MY MEMORANDUM

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輝蹟の剣〈中国旅情編〉 ❸

   第二章 輝蹟堂の先代剣士

 

        1

 

 翌朝、ひんやりした空気が漂い、龍は普段よりもかなり早くに目を覚ました。これが七月末とは思えないほど涼しい。この地域の気候は年間を通じて大きな変化がなく、一年中穏やか。夏は涼しく、冬は暖かいのである。

 自分のくしゃみで起きてしまったロッキーが慌てて服を着ている。至はまだ夢の中、翔は既に布団を畳んで外に出たようだ。

「井戸水ってのが不便だよな」

 文句を言いながら、タオルと洗面道具を持った龍が戸口を開けると、表が妙に騒がしい。

 いったい何事かと、ハブラシをくわえたまま、ひょいと覗いてみると、屋敷の表門のところにたくさんの村人がつめかけていて、天醍が彼らを説得している様子だった。

 龍はあとから走り出てきた香蘭をつかまえて尋ねた。

「何の騒ぎ?」

「あ、青竜さま、おはようございます」

「堅苦しいなあ、龍でいいって」

「村の人たちが皆さまに会わせて欲しいと」

「オレたちに?」

「はい。昨日、天盟さまがお話しになられたようで、伝説の輝蹟の剣と剣士さまたちが日本からいらしたと、村中で大騒ぎに……」

「なるほど。天盟じいちゃんが口を滑らしちまったってことか」

 天盟が何処かへ出かけたらしいとは判っていても、その目的を知る者はほとんどなく、昨夜真相が一気に広まったという次第だ。

「……ですから、皆さんにはまた改めて御紹介しますので、もうしばらくお待ちください」

 そう話す天醍の後ろから、龍がひょっこり顔をのぞかせたのを目ざとい村人の一人が見つけて「あっ、昨日の少年だ」と指差した。

「なに? なんだ、まだ子供じゃないか」

「あんな小僧が剣士様だというのか。バカバカしい、そんなのは嘘に決まっている」

「いや、たしかに車の中にいたんだ」

 天醍が声を嗄らして何かを叫んでも、騒ぎは収まるどころか、ますます大きくなってしまった。

「やっべぇ~、オレのせいかな」

 龍が慌てて戻ろうとすると、ようやく現れた天盟が村人たちを「静まれ!」と一喝した。それから龍をつかまえ、居心地悪そうな本人にはかまわず、

「この少年こそ輝蹟の、青竜の剣士である。しかし彼はまだ、選ばれたというだけで、剣士の心得や技を会得してはおらん。そのためにこれからここで修業をするのじゃ。皆へのお披露目はそれからにしてくれ、よいな」

 有無を言わさない、強い口調の言葉に、村人は押し黙り、しぶしぶ帰って行った。

「済まなかったの。みんな、輝蹟の剣士に期待するあまり、過剰に反応しておって……」

「いや、別に、オレ」

 龍が何かを言おうとする前に、天醍が父を叱りつけた。

「だいたい父上は口が軽すぎます! もっと気をつけてお話しくださいまし!」

 平謝りの天盟を見ながら、龍は香蘭に「なあ、天盟じいちゃんってホントに偉い人なのか?」と訊いた。

「え、それは」

「だってさ、じいちゃん、いっつも傭兆さんに怒られてたし、今もああだろ。とても長とか何とかに見えないんだけど」

「はあ……」

 

        2

 

 朝食の準備が整ったと連絡を受けて、ぞろぞろと母屋に出向くと、食卓に並んだ皿から懐かしい匂いがした。

 今朝のメニューは和食、伶苓が日本の少年たちのために腕を揮ったのである。ここの料理は本場の中華に比べて外国人の口にも合うものが多いが、それでも気を遣ってくれたらしい。

 その席にて、天盟は今日の予定を説明した。

「このあとは輝蹟堂へ行って歴史の勉強をしてもらうからの」

「勉強? ヤな言葉だなあ。夏休みの宿題、全然手をつけてないの思い出しちゃったよ」

「ほほほ」と、天盟はいつもの笑い声を上げて「それは顕篤にみてもらうとよい。あれは村一番の秀才じゃからな」と続けた。

「輝蹟堂って何ですか?」

 至の質問には、行けば解るとの返事。

 朝の共同浴場行きはあきらめて、四人は天盟と共に、輝蹟堂のある村のはずれへと歩いて向かい、その途中で牙門と合流した。

 各自、背中には剣の入ったシンボルカラーの筒を背負っている。日本へ渡る前に、持ち運び用に作って傭兆が背負っていたものだが、今は剣士たちに渡されていた。

 背後に山が迫る、あまり陽の当らない場所に、小さなお堂がひっそりと建っていた。輝蹟堂と呼ばれる、その円錐形をした建物は高さが三メートルほど、中の広さは四畳半ぐらいで、日本の茶室のにじり口のような狭い入口から、筒をぶつけないよう気をつけながら身をかがめて入る。

 中央には太い柱が立ち、柱を囲むように何かが並んでいる。明りとり程度の窓はあるが、それだけでは薄暗く、天盟が蝋燭を灯すと、四体の石像の姿がぼんやりと浮かんだ。

 牙門もここに入るのは初めてらしく、不思議そうに石像を見やる。それらは剣を構えた若い男の姿を模っていた。

「輝蹟の剣士……そなたたちの先代、八百年ほど前に存在したとされる四人の剣士じゃよ。影刃族がこの雲南の地に移り住んだあと、剣士たちの霊を慰め、鎮めて祭るために輝蹟堂を建立したのじゃ」

 おごそかに話す天盟、翁はひとつひとつの石像を示しながら続けた。

「これは青竜の剣士、春恩徳。次は朱雀の剣士、夏儀周じゃ。その隣が白虎の剣士、秋威真、最後は玄武の剣士、冬叡賢」

「シュン・オントク、カ・ギシュウ、シュウ・イシン、トウ・エイケン……これってまさか?」

 四人の剣士の名前を牙門が繰り返すと、至もハッとした。

「シュンカシュウトウ、みんなと同じく、季節の漢字が苗字ということですね」

「そのとおり。そなたたちはやみくもに集められたわけではない。縁あって剣士に選ばれたのじゃ。中国には古来より……」

 既に何度か触れられているとおり、中国の陰陽・五行思想に基づいて輝蹟の剣は成り立っている。五行とは万物の源、気であり、その五つの要素となるのは木火土金水。木に属する季節は春、方位は東、色は青だ。東を守護する青竜のシンボルカラーが青というのはこの思想からきている。

 みんなが納得する中で、龍はまだ首をひねっていたが、牙門の丁寧な説明を受けてようやく理解したらしい。

「そうか。オレは木で、翔が火、牙門が金、ロッキーが水ってことだな。で、春夏秋冬と東西南北が当てはまって、四体の守護神獣がいて……あれ、じゃあ土は? 五行だったら五番目があるはずじゃねえの?」

「それはまた別の機会に話すとして」

 天盟はなぜか言明を避けた。そこにはどういう意味があるのか、しかし誰も追求することなく、次の言葉を待つ。

「輝蹟の剣士は今の話で解るように、名前に季節を持つ影刃族の者から選ばれていた。無論、皆優れた武人だったと思われるが、現在彼らの血をひくのは秋の一族、つまり牙門たちだけじゃ。秋威真は牙門の御先祖ということになるの。これには理由があって、先代の剣士の中で既婚者は秋威真のみ、子供もおった。あとの三人はまだ若く独身で、そこに事件が起きて、彼らは全員命を失った」

 先代剣士たちが若くして死んだと聞き、重苦しい空気が狭い御堂の中に流れて、天盟は乾咳をした。

「気にするなと言っても、まあ無理もないかの。なにぶん昔のことじゃし」

「それなりの覚悟はしています」と牙門は言い切ったが「ただ、いえ、何でもありません」

 やはり、龍たちを巻き込んだことを気にしているのだろう。今度は龍が口を開いた。

「天盟じいちゃん、事件って何があったんだよ? 剣士はみんな強かったんだろ?」

「おお、戦えば敵なしじゃ。ゆえに、彼らは毒殺されたのじゃよ」

 その経緯が載っている書物の内容や代々の長に語り継がれている話によると、元寇の折に、輝蹟の剣が日本に流出したのは承知しているが、それ以前のこと。

 当時の長のところにフビライ=ハンの使者がやって来て、国家統一を進めるために、自分たちの軍に加わるよう、要請した。

 戦乱の世が治まるならと、その時は承諾したのだが、やがてフビライが他国、すなわち日本に攻め入ろうとするのを知った影刃族は軍から脱退しようとした。自国が平和になれば、これ以上無用の戦いはしたくない。それは輝蹟の剣士たちも同じ思いだった。

「ちょっと待ってくれよ。オレのじいちゃんが、春日家の御先祖は元の兵士と戦って剣を貰ったって。相手は青竜じゃないの?」

「それは誤解じゃ。もう少し聞きなさい」

 ところが影刃族の中にはフビライからの報奨金に目が眩んだ者もいて、邪魔な長や剣士たちを服毒により抹殺、一族を牛耳って蒙古軍に参加し続けようとした。

 その企みは成功して、先代に成り代わった贋者の剣士たちが剣を持って元軍の中にいたのである。当然、剣は木刀のまま役に立つはずもなく、戦いの混乱の中、行方不明に。

「だから龍の先祖が戦った相手は本物の剣士ではなかった。卑怯な輩の手元にあるぐらいなら、勇敢な日本の武士の手に渡った方がいいと、剣自身が思ったのかもしれんな。元寇の時に起こった暴風は一説によれば、影刃族の裏切り者に怒った剣の力が招いたとも言われておるのじゃ」

 龍は改めて青竜の剣を見つめてから、春恩徳の像に目を向けた。

「おまえ、春恩徳が死んじゃって寂しかったんだろうな。それで八百年もオレのこと、待っててくれたんだ」

 龍の様子を見守っていた翔はおもむろに、夏儀周の像の前に立った。

「朱雀は俺が預かった。安心して成仏しろ」

 彼流の、思いの伝え方なのだろう。ロッキーもそれに倣って、冬叡賢の像の前で手を合わせた。

「ボクはアメリカ人だけど、人種は関係ない。気持ちは同じね」

 みんなの心意気が伝わって、牙門の目に感激の涙が浮かんでいた。それから彼も先祖の像に向かい合い、秋という名と白虎の剣士に相応しい働きをすると誓った。

「現代の剣士たちもなかなかどうして、立派な若者じゃ。彼らの姿を見ることができるなんて、この齢まで生きていて良かったのう」

 感慨深げな天盟の横で、至がポツリと漏らした。

「いいなあ。八百年前の人たちと心が通じ合うなんて……僕は剣士じゃないから、羨ましいです」

 すると天盟は思いがけない言葉を口にした。

「そなたにはそなたの務めがある」

「えっ、僕に、ですか?」

「そうじゃ。またゆっくり話そうぞ」

 そう言って、不思議そうに見る至に笑いかけたあと、昼時になったので一度戻ろうと声をかけた。

「剣を受け継ぐ者たちが現れ、ここを訪れて対面できたのじゃ。無念の最期を遂げた先代たちもさぞかし喜んでいるじゃろう」

 輝蹟堂を出る前に、龍はもう一度石像を振り返った。心なしか、春恩徳が微笑んでいるように見えた。

 

        3

 

 今朝歩いてきた道を戻る間、ロッキーは天盟の横に並んで歩きながら「さっきの話でちょっと気になったんだけど、どうして白虎の剣だけはここに残ったの? 秋威真も殺されちゃったわけだし、贋者もいたんじゃないの?」と訊いた。

「いい質問じゃの、ロッキー」

「でた! ○上彰」

「威真の贋者だけは存在しなかった。秋一族は先を読む力に優れており、威真が殺害された時にすぐさま、白虎の剣と彼の妻子を隠したのじゃ。それからは国中を逃げ回って生き延びた。剣士の血統のうち秋家だけが残ったのはそのお蔭と、威真が子を残していたからということで、秋家では早婚を奨励するようになってな。牙門も早々に婚約者を決められたというわけじゃ」

「ふ~ん」

 みんなのニヤニヤ笑いを受け、牙門は顔を赤らめて否定するかのように言った。

「私はまだ婚約なんて……そんなことを考える余裕はありません。それに、私の母は父の許婚ではないし、そもそも日本で知り合って結婚しました。もちろん早婚でもない。どうして私だけが秋家のしきたりに……」

「それじゃあ、ミス華鈴がかわいそうね」

「そうだよ。『牙門さまったらひどいわ』って怒られるぜ。オレ、知~らない」とからかい半分に言ったあと、龍は「秋家のしきたりなら剛芳のおっちゃんもそうだったの? 泰喬にも許婚、いるのかな?」と尋ねた。

「たしか楊寧は剛芳の許婚だったが、泰喬は決まっておらんの」

「何だよ、じゃあ許婚がどうこう言われてるの、牙門だけじゃん。まあ、泰喬はめっちゃ性格悪いからな、ちょっとばかり顔が良くても、モテるわけないか」

 そこで至のキンキン声が飛んだ。

「龍君! これで何度目の暴言だよ、まったくもう、いくら本当のことだからって……」

 つい口を滑らした至はみんなに笑われる羽目になった。

「も、もし、本人の耳に入っても僕は関知しないからね」

「わかってるよ、ここだけの話じゃねえか」

 天盟も笑いながら「あれで泰喬にもいいところはあるのじゃよ、腕も立つしの。まあ、仲良くしてやってくれんか」と擁護した。

「午後は今話題の剛芳のところじゃ。昼食後に行くと伝えてある。わしは村の用があるから、牙門、皆を案内してくれ」

                                 ……❹に続く