないのよ。絵がひとつもないというより、絵ではないと、とらえたらどうかしら」
「絵じゃないの?」
『僕』は絵画以外のものだ。
『僕』は友も仲間もなく、一人で孤独に過ごしている。
孤独ということはつまり『僕』のまわりには仲間と呼べる美術品は何も置いてないという意味か。
さらに孤独を訴える『僕』のもとに『私』がやってきて、そばにいるからと励ましている。
サファイアを美のところに隠したことにより、『僕』はひとりぼっちのユウウツから解放されたのだ。
「絵じゃなくて、それだけ単独に置いてあって……絵じゃなくて……」
創は呪文を唱えるように、同じ言葉をぶつぶつと何度もつぶやいた。
この集いの間はもちろん、これでもかというほどの美術品が飾られているし、先生の書斎にもそれらはあった。
次に自分たちが泊まった客間、すべての客間には油絵と骨董品がそれぞれ一品ずつ飾ってあるはずだ。
(そうだ、総一朗さんはそれを確認するために、空室とオレたちの部屋を見たあと、明日の朝は凛子たちの部屋を見せてもらうって話していたんだ)
使われていない部屋はどうかわからないが、自分たちが出入りしない場所に隠すほど、先生もアンフェアではないだろう。
廊下にもずらずらと並んだ大きな壷やら、白い指にビビらされた等身大のフランス人形、古めかしい貴婦人の肖像画などを思い浮かべてみる。
あった! ただ一ヶ所、条件にあてはまる場所が──
「……わかった!」
創は勢いよく廊下に飛び出した。つられて尚人たちも部屋の外に出る。
みんなが見守る中、創は玄関わきの飾りだなに掛けてある額縁──時雨の森近辺の風景写真──を指さした。
「ほかの骨董品や絵とは離れて、ここにひとつだけある。そんでもってこいつは……」
そこで創は大きく息を吸い込んだ。
「絵ではない、写真だ! 写真は建物の中でこれひとつ、絵ではない僕の正体は額縁に入った写真だったんだ!」
どよめきとも、ため息ともつかない声がギャラリーからもれる。
満足そうに創を見ていた総一朗は三島先生の方を向くと、
「先生、これが正解でよろしいですね?」
と、念を押した。
「ええ。よくわかりましたね、創くん。すばらしい推理でしたよ」
「えへへへ……」
神明大のオカマ名探偵に続いて、有名作家からおほめの言葉をいただいて、創のテンションは最高潮。
さらに裏を確認してみろと言われ、吊るしてあった金具から額縁を取りはずし、裏返しにしてみると──
「えっ? 何も……ない」
いっきにテンションは低下、顔が青ざめてくるのがわかる。
(先生は正解だって言ったのに、なんで何もないんだよーっ?)
驚いたのはみんなも同じで、特にサファイアを隠した張本人の三島先生は目を大きく見開き、
「そんな、バカな……」
と、言ったきり絶句してしまった。
「たしかにここにはりつけたはず……黒い、小さなビニール袋に入れて、絶対にはがれないようにテープで厳重にはったんだ。間違いない!」
「テープのあとが残ってるわ」
額縁の裏を調べていた総一朗はそう言い、暗号を解いた誰かが先まわりしてサファイアを持っていったのだろうと続けた。
「それ、おまえじゃないの?」
今まで黙っていた圭輔がわざとらしく総一朗を挑発した。
「何ですって?」
「オレらはおまえにヒントをもらって、やっとわかったんだ。こんな暗号、さっさと解けるのはおまえしかいないだろ? それをほかのヤツのせいにしようなんて、ずうずうしいにもほどがあるぜ」
「まあ、失礼しちゃうわ」
険悪なムードがただよう中、三島先生が助け舟を出した。
「いや、もしも総一朗くんが犯人なら、自分が暗号を解いたと、みんなに知らせるはずはありませんよ。わからなかったフリをした方が疑われなくてすみます」
「じゃあ、いったい誰が?」
それぞれが疑いの目で顔を見合わせる。
暗号は昨夜のうちに公開された。
それさえ解ければ、誰でもサファイアを手に入れることができたのだ。
(まさか幽霊が盗んだとか、隠したなんてことは……)
あまりにも非現実的な考えに、創は頭をふってそれを打ち消した。
はたして犯人はこの中にいるのだろうか。
それとも、いたずら好きな幽霊のしわざなのだろうか──
……❿に続く