MY MEMORANDUM

オリジナル小説を公開するブログです

リバースモード ❶

        1

 防犯カメラの死角を狙っての万引、店内の様子を知り尽くした、あれは絶対に常習犯だ。間違いない。

「清水さん、清水さん。売り場に怪しい人がいます。えっと、工具コーナーのところです。茶色っぽいポロシャツを着て、髪を短くした中年男性です」

「工具コーナーですね? わかりました、行ってみます」 

        ※ 

「俺が万引しただと? このクソジジイめ、どこに証拠があるんだ? おいこら、てめえ、ふざけんじゃねーぞ。この俺を泥棒扱いしやがって、ただで済むと思うなよ!」

        ※

「そうそう、この前の万引騒動、誤認逮捕だったってアレよ。捕まえられた犯人って、その筋の人ですって。ウチの店を訴えるとか何とかって騒いでいたけど、けっきょく警備会社と補償の話が進んでいるって聞いたわ」

「そりゃそうよね、店の責任じゃないもの。あのときの新顔さん、一流会社に勤めていたのにリストラされて、転職したばかりで経験が浅かったらしいじゃない」

「ずっと制服警備だったのに、あの日は初めて私服Gメンをやらされたって話よ。中林さんなら、あんなヘマはやらなかったでしょうしね」

「それだけ相手がウワテだったのよ。会社側にひどく叱られて、それが原因で自殺したって聞いたけど」

「まあ、気の毒に。残された奥さんはどうしているのかしらねぇ」

    ◆    ◆    ◆

 駐輪場の片隅にチャリを停め、鍵をかけようとして革手袋を脱ぐと、十二月の冷気が容赦なく肌を突き刺した。

「うー、さぶぅ」

 リュックを肩にかけ、掌を擦り合わせながら裏の搬入口を通過、店内は程よく暖房が効いていてホッとする。

 二階に上がり、従業員控え室を経て男子更衣室の中に入る。ロッカーの扉を開けたとたん、オレはギョッとして後ろに飛び退いた。

 まただ。またしても怪しげなモノがピンクのハート柄の紙袋に入って、ちゃっかりと鎮座している。

 恐る恐る中身を確認すると、今日の怪しいモノは一辺が十五センチほどの正方形をした薄っぺらなプラスチックケースで、少女マンガ系の、いかにも美麗な男子二人のイラスト入り。これすなわちBLのドラマCDというシロモノだ。

 BLとはすなわちボーイズ・ラブの頭文字で、男同士の恋愛いわば同性愛を扱ったマンガや小説のジャンル。多くの雑誌が刊行されているが、読者は圧倒的に女性だ。

 女が男の同性愛物語を支持する、その根底には「キミだけを愛している、何があっても守ってあげるよ」と言われたい女性の願望があるとか何とか。

 作り話の中であっても、他の女すなわち同性が幸せになるのは許せないが、異性である男がそうなるぶんにはかまわないっていうだけの気もするけれど、ま、男には永遠にわからない女心というやつだろう。

 ともかく、ここで描かれる世界は本物のゲイの実情とはかなり異なっており、少女マンガ的というか、ハーレクインロマンス的なオシャレストーリーを男同士で再現させたものと思えばいい。

 登場するのはイケメン・エリート・セレブがキーワードの、若社長とその秘書、アラブの若き石油王に、かの地を訪れた青年ルポライターなどといった人種で、彼らが織り成す華やかな恋愛模様を楽しむ女性たちの総称が腐女子。

 もちろん婦女子のもじりで、十代から二十代が中心だが、三十、四十代以上にも存在する。年齢層が上の人たちは特に貴腐人と呼ばれると知った時は恐れ入った。

 戦国武将にハマる若い女性を歴女と呼んで話題にするってのがちょっと前から流行ってるけれど、彼女たちの正体が腐女子とダブッている割合は高く、上杉景勝と直江兼続をそういう関係に見立てるなどして楽しんでいるらしい。対象は何でもありなのだ。

 そんなBLの世界は活字にとどまらず、ゲームソフトの他、ドラマCDなるものが作られるようになった。

 これは先のBLマンガあるいは小説を原作として、人気の男性声優たちのセリフと解説で進むストーリーを録音した、画像のないアニメみたいなやつだが、内容に関してはとても言及できない。

「あいつの仕業だな」

 そう呟いたとたんにムカついてきた。あいつとは、ひと月ほど前にこのホームセンター『HOME★MAX』陵南店に入ってきた松山美咲だ。

 大学は違えど同じバイトの身分という気安さからか、いきなりタメ口でなれなれしい態度をとる彼女には当初から閉口する場面が多かったけれど、まさか女の身で男子更衣室に忍び込んで、無断で他人のロッカーを開けるなんて並みの神経じゃない。

 オレのロッカーは鍵が壊れていて、修理をお願いしてもなかなか対応してもらえず、仕方ないのでユニフォームを羽織り、荷物を入れたあとは貴重品のみをCS(カスタマー・サービス)カウンターに預けている。

 勝手にロッカーを開けられるのは防ぎようがないけれど、部外者が入り込む場所ではないし、同僚にそういう常識のない人はいないだろうと思っていたら甘かった。

 紙袋はそのまま放置、財布やらケータイやらを手にして扉を閉める。

 男子の隣が女子更衣室で、この二部屋は従業員控え室の一角にあり、大きなテーブルと椅子、テレビ、冷蔵庫などが備え付けられた控え室は食事や休憩をとる場所だが、そこにさっきは見かけなかった人影があった。

「瞬くん、アタシからのプレゼント、今日の分、見てくれた?」

 弾んだ声で嬉しそうに話しかけてきた、こいつが噂の松山美咲だ。

 小学生の女の子が着るようなフリルのついた服を好み、長い髪を縦ロールに巻いた彼女はブログが評判、アニメにやたらと詳しい、メイドファッションが似合う、などといったオタクアイドル系にいそうなタイプだ。

 こういう女が好きな男はわりと多いが、オレとしてはどうにも苦手で、出社早々面倒なヤツに会ってしまったとゲンナリする。

 プレゼントとはもちろん、ロッカーの中のCDを指しているに違いないが、相手にしたくないので無関心を装うと、

「気がつかなかったの? ひどぉーい」

 頬をふくらませて軽く睨むポーズ。自分でも可愛いと思ってやっているんだろうな。たしかに顔立ちは可愛い方だけど、演出の仕方がわざとらしくて鼻につく。

「あれはね、商社勤務の上司と部下が出張先のイタリアで繰り広げる、すっごくオシャレなラブロマンスなの。瞬くんたちにぴったりでしょ? これが池上さんから瞬くんへのセリフだったら、なんて想像しただけでドキドキしちゃったわ。とにかく聴いてみてよ」

 この女め、何ほざいてんだか。夢見る乙女の表情にガツンと一発、パンチを浴びせたくなるのを堪えて、

「たしかに池上さんとオレは上司と部下の関係だけど、それ以上の何物でもないから。職場は商社じゃないし、イタリアへ出張するような仕事もないし」

「えーっ、お願いだからぁ、それ以上の関係になってよ。二人のキャラって、アタシの理想のカップリングなんだもの。ナマの男性でここまで萌えな人たちに会ったのは初めて。バイトに入って超ラッキーって感じ」

 何が萌えだ、超ラッキーだ、冗談じゃない。オレはノー天気なセリフをしゃべりまくる美咲をギロリと睨みつけてやった。

 神奈川県下にチェーン店舗を展開している『HOME★MAX』グループのうち、陸南店の規模は中程度で、従業員数は正社員、パート、アルバイトを合わせて三十名ほど。人数としては三分の二近い割合を占める女性のパートが圧倒的に多い。

 もちろん全員が一斉に働くのではなく、パートやアルバイトは日替わり時間替わりでコマギレに入り、その時々によって業務が振り分けられている。

 店長の九重恭一さんは──ちなみに三十三歳、ハンサム、バツイチ──先月、新聞などで公に発表された、北陸地方で店舗を拡大している同業者の『DIY創庫』との合併の件やら何やらで本社や他店の間を飛び回る忙しさのため、自分の店に顔を出す機会がめっきり減ってしまった。

 そこで店を任されるのは専ら副店長、会社の規則では、二人共揃っていなくてもどちらか一人がいれば開店できるという取り決めになっているのだ。

 つまり、三十人もの部下たちを指導し、商品管理その他の業務をとりまとめるという、店舗運営の要となる副店長こそが、やり手と評判でスピード出世した池上雅幸さんで、二十九歳独身。

 しかも流行りの人気俳優似のイケメンとあって、美咲だけでなく主婦を中心としたお客様たちにも大人気という存在である。

 片やオレ、永嶋瞬はニュースや教養番組にも進出している、有名大学卒の履歴と知性が売りのアイドルにそっくりと言われる、神明大学理工学部の二回生。

 腐女子歴五年と自慢げに語る美咲にとって、池上さんとオレの組み合わせはバーチャルなBLワールドに出てくる男たち以上にツボ。そこで自分好みの二人を本当にカップルにしてしまおうという彼女の、自己満足且つ迷惑極まりない企画の元、オレへの洗脳作戦が始まった。

 ロッカーの中に雑誌などを置いて興味を引く。CDもその一環というわけだが、オレ自身の最初の対応もまずかった。勝手にロッカーを開けられたのに、その行為を責めるどころか、与えられた本を面白半分に読んでしまい、先に述べたような業界の用語や基礎知識を会得してしまったのだ。

 そんな様子を見た美咲はオレがBLの世界を気に入った、喜んでいると思った上にゲイの素質ありとみたのか、池上さんを好きになるよう吹き込み、彼へのアタックをけしかけるようになった。

 創られたキャラクター同士の恋愛を楽しむというバーチャルな世界を乗り越え、現実の世界で、現実の男同士の恋愛をプロデュースして満足感に浸る。オレたちは美咲の描くラブストーリーの登場人物に設定されたという次第だ。

「アタシ、自分の恋愛よりも瞬くんたちがどうなるのか、そっちの方が気になるの。さっさとハッピーエンドになってよ」

 腐女子は皆、モテないオタク女だと思うのは間違いで、彼氏がいる人はもちろん、既婚の貴腐人も珍しくはない。ただし、現実と虚構の区別がつかなくなっている連中もいるので要注意だ。

 美人の範疇に入る美咲にも当然のことながら彼氏はいる。バイトの帰りに男と待ち合わせているのを目撃したのだが、この調子では区別がついていない組に入っているんじゃないかと危惧してしまう。

「ハッピーエンドって、オレ、彼女いるし」

「瞬くんと彼女ってヤバい状態なんじゃないの? いつ別れてもおかしくないって、前にこぼしていたじゃない」

「大きなお世話」

 たしかに、大学入学を機につき合っている彼女とは三ヶ月ほど前から危機的状況になっているが、別れたからといって池上さんとの恋愛に直結するはずもない。

「早く手を打たないと、邪魔者が入るわよ」

「邪魔者って、石橋さんのこと?」

 先週採用されたばかりの石橋加奈子さんは三十七歳と聞いたが、二十代後半で通用する若さと美貌の持ち主であり、女性の多いこの職場では嫉妬と羨望の的になっている。

 離婚したとも死別したとも聞いたが、ともかく今は独り身で子供はおらず、昼はここでパート、夜は水商売勤めとかで、客あしらいも上手い。

 そんな彼女が池上さんに目をつけたとか、再婚を狙っているなどという無責任な噂が飛び交い、パートさんたちが占領する昼休みの控え室はその話題で持ちきりになることもあった。

「池上さんを取られたくないなら、オレなんかに命令せずに、自分の力で石橋さんに対抗すればいいじゃないか」

「アタシはいいの。憧れの人は遠くで眺めているだけで満足なんだもの」

 それでいてオレには何が何でもハッピーエンドになれと言う、腐女子心は複雑すぎて、よくわからない。

「池上さんにしたってさ、石橋さんに限らずあっちこっちで女の人にモテてるって聞くし、どうみたってゲイじゃない。男を恋愛の対象にするはずないだろ」

「本人に確認したわけじゃないから、そうとは決めつけられないでしょ。あれは仮の姿で本性はゲイ、だから結婚しないのかも」

「はあぁ~」

 どうしてそこまで都合のいいように解釈できるのかと、オレは溜め息をついた。こいつとこんな論議をしたところで埒は明かない。バカバカしいからやめよう。

 そこへ入ってきたのはオレたちと同時刻に出勤のパートさんで、こっちがおはようございますと挨拶する前に「あら、今日もお揃いで仲がいいわねぇ」などとからかってきた。

 大学生のバイトはもう一人いるが、同時に出勤することの多いオレたちの関係は無責任な噂のひとつになっているらしい。

「永嶋くん、この際だから美咲ちゃんとつき合ったらどう?」

「えっ、オ、オレたちはそんなんじゃ」

 BL作戦だけでも迷惑しているのに、それ以上の問題提起をしないで欲しい。

「可愛くてイイ子じゃない、ねえ?」

 話を振られた美咲はニコニコと愛想笑いをして誤魔化していたが、パートさんが先に部屋を出たとたん「アタシ、オバサンたちの野次馬なノリにはついていけないわ。何だかしらけちゃう」と、いくらか侮蔑するように言い放った。

 おまえの腐女子のノリだって、オレにはじゅうぶんついていけないと言ってやりたいのを堪えながら、

「そういう言い方は失礼だろ」

「だって本当のことだもん。だからあの人たちの話はいつも聞き流しているの。この前だって、池上さんと石橋さんの噂ばっかりしちゃって。池上さんとおつき合いするのは瞬くんなのにねぇ」

 シャレにもならないセリフで同意を求められても困る。

 仕事に入る前からこんなに疲れてしまったら、あとの時間はどうやって乗り切ればいいんだろうか。

「あのさぁ……何と言われようと、オレと池上さんが不適切な関係になんて、どう転んでも有り得ないし、早いとこあきらめろよな」

「イヤよ、絶対にあきらめないもん」

「しつこいな。だいたいオレはあの性格があんまり好きじゃ……」

「えっ、彼の性格がどうかしたの?」

 思わず本音を漏らしそうになったオレの言葉を美咲は聞き逃さず、すかさず食いついてきた。しまったと思ったけれど、既に誤魔化しは効かない。

 上司の悪口を言うなんて、心の貧しさの裏返しみたいで気分はよくないが、この際ハッキリさせておいた方がいいだろうと思ったオレは池上さんの、裏表のあるところが嫌いだと言ってやった。

 やり手というのは裏を返せば強引、自分勝手。そのせいで九重店長と対立する場面も何度か目撃した。

 また、一ヶ月の売り上げ予想高をクリアするために──それはもちろん、副店長としての自分の評価につながるからだ──月末に自分で店の商品を買いつけたり、クリアしたあとは返品したりの姑息な手段を用いたことも知っている。

 しかも、若くなければ女じゃないと暴言を吐いたこともあるのだ。美咲のような若い女の子への対応は良く、持ち上げたりチヤホヤしたりするのでウケがいいけれど、中年女性には冷たい。

 売り場にとって大切な戦力であるベテランパートさんを陰でババア呼ばわりしていることや、彼女たちが控え室で噂話に花を咲かせ、賑やかに過ごしているのを露骨に批判していたのも聞いた。オバサン嫌いという点では美咲と一致している。

「嘘よ。ババアだなんて、彼がそんな失礼なことを言うはずないわ」

「だから、若い女の前ではいい人ぶってんだよ。若くなければ女じゃないって思ってるってことはさ、三十代の石橋さんより有利、勝てるぜ。よかったじゃないか」

 そんなふうにおちゃらけたのがカンに障ったのか、美咲は無言のままだ。

「オレの方がバイト歴長いんだから、それだけ副店長サマの裏の顔を知っているってわけさ。まあ、そういうことでカップリングとか何とかいう、変な考えは捨ててくれよ」

 つまらないおしゃべりのせいで、すっかり遅くなってしまった。急がなくっちゃ。

 階下の店内に向かうオレの後ろをついてくる美咲の気配からして、ものすごく不機嫌なのがわかるけど、憧れの池上さんの本性を知らされたからといって、オレに八つ当たりとか、仕事を押し付けるといったことはやめて欲しいものだ。

 既に出社している人たちに挨拶を済ませると、CSカウンターを任されているチーフに貴重品を預け、引き換えにPDAを受け取る。この個人用携帯情報端末は商品価格の照会や在庫確認その他、業務の大半をこなすための秘密兵器だ。

 開店時刻の午前十時まではみんなで商品を棚に並べる品出し、開店後は個々の勤務スケジュールに従って仕事を進める。

 今日のオレの仕事は引き続き品出しと、前出しと呼ばれる、商品を前方に揃えてキレイに整頓する作業で、そのあとは二番レジに入ってのレジチェッカーすなわち会計、午後から大学で実験が入っているため、勤務は午前中で終了となる。

 売り場の右端になるカー用品コーナーで、いちばん気楽な仕事である品出しをのんびりと行なっていた時、入り口から奥へと向かう通路をそそくさと歩く客──年齢は三十代から四十前後の、強面の男性に出くわしたが、見覚えのあるその顔に、いったいどこで会った人だろうと首をひねった。

 そうだ、あれはたしか──

 そのとたん、手にしたダンボール箱を取り落としてしまい、中身の車用芳香剤が音を立てて床に転がった。

「あ、やべっ」

 慌てて品物を広い集める間にも、口の中に苦いものが広がってゆく。オレにとって最大のトラウマ、一生忘れることのできない辛い出来事がまざまざと甦ってきて、立っているのもきつくなってきた。

 一生忘れることのできない辛い出来事、それは三ヶ月ほど前に起きた、万引事件に端を発した出来事だった。

 このバイトを始めてしばらくののち、商品の万引防止対策として、不審な態度の客を追跡するよう、店長に命じられたオレは──店員に目をつけられているとわかれば万引をあきらめるので、それだけでも抑止効果があるというわけだ──一端の探偵気取りになっていた。

 警備会社と契約して制服・私服それぞれのガードマンを雇うのはどこの店でもやっていることで、陵南店でも専門の万引Gメンが常駐しており、客を装った私服姿で店内を巡回している。

 万引犯を捕まえる彼らの手際の見事さに、感心することしきりのオレは追跡探偵に飽き足らず、何とか手助けになる活躍をしたいと考えていたが、ある日、そのチャンスがやってきた。

 小さいわりに高価な品物が多く、万引にはうってつけの工具コーナーをうろつく怪しげな男の姿を認めたオレはさっそくGメンにそのことを伝えた。

 いつものベテラン・中林さんは法事で休み、代わりに派遣されていた清水さんがそちらに向かい、男の身柄を確保。ところが証拠不十分で男の逆襲が始まった。店を訴えると息巻き、けっきょくGメンの派遣元である警備会社との示談となった。

 その後、噂好きなパートさんたちから清水さんが自殺したと聞かされたオレは自責の念にかられた。

 あの時、オレが余計な告げ口をしなければ清水さんは自殺に追い込まれる羽目にならなかったのでは。そう考えると、夜も眠れなくなった。

「キミがそこまで責任を感じる必要はない。あの人には気の毒なことをしたが、相手が万引をしたのか、していないのかを見極め、最終的に判断するのは彼らだ。それがプロの仕事というもの、そうだろう?」

 そう言って、ショックのあまりバイトをやめると言い出したオレを慰め、熱心に引き止めてくれたのは店長の九重さんで、今に至るわけで──

 さっきの強面男こそ、清水さんがとっ捕まえた犯人だ。若干髪が伸びてはいるけれど、最初にオレが怪しいと疑った相手なのだから見誤るはずはない。名前はたしか福田、本名かどうかはあやふやだけど、そう名乗っていた記憶がある。

 事実はどうであれ、自分が万引の疑いをかけられた店で再び買い物をするなんて、普通の神経ではできないけれど、平然と現れるあたりが強心臓だ。

 黒いジャンパーに黒のスラックス、全身黒ずくめの男はオレの傍を通り過ぎたあと引き返してきて、しばらくは辺りをうろうろとしていた。

 まさか、また万引をやらかすつもりじゃないだろうなと、オレは神経を尖らせながら福田の動きを注視した。

 あの時だって、絶対やっていたに違いないんだ。どうやって誤魔化したのか知らないけれど、普通の客があんな、おかしな態度をとるもんか。

 五分、いや、もっと短い時間だったと思う。福田の元にやってきたのは池上さんだった。人目を憚るようにキョロキョロしながら近づいてくる。オレの存在には気づいていないみたいだ。

「……ここには来ないでくれと言ったはずだが、どういう了見だ?」

 イケメン副店長が声を低くして咎めるように訊くと、強面男は薄ら笑いを浮かべた。

「どうもこうもないだろう。こっちはすべてお見通しなんだよ」

「証拠はあるのか?」

「証拠だと? 俺らの情報網をなめてもらっちゃ困るな」

 福田が池上さんに面会を求めてきたのはたしかだけれど、いったい何の用があっての面会だろうか。

 例の万引事件が勃発した際も店長は不在で、警察への連絡等の指示を出したのは副店長の判断だった。

 つまり、警備会社との示談では満足できない福田が未だに池上さんを恨み、恐喝にきたというのなら話はわかるが、この三ヶ月間、オレの知っている限りでは、店に現れたのは今日が初めてだ。

 もしも、これまでにこういったことがあれば誰かしらが目撃しているから、パートさんたちが話題にしないはずはない。今になっての登場にはどういう意味があるのだろう。頭の中が混乱してきた。

 それに、証拠だの情報網といった言葉が気にかかる。万引の一件とは関係のない何かが二人の間に存在するのか──

「目的は金か。あんたにやる金などない」

「ふーん。威勢はいいが、それも今のうちだけだ。いずれ……」

「御託はいらない。証拠を出せ!」

「証拠、証拠、か。まあ、いいさ。そんなに言うなら次は証拠ってやつを持ってきてやるよ。そのときになって吠え面かいても知らねえぜ。じゃあな」

 余裕の笑みを残して立ち去る福田とは対照的に、池上さんは憔悴しきった表情で後姿を睨みつけていたが、ここにきてやっとオレがいるのに気づいて声を荒げた。

「永嶋……おまえ、いつからそこに?」

「えっ? いえ、その」

 しどろもどろになるオレ、今の彼の顔ときたら、表現のしようがないほど恐ろしくて、何も言い返すことができない。

 池上さんはつかつかと歩み寄ると、オレの襟首をつかみ「今の話、聞いていたんだな?」と凄んだ。

「あ、で、ですから」

 陽気で親切、リーダーシップのとれる優秀な副店長といった表の顔から、自分勝手で暴言を吐く裏の顔にチェンジした池上さんはなおもオレに詰め寄った。

「質問に答えろ!」

「立ち聞きなんて、そんなつもりは」

 ようやくその一言を口にすると、

「聞かなかったことにしろ、いいな」

 店長は当然のこと、絶対に誰にも話すなと彼は念を押した。

「万が一しゃべったりしたら、この店にはいられなくなるから、そう思え」

 クビってことか。副店長の権限を振りかざしてオレを追放する所存らしい。

 そこまで追い詰められるとは、と恐ろしく感じる一方で、オレの中の正義感と呼ぶには貧弱な、疑念と憤りの入り混じった感情が湧き上がってきた。

「あの人、三ヶ月前の万引事件の当事者ですよね? 何で今になって……」

「それ以上言うなっ! 言ったら」

 殺す、と囁かれたような気がした。この場で殺されるのではという恐怖と、凄まじいまでの緊迫感に冷汗が凍る。

「池上副店長―、池上さーん、本社の方がみえてますけどー」

 間の抜けた声を上げながらやって来たのは美咲だった。

 池上さんを見つけたはいいが、その両手がオレの首にかかっているのを目にして、ギクリとした様子で立ちすくむ。

「……どうかしたんですか?」

 手を離した池上さんは無言のまま美咲の横をすり抜け、その姿を唖然として見送った彼女は「ねえ、何があったの?」と、興味津々に訊いてきた。

「何でもないよ」

「嘘。ケンカしているみたいだった」

「だから何でもないって! おまえには関係ないだろっ」

 しゃべるなと脅されたからではなく、さっきの出来事は軽々しく口外してはいけないと判断したオレは美咲の追及を撥ねつけた。

「そんな言い方ってひどい! あ、そうだ、わかった。アタシの夢を壊すために、わざと彼にケンカを吹っかけたんでしょ?」

「えっ……?」

 二の句が次げなくなった。頭脳回線の、どこをどうつないだら、そういうムチャクチャな思考回路が出来上がるのだろう。

「さっきもそう。池上さんの悪口を言いふらして、イメージ悪くして評判を落とすつもりだったのね。いくら彼が気に入らないからって、そんな手段を使うのは卑怯だと思わない? いいわよ、もう。瞬くんなんて、大・大・大っキライだから!」

 踵を返し、肩を怒らせながら美咲が立ち去ると、オレはすっかり疲れ切ってその場に座り込んだ。

 やれやれ、何て面倒なことに巻き込まれてしまったんだろうか。

 美咲はどうでもいい。これで迷惑千万なBL作戦もなくなるだろうし、やっかい払いができて助かったけれど、問題は池上さんと強面万引男の密会の件だ。

 チーフやその他の社員に相談するよりは、直接、店長の耳に入れた方がいいと思う。だが、忙しく飛び回る彼をいつになったら捕まえられるのか見当もつかない。

 いったいどうすればいいのか──この時のオレはすべてを甘く見ていた。

                                 ……❷に続く