シーンⅤ スーパーバトル
家に戻った隼人は夕食もそこそこに、二階にある自分の部屋へと引っ込んだ。
明日は早起きして勉強に取り組みたいから早く寝るのだという言葉を信用したのか、母は特にコメントしなかったが、もちろん本当に勉強するはずもなく、彼は机の前でじっと考えごとを始めた。
引っかかるあのセリフに加えて、読まれていた尊の行動──彼が言うように、ライターは挑戦状だったとしたら、犯人はすぐそばまで来ていたことになる。
「よし! これならつじつまが合う」
ただし、わずかな手がかりと、自分の頭で考えただけのストーリーだ。
本当にそうなのか確証は持てないけど、いつまた放火されるかと、ハラハラしているよりはマシ。やるだけやってみるしかない。
そうと決めればレッドオリジナルの作戦開始だ。協力すると言ってくれたのだからと、隼人はさっそく立花へのメールを打ち込んで送信した。
『今からそちらに向かいます。ご協力をお願いします』
数分とたたないうちに、立花からの返信が届いた。
『わかりましたがムチャはしないように』
「ムチャをしなけりゃ、事件は解決しないって」
隼人は黒装束のつもりの黒いシャツとジーンズに着がえると、ベルトを腰につけてからあらかじめ隠し持っていたクツをはいて窓を開けた。部屋を抜け出すのだ。
快晴だった昼間とは違い、星ひとつなくどんよりと曇った空の下、わが家の庭はまるで暗黒の世界、地獄が大きな口を開けて待ち受けているかのように見える。
ゴクリとつばを飲み込み、彼は気持ちを奮い立たせた。
「大丈夫、オレは指数三百二十七のスーパーヒーローなんだ!」
黄色のボタンを押してスーツ姿になった隼人は次に赤のボタンを押した。
戦い以外の高度なスタントでもバトルモードを使用するが、それを試す時がきたのだ。
「細胞のひとつひとつに命令を出して、頭と身体で感じとれ!」
屋根を踏み切ると、身体がふわりと宙に浮いた。
「成功、やりぃ!」
あちらの屋根からこちらの屋根へ、音もたてずに飛び移る様子は映画かドラマで観た忍者のようだ。
いやいや、あれはCGだけど、こっちは実写の忍者レッドだ。
すっかり調子に乗った隼人はスピードをあげて目的地へと向かっていたが、そんな彼の足下の道路にひとすじの光が見えた。こちらと同じ方向を進んでいる。
(チャリ?)
さすが猛禽類の視力、小さな男の子を前に乗せた母親らしき女性がママチャリで走っているのがはっきりとわかった。光は自転車のライトだったのだ。
保育園へのお迎えの帰りだろうか。早く家に戻りたいらしく、かなり急いでいる。頭上を跳ぶ赤い人物にはもちろんながら気づいていない。
すると右方向から、ものすごい勢いで車が走ってくるのがわかった。このままだと次の交差点でママチャリと衝突してしまうが、タイミングからして、お互いに気づかない可能性が高い。
(ヤバいっ)
考えるより早く、隼人はそちらへと飛んだ。
次の瞬間、
キキーッ!
「きゃあーっ!」
タイヤがきしむ激しい音と、女性の悲鳴がこだまする。
母親は車とぶつかる直前に急ブレーキをかけたのだが、はずみで男の子が前の座席から飛び出してしまったのだ。
地面にたたきつけられたと母親たちが思ったその時、
「……よっしゃ、キャッチ成功!」
無事に道路へと降りた隼人の腕の中で、男の子は目を丸くしてこちらを見上げていた。
「シグナルレッド?」
「あれ、その呼び名を知っているってことは、キミはもしかして、ひまわり保育園に通ってるの?」
大きくうなずいた男の子はそれから、にっこりと笑った。
「あの悪い車をやっつけるやつ、とってもカッコよかったもん」
「カッコよかった?」
「うん。今だってもちろんカッコいいよ。ボクを助けてくれたんだよね」
(カッコいいって……う、嬉しい)
お兄さんは今、モーレツに感激している。
子どもたちからの賛辞、これぞヒーローの醍醐味。気分はすっかりレッドフェニックスだ。正式名称はシグナルレッドでも忍者レッドでも009でもない、九番だけど。
一方、一歩間違えれば大事故を引き起こしていたかもしれない母親と車の運転手はショックと、謎の全身赤スーツ男の出現に声もなく、ボー然と突っ立っていた。
男の子を下ろすと、隼人は二人に声をかけた。
「早く警察と、保険屋さんを呼んだ方がいいですよ。それとも示談にするなら、双方で話し合ってください」
ヒーローが示談を勧めていいのか迷うところだが、あとが控えているので、ここでのんびりしてはいられない。
再び屋根の上に舞い上がると、男の子が手を振っているのが見えた。
「ありがとう、シグナルレッド!」
◇ ◇ ◇
もう少しで大通り公園というところで、隼人は地上の、人影のない場所に降りた。繁華街に近いため、高い建物ばかりで飛びにくくなったからだ。
誰に見られるかわからないから、ここからは変身を解いて歩いて行くしかない。
ベルトの黄色いボタンに指をかけた時、
「ふーん、オレたちとはつき合えねえっつーのかよ?」
などといったセリフが聞こえた。
スーツのままで建物の陰からそっとのぞくと、若い女、それもかなりの美人が五、六人の男に取り囲まれている。チンピラが女性にからむという、ドラマなどで使い古されたシーンを見ているようだった。
(うわー。こんなのナマで見るとは思ってもみな……あれ、あいつは?)
チンピラのひとりに見おぼえがある。顔ではなく、その服装にだ。
(テカテカジャンパーだ!)
PHカンパニーへ面接に向かう日の朝、気弱なオジさんをおどしていた危険な団体のひとりが着ていた服だった。
(そうか。あいつら、あのときの)
ここでのうのうとしているということは刑務所にブチ込まれてはいなかったというわけだ。あの程度の脅迫では無理か。
「やめて! 放してください!」
腕をつかまれた女性が抗議するものの、男たちはニヤニヤと笑っただけで解放するつもりはないようだ。
(ンにゃろう。よってたかって、女の人に乱暴なマネを……許せない!)
胸の中でメラッと怒りの炎が上がるのを感じる。ヒーロー物ならレッドは炎の戦士という役どころだから、基本に忠実なのだ。
(悪党どもめ。あのオジさんの分も含めて、今度こそ天誅だっ!)
ヒーローの力を手に入れた今はもう、気弱な高校生ではない。自分の正義を貫いてみせる。隼人の正義の魂は完全に覚醒した。
「おまえら、その人を放せ!」
いっせいにこちらへと視線を向けたチンピラたちはそれから「えっ?」と言いたげな顔をした。
「イヤがってるだろう、放せよ」
一歩前に進むと、全員一歩後ずさるが、彼らの目には驚きや恐れというより、とまどいが宿っていた。
「な、何だ、こいつ」
「妙なかっこうして、頭イカれてんじゃねえのか?」
「何とかマニアのコスプレだろ」
そのうちにテカテカジャンパー男が気づいたらしく、
「わかったぞ。昼間、公園で変な忍者のショーやってたヤツだ。すっかりその気になってやがる」
出演者は青と黄色とオレンジ色だったとまではおぼえていないらしい。
「なるほど、あの子どもだましか」
「正義のヒーロー気どりかよ。バッカじゃねーの」
ヒーローショーを素直に喜んでくれるのは子どもとお年寄りだけ。成人男性にはバカにされるのがオチのようだが、そんな扱いに負けてはいられない。
「そうやって笑っていられるのも、今のうちだ」
隼人が言い放つと、男たちは「何を!」とすごんできた。
「おまえらみたいなのを社会のダニって呼ぶんだよ。ダニだぜ、ダニ。大きさも存在感もゴキブリ以下で、カやノミといい勝負だ」
この害虫比較にどんな意味があるのかわからないが、チンピラたちはかなりトサカにきたようだ。
「てんめぇー、言わせておけば!」
「ぶっつぶしてやるっ!」
「やっちまえ!」
飛びかかってきた男たちを右へ左へとなぎ倒し、後ろから羽交い絞めにしようとした男は前方へと放り投げる。
「おっと」
ドスッ!
「ぐわっ」
バシッ!
「ぎえっ」
かろうじて体勢を立て直したヤツにパンチをくらわしたところ、相手は十メートル以上も吹っ飛んでしまった。
「うおぉーっ!」
「やべ、もっとちゃんとコントロールしなきゃ、致命傷になるところだっけ」
一度練習したきりだから、カンを取り戻すのが難しい。
そのあとはできるかぎり、パンチやキックを軽めにくり出してみたが、どれもみごとにヒット。
尊と特訓した時の百分の一の力も出していないのに、六人の男たちはあっという間に、その場にのびてしまった。
誰かとガチで勝負して勝てる自信など、過去に一度も持ったことはないので、戦ったためしもない。それがこんなに強そうな連中に勝てるなんて。バトルモード万歳だ。
「……ちっ、ちくしょう」
「こいつ、強すぎる」
よろよろと立ち上がった何人かが恨めしそうにこちらを見た。
「おまえらが弱すぎるんだよ」
すっかり得意げの隼人は「これでもかなり手加減した方だからな。今度弱い者いじめをやったら、こんなもんじゃ済まさない。そのつもりでいろ!」と強気のセリフを放った。
「言わせておけば……」
「ほう、まだやる気か?」
身構えると、男たちは悲鳴を上げてその場から逃げ出した。
あー、気分爽快。正義の味方役はこうでなくっちゃ。
それから、被害者の女性はどうしたかと辺りを見回したが、騒ぎにまぎれてとっくに姿をくらましていた。
「……なんだよ、お礼の一言もなしかよ」
とたんに力が抜けた。
さっきの男の子は「ありがとう」と言ってくれたのに。
怪しげな全身赤色の男の登場にビビッて、関わりたくないと思ったのだろうか。その可能性は高い。
「何かヘコむ反応だよな」
この先、どんなにがんばってみても、それこそ命がけで戦ったとしても、世間の反応は彼女と同じかもしれない。
ヒーローとは孤独なものだと、悟ったようなことを言ってみても失望感はぬぐえない。こんな思いを何度味わったとしても、続けるべき仕事なのか──
スーツ装着を解除して、公園に向かって歩き始めた隼人のテンションはすっかり下がってしまった。
夜空はあいかわらずどんよりして、ユーウツになってしまった気持ちをますます落ち込ませる。景気づけに歌でも歌うか。
「進め! 勝利のその先を 目ざせ! 未来の救世主ぅーてか」
思わず口ずさんだのはヒーローソング。単純だけどわかりやすくて、元気のでる曲だ。
「ま、しょうがないか。大人の中にだって、感謝してくれる人もいるって」
世のため、人のため、ついでにお金のため。ヘコんでいても仕方ないと、気を取り直して歩を進める。
ふたつの事件に出くわしたせいで、かなり時間をとられてしまった。自分が行動を起こす前に放火が起きては元も子もない。
ようやく目的地へと到着したが、隼人はステージには向かわずに、人目につかない場所へと身を隠した。
夜の公園は昼間の騒ぎがウソのように、シンと静まり返っていた。とりあえず何事も起きてはいないようだ。
電話を取り出し、000をコールする。社長ははたして作戦に乗ってくれるだろうか。
『はい、立花です』
「十文字です。今、事務所にいるんですが、ちょっと手続きの件でお聞きしたいので、戻ることはできますか?」
いきなりわけのわからない話題を持ち出してみたが、そこに気づいてくれるかどうか、賭けてみるしかない。
『そうですね。今のところ特に異常はないようですし、十分かそこらならいいでしょう。それでは一度戻りますか』
さすが社長、何の打ち合わせもなしに話を合わせた上に、最高の答えを返してくれた。
「海城さんはどうしてます?」
『そうとう疲れているみたいですね。彼にも休憩するよう、声をかけますよ』
しばらくして、立花と尊が肩をならべて事務所の方角へと歩いて行くのが見えた。この作戦においては二人の警備をいったん中断させるのがカギなのだ。
立花がどうやって尊を説得したのか知りたいけれど、まずは目的を果たさなくてはならない。
再びスーツを装着した隼人は音もなくステージ近くまで忍び寄ると、すぐそばの木の上にふわっと舞い上がり、息を殺して周囲を見下ろした。
それにしても、思惑どおりにコトが運ぶのかどうか、だんだん不安になってくる。ヘタをすれば、またしても放火事件を招くはめになるのだ。失敗は絶対に許されない。
五分、十分……時が無常に過ぎる。
立花たちの休憩は十分という設定だ。見当違いだったのかもしれないという不安が彼を襲った。
(今夜もあきらめたのかな)
立花に連絡すべきか、いや、電話を使うわけにはいかない。そんなことをしたらすべてが水の泡だ。ジリジリと焦りがつのる。
その時、足音がかすかに聞こえて、せかせかと足早に歩く怪しい人影が見えた。
街灯の薄ぼんやりした光の下では、通常の人間なら黒っぽい上着を着た男という程度の確認しかできない。
しかし、この距離においても、犬&猛禽モードの隼人にはその人物の顔が、また彼が手にしている物もはっきりと見えたし、わずかな物音も、発せられた臭いまでも嗅ぎ分けることができるのだ。
(やっぱりそうだったのか。オレのカンはアタリだっ)
怪しい男はきょろきょろと辺りを見回すと、ステージの陰にかがみ込んだ。
瞬間を現行犯で捕えなければ意味がない。獲物を狙う肉食獣のように神経を研ぎすませた。掌に汗がにじむ。
シュボッというライターの音がしたその時──もちろん常人には聞き取れない──隼人はバトルモードのボタンを押して、すばやくターゲットにおどりかかった。
「わっ、なっ、何だぁ!」
闇夜の空から音も立てずに降ってきた真っ赤な男、思いがけない刺客の登場にすっとんきょうな叫びを上げる犯人、街灯に照らされたその人物は高森洋一だった。
高森は自分を押さえつけている相手が赤いスーツ姿だと見ると「お、おまえは……」と唇をふるわせた。
「やっと尻尾を捕まえましたよ、高森さん。あなたが連続放火の犯人だったんですね」
悔しそうな表情をしながらも、高森は隼人に向かって噛みついた。
「何の話かさっぱりわからないな」
どこまでも図太い男だ。
左腕をねじ曲げたまま、彼の右手にあるライターと足元の小さなポリタンクを示しても「だから何だ」と言いたげな、ふてぶてしい態度だった。
「できるなら暴力はふるいたくないんだ。おとなしく警察へ行ってください」
「暴力? そうだったな。おまえはエナジー指数の高さがご自慢で、そのパワーでオレを吹っ飛ばしてくれた。あのときの傷がいまだに痛むぜ」
「あのときの傷って、交通安全教室の? ウソだ、ケガはなかったって」
「言ってなかったがな、腕のこのへん……」
それらの言葉にひるんだスキを突いて、高森は隼人のベルトの黄色いボタンを押した。
「しまったっ!」
たちまち変身が解かれ、ただの高校生に戻ってしまった隼人を突き飛ばすと、悪がしこい放火魔はすたこらと逃げ出した。
あわてて追うにも、ふだんの隼人は運動能力がさほど高いわけではない。それどころか、足がもつれて走れない。
「クソッ、動けない……」
ふり向きざまに、高森はポリタンクの中身をぶちまけた。
辺りに灯油の臭いが充満する。続けて高森はポケットからマッチを取り出して、小さな火を投げ込んだ。
「なっ、何を!」
揮発性の高い油は恐ろしい勢いで炎を巻き上げ、目の前がたちまち火の海になる。
こんなふうに炎がめらめらと燃え上っている場面など、テレビか何かでしか見たことはないが、実際に目にすると恐怖しか感じられない。
「あちっ」
炎にさえぎられて足がすくむ。
ヤバい、このままではヤツを取り逃がしてしまう。
(そうだ、バトルモードなら熱くないかも)
もう一度黄色のボタンを押してみたが、
「あれ、変身できない?」
焦る隼人をあざ笑いなから、高森の足音が遠ざかる。
「ちっきしょーっ!」
だが、悪らつな放火魔の命運はそこで尽きた。彼の前方から現れた黒のスーツががっちりと行く手をはばんでいた。
「海……城?」
「観念しろ」
◇ ◇ ◇
パトカーの赤いランプが去っていくのを見送ると「無事解決ですね」と言って、立花はほほ笑んでみせたが、こちらの二人は浮かない顔をしたままだった。
簡単な事情聴取とはいえ──詳しくはのちほど立花が説明しに行くということで開放されたのだ──刑事に質問されたのは初めてだ。これまでにない疲労が隼人を襲った。
「二人とも疲れたでしょう。とりあえず事務所まで戻りますか」
蛍光灯の光がしらじらと照らす事務所内は気味が悪いほどに静かだった。
立花が熱いコーヒーをいれてくれたが、カップを前にしたまま、腕組みをした尊は難しい表情をくずさない。
(怒ってるのかな、当然だよな……)
助言を無視して勝手な行動をとったのだから無理もない。
「犯人逮捕でめでたし、めでたし」だったから良かったものの、違う結果に終わったら目も当てられなかった。
「それにしても、我々の携帯電話が盗聴されていたとよくわかりましたね」
「はあ……」
無言のままの尊を気づかいながら、隼人は立花の問いに答えた。
「泉泰大のキャンパスで会ったときにあの人がオレを見て、海城さんに向かっていきなり『優秀なる弟分を連れて大学見学か』と言ったんですが、その言葉が心のどこかにずっと引っかかっていたんです」
「優秀なるとは、エナジー指数の高さを示しているのですね。さすがにキミはカンが鋭い。それも能力のうち、指数の高さの理由のひとつでしょう」
立花が手放しでほめるので、隼人はくすぐったくなってしまった。
「いや、そのときはピンとこなかったんだけど、よく考えてみたらおかしいって。オレがあの人と初めて会ったのはひまわり保育園の交通安全教室で、シグナルレッドの姿だった。つまり素顔は見ていないはずだから、こいつが十文字隼人だと自信を持って言えるのは変じゃないかって思ったんです」
考えられるのは、どこかでメンバーと一緒のところを見かけたか、行動をともにしているという内容を聞いたかということになるが、交通安全教室当日にそんな機会はなかった。
「なるほど。わざわざお互いの顔合わせをするでもないのに、彼がキミのことを知っていたのは何らかの話を聞いていたから、もしや電話を盗聴しているのではとにらんだわけですね。私と海城くんはもっぱら通話でやりとりしていましたし」
「……メールが苦手だったから」
尊がぽつりとつぶやいた。
「それで、オレたちのキャンパス見学を知って先回りしていた。海城さんと一緒にいるこのガキがレッドの正体だと、確証を持ったんだと思います」
「絶対に盗聴されない電波を使っているから安心だというのが盲点になっていた。彼はM&Gのアルバイトで機械には詳しい工学部の学生だ、盗聴器の作成なんてお手のものだったのでしょう」
昨日の夜の見回りでも、立花と尊は電話で連絡し合っていたから、二人がどこのあたりを巡回しているのか、高森には筒抜けだったのだ。
けっきょく昨夜は放火をあきらめたが、これで終わらせるつもりはないところを見せるために、彼はライターを置いていった。
「チャンスがあれば今夜決行するんじゃないかと予測しました。だから、今度は盗聴を逆手に取って罠をしかけられないか考えてみたんです。まさかケータイの盗聴がバレてるなんて思ってないだろうから引っかかってくるかもなんて。ちょっとバクチでしたけど」
「あの電話ですね。キミの言葉を聞いてハッとしましたよ」
「最高の返事でした。さすが社長さんだって感激しました」
さて、何のために盗聴していたのかはさておき、なぜ高森は放火などという大それたマネをしたのか。
「海城さんが話していた、M&Gの人たちはヒーローになり損ねたせいでひがんでいるという言葉を思い出しました。あの人が海城さんに対してライバル意識を持っているのはすぐにわかりましたし」
「ええ。彼が海城くんをねたみ、憎らしく思っていたというのは察しがつきます。同じ年齢で同じ大学の医学部に在籍している海城くんは自分がはじかれたバイトにおいても、エナジー指数の最高値保持者であり、我が社のナンバーワンである。その存在をおとしめてやりたかったと」
盗聴を始めたのは尊の弱みを握るためだったのかもしれないが、ひいてはPHカンパニーそのものをねたむようになった高森は会社が請け負った仕事、忍者ショーの妨害を始めたというわけだった。
尊はゆるゆると首を振った。
「いや、もうナンバーワンは俺じゃない。おまえのスゴさがよくわかった。俺はあいつの言った、優秀なる弟分という言葉を聞き逃していた。完敗だ」
とんでもないと、隼人は右手を左右に振って否定した。
「そんな、指数がナンバーワンとか勝ち負けなんて関係ないですよ。海城さんがかけつけてくれなかったら、犯人を取り逃がしていたと思います。オレってばツメが甘くて、あの人のウソに動揺しちゃって……本当にありがとうございました」
尊は優しい、それでいてせつなげな目で隼人を見つめた。
「遅くなった。送っていこう」
◇ ◇ ◇
黒のクーペが宵闇の中を進む。
家を抜け出して何時間たったのか、それすらもわからないほど疲労困憊した隼人は座席に深く腰かけ、ぐったりとしていた。
「優秀なる弟分か……」
事件のキーワードを再び口にしながら、尊はふいに言った。
「面倒を見てくれと社長に頼まれたときは正直言って、やっかいなヤツを押しつけられたと思った」
身体を起こせないほど疲れていたものの、連続放火事件解決の喜びの余韻にひたっていた隼人の胸がズキリと痛んだ。
(そうだよな、当然じゃないか)
家庭教師云々は後輩を思う親切心あってのこと。
指数の高さに期待していたのに、足手まといになるだけの弟分なんて、危険を伴う実戦ではお荷物でしかない。
「俺には弟分はいらない。俺に必要なのは互いを支え、信頼し合い、協力できる対等な立場のパートナーだ」
やはり、あと一歩のところで高森を取り逃がしそうになったことを非難されているのかと身がすくんだが、そうではなかった。
「おまえにはその資格がある」
「えっ、し、資格って……海城さんのパートナーってことですか」
「これからもよろしく頼む」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
たよりないと責められていたのではないとわかると、喜びと安堵感が広がる。
必死で放火魔探しをしたのも、決死の覚悟で乗り込んだのも、彼にもっと認めてもらいたかったからなのかもしれない。
十文字家の門が見えてきたところで、尊は車を停めた。
父も母も、息子がこっそりと家を抜け出ているとは知らずに、安らかな寝息をたてていることだろう。
二人を起こさないように、鍵を開けておいた窓から再び入ろうと、隼人はベルトを作動させたがスーツが装着されない。それどころか、立っているのもおっくうになってきた。
「あれ、さっきもうまくいかなかったけど、どうしちゃったんだろ」
「おまえの体力が低下しているからだ。指数が高いからといって個人の持つエネルギー量が多いわけではない。むしろバトルモードを使う機会が多いから、比例してエネルギー消費も多い」
「わかった、それで立っていられないほど身体がだるいんだ」
「今日は長時間バトルモードを使ったし、精神的にも疲れただろう。そんなおまえのエネルギー残量を察知したベルトがストップをかけているというわけだ」
「それじゃあ窓から入るなんてできないよ。困ったなぁ」
「俺が連れていこう」
黒いスーツ姿になった尊は隼人の身体をいわゆる『お姫様だっこ』で抱き上げると、二階の窓まで軽々とたどり着いた。
「ここから出たのか。開けたままとはずいぶんと無用心だな」
「すいません」
「とにかくゆっくり休め。わかったな」
……❻に続く