MY MEMORANDUM

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輝蹟の剣〈中国旅情編〉 ❷

   第一章 剣の故郷

 

        1

 

「中国って広いなあー。これが全部ひとつの国だなんてウソみてえ」

 真ん中の席の右の窓際に座った龍は車窓に流れる異国の景色を大喜びで眺めた。さっきまでのくたびれた様子とは打って変わって、その姿はバスで遠足に向かう幼稚園児のようだ。そんな龍の隣で、窮屈そうに身体を縮めた季村至が迷惑そうに言った。

「龍君、ここの座席狭いんだから、暴れないでくれる?」

「何だよ、頼んでねえのについてきたくせに」

「あのね、何度も言ってるように、僕はコーチから依頼されたの。君たちは全国大会の出場選手なんだから、健康管理や怪我……」

「はいはい、わかりました」

「まあ、いいじゃない。旅は道連れ、世は情けってやつね」

「ロッキー、いつも思うんだけど、どうしてそういう言葉知ってんだよ?」

「ボクってハクガクでしょ」

 子犬三人組のやりとりは相変わらずで、龍の後ろの席、三列目の右窓際席で──真ん中は天盟、左側は傭兆──腕を組んだ夏樹翔が溜め息をついた。

 今回はさすがに制服着用ではなく、集合場所に現れた際には、ダンガリーシャツにジーンズ姿を龍にからかわれている。

「あー、翔、また呆れてるだろ。どうせいつもの『おめでたいヤツだ』を言おうと思ってるんだぜ」

「判っている割には進歩がないな」

「ちぇっ」

 ふくれ面の龍に、至と冬元ロッキーがクスクス笑う。龍と翔のやり取り、ボケとツッコミがすっかり定着しているようだ。

「それにしてもさ、おまえのじいちゃん、あの校長、ヤなオッサンかと思ってたけど、けっこう気前いいじゃん」

 イヤなオッサン呼ばわりされている夏樹大二郎だが、彼は四人の剣士+至の中国行きを承認し、旅費や滞在費用など、すべての経費を引き受けたのだ。

「またそういう暴言を……今回の件は校長先生のお蔭だからね。先生が後押ししてくれたから、みんな承知したんだし」

「そうだよ。スクールマスターはボクらのスポンサーね」

 すると翔は「フン」と気のない返事をし、さらに吐き捨てるように言った。

「ヤツは剣の秘密が知りたいだけだ。別に俺たちを手助けしようとか、そんな殊勝な気持ちはない」

「そりゃまあ……」

 こちらの三人は顔を見合わせた。

 朱雀の剣を影刃族に渡して以来、さらに悪化した翔と大二郎の冷戦状態は翔が朱雀の剣士と判明して少しは改善されたものの、まだしこりが残っているらしい。

 助手席に座っていた牙門が後ろを向いて話に加わった。

「とにかく校長先生には感謝しているよ。私たちだけでは、この費用を賄うことはとうていできなかった」

 決して豊かとはいえない生活を送っている影刃族の現状、剣士たちを村に招待したのはいいが、懐事情はかなり厳しかったようだ。

 車内にしばし沈黙が漂い、ポンコツ車のやかましいエンジン音と、いかれたサスペンションのせいか、ミシミシという音が不規則なリズムを刻む。龍が再び口を開いた。

「なあ、牙門。このあたりの名物って何?」

 面食らった様子の牙門、龍はいつも持ち歩いているリュックのポケットからクシャクシャのメモ用紙を取り出した。

「ばあちゃんが土産買ってこいってうるさいんだよ。えっと、お隣の新井さんと江藤さんか。山田さんってのは、たしか老人会の会長だったな。あれ、今村さん? 誰だろう。まったくもう、遊びに行くと思ってんだから困ったもんだぜ」

「ボクのママもだよ。ダイエット効果のある本場の烏龍茶を買ってきて、だって」

「やれやれ……仕方ないけど」

 至はずり落ちそうなメガネを引き上げた。今回の旅について、他の剣道部部員や周囲の人々に対しての説明は「牙門の知り合いのところで剣道部一・二年選抜メンバーによる強化合宿を行う」としてある。本当の目的を話せるはずもない、それを知っているのは龍の祖父・団兵と大二郎、沢渡コーチだけだ。

「温泉まんじゅうみたいなのあるかな」

「あんこが腐っちゃうからダメだよ。食品は日持ちするものでないと」

 すると、土産物談義を小耳に挟んだ天盟がいきなり話に参加した。

「そうじゃ。だからわしも『雷おこし』しか買えなかったんじゃから……」

「天盟様! 『鳩サブレ』も買ったじゃないですか! 何が我々には時間がない、ですか。すっかり遊び惚けてしまって……またいつ、誰に狙われるかも判らないのに」

 傭兆が呆れ顔で一族の長を諌める。本当は先発の八人と一緒に帰るつもりだったのに、老人のワガママのせいで東京見物につき合わされたのだ。

「そうムキにならんでもよろしい。せっかく日本へ行ったのじゃから、東京だけでなく京都や富士山も見たかったのに、こやつときたら、うるさいの何の……」

 おしまいの方はぼやきになっている。この二人のボケツッコミも恒例となりつつあった。

 土産物の話題も一段落し、欠伸をした龍はうとうとと居眠りを始めた。つられてみんな船を漕ぎ出す。剣士のしばしの休息だった。

 

        2

 

 車が大理にさしかかった頃には、太陽は西の空を染め始めていた。街中を抜けてしばらく行ったところに目的地の村がある。

 山間のわずかな畑の中に点在する家々、この辺りの地域ではごく普通の光景だ。都会から郊外に出ると、あっという間に田舎の景色になるのはどこの国にも共通している。

 顕篤の車が到着した、天盟が帰ったと知れ渡ると、村人たちがわらわらと集まってきたが、その中には先に帰っていた華鈴と泰喬の姿もあった。

「お帰りなさいませ、天盟様」

 車から降りた天盟の右脇に、長を庇護するかのように傭兆が立つと、泰喬が反対側にやって来て、さっそく若長に厭味を言った。

「我抜きの警護は心もとなかっただろう」

「お蔭で楽しく過ごせたがな」

 二人の腹心がやり合う中、集まった村人の一部が天盟の前で平伏し、その様子を見ていた龍は何かを思い出そうと首をひねった。

「オレ、こういうのどこかで見たことある気が……あっ、そうだ、『水戸〇門』!」

 最初に吹き出したのはなんと、翔だった。至とロッキーも笑いだしそうになるのを堪えている。

「何だよ翔、おまえがそんなふうに笑うの、初めて見たぜ。笑ったってことは『水〇黄門』を知ってるんだよな。ウチはじいちゃん、ばあちゃんが時代劇大好きだからさ、つい一緒に観ちゃって」

「なるほど、言われてみれば……」

 なぜか真顔で感心する牙門、華鈴は目を輝かせた。

「それではわたくしがお銀でしょうか?」

「ミス華鈴、お銀といえばバスルームのシーンね」とウィンクするロッキー、華鈴は顔を真っ赤にした。

「まあ、ロッキーさまったら恥ずかしい」

「何でもいいけど、どうしてみんな、『〇戸黄門』に詳しいんだよ?」

 呆れる至、龍はますます調子に乗った。

「まあまあ、それが解るドクターも番組を観てるってことじゃねえか。なあ、おまえはどう思う? やっぱり昔の、八兵衛がいたシリーズの方が面白いだろ?」

 盛り上がる彼らを見やって、天盟はニコニコと嬉しそうだった。

「ほほほ。龍は愉快な男じゃの。のう、助さん、格さん」

「御隠居、じゃなくて、天盟様まで何てことを……」

 つい、つられてしまった格さんもとい、傭兆に対し、助さん泰喬は何のことかと、しらけたままだった。

 この情景を呆気にとられて眺めていた村人たちが「あの若者たちは?」と尋ねると、天盟の顔がようやく引き締まった。

「彼らこそ、選ばれし輝蹟の剣士じゃよ」

 

        3

 

 村の中央に建つ天盟の屋敷に案内された頃には、空はすっかり暗くなっていた。

 屋敷といっても、他よりやや広い程度の家で、敷地内に別棟があり、木造に藁葺き屋根の造りは同じである。中に入ると、龍たちは居間にあたる部屋に通された。部屋は十畳ぐらいの広さで、天井が低く煤で汚れている。部屋の中央に日本でいうところの、卓袱台を大型にしたような食卓が据え置かれていた。

「長旅御苦労じゃった。気兼ねなく、ゆるりとしておくれ」

 天盟はその場に控えていた人々を紹介した。息子といっても、齢七十になる空天醍(てんだい)にその妻、伶苓(れいれい)。この家の切り盛りはもっぱら二人に任されている。

 それから天醍たちの孫、天盟にとっては曾孫にあたる空香蘭(こうらん)という少女が現在ここで同居している家族となる。客人たちの世話は香蘭が務めることになっていた。

 香蘭は龍たちと同じ年齢で、華鈴とは友達同士らしい。小柄でぽっちゃりとした、愛嬌のある顔立ちの彼女は華鈴のような美人ではないが、親しみの持てるタイプである。

 目の前に若い男がズラリと座っているせいか、香蘭は頬を赤らめてうつむき、小さな声で「よろしくお願いします」と言った。

「こちらこそ、ヨロシクね」

 ロッキーが愛想のいい返事をすると、初めての白人のお客に戸惑ったのか、目を見張ってからぴょこんと頭を下げた香蘭はそのあと、厨房から美味しそうな料理の乗った大きな平皿を持ってきては食卓の上に並べた。

「お腹が空いたでしょう。さあ、召し上がってくださいな」

 料理番の伶苓が声をかける。痩せぎすで神経質そうな夫とは対照的に、彼女は太めで気のいいおばちゃんといった感じだ。

「やったー、メシだ!」

「いただきまーす」

「ベリー・デリシャスね!」

 食事が終わってしばらくすると、秋家の人々が訪ねてきた。剛芳・楊寧(ようねい)夫妻に顕篤の妻つまり、牙門の母まなみである。

 影刃族の女たちが型の古い地味なブラウスやスカートを履いているのに対して、まなみは都会的、垢抜けたファッションだったが、みんなが驚いたのは他でもない。

「うわ~、マジで?」

「牙門先輩にそっくり!」

 つまり、牙門の美貌は母譲り。天盟が語るところによると、何年か前までは美人コンテストに連続優勝していたらしい。

「……こんな小さい村の中だけでミスコンやるか、ふつう」

「シッ、聞こえるよ」

「まあ、ミスコンは自由だけど、秘境に住む民族のイメージじゃないね」

 例によって三人組がひそひそ話している傍らで、秋家の一族は牙門と感動の再会を繰り広げていた。武夷族の襲来で牙門が怪我を負ったと聞いた母は相当心配していたようで、ひとしきりその話をしたあと、父も夏休みを取ってしばらくこちらにいると言った。

 そのあと、伯父である剛芳が「おまえが白虎の剣士に選ばれたというのはワシの予想通りだな」と語りかけてきた。

 村一番の武術の達人といわれるだけあって、二メートル近い長身にがっしりとした体格といい、強面の顔つきといい、この豪快な人物は二人の弟たちとはあまり似ていない。

 しかしながら、今年の初めに山で怪我を負って足を痛めた彼は達人という名誉の称号を返上し、ただの武術指導者だと名乗った。

 それにしても剛芳は自分の息子である泰喬よりも甥の牙門を評価しているらしく、父の態度に鼻白んだ泰喬は「父上は相変わらず牙門贔屓のようで」と皮肉った。

「おまえには以前話したはずだ。腕が立つだけでは剣士には選ばれないとな」

「人を思いやる心、秩序を守る姿勢、とか何とか、説教臭いアレか」

 泰喬は父から輝蹟の剣士の心得を聞かされていたらしいが、あんなもの、バカバカしいとせせら笑った。

「だったらそこにいるヤツも、とても選ばれし者とは思えんが」

 彼の視線の先、部屋の隅に座って壁にもたれたまま、泰喬を見返したのは翔だった。

「父上よ、その男にも例の説教を聞かせてみたらどうだ。とても剣士なんて務まらないと、剣を返してくるんじゃないのか」

 乾いた声で笑う泰喬、彼は牙門以外の剣士の中でも、特に翔のことが気に入らないらしい。「おやめください」と華鈴が止めるのも聞かず、声高に罵った。

「俺には関係ないだと。秩序を守る姿勢が聞いて呆れるわ。そのくせ、言われるままにふらふらついて来やがって、何を考えているのやら。あれは朱雀の見込み違いだろう」

 すると、今まで黙って取り合わなかった翔がいきなり泰喬の胸ぐらをつかみ、そのあごの下に朱雀の剣の柄を押し当てた。

「……余計なおしゃべりをする口は切り取った方がよさそうだな」

 彼の凄味に、さすがの泰喬もたじろいだが、龍が翔を、剛芳が泰喬の腕をそれぞれ捕まえて、何とか二人を引き離そうとした。

「翔、やめろって!」

「よさんか、泰喬。日本からの客人に、何たる無礼な」

 剛芳は翔と、その場にいる人々に詫びると「今夜はこれで失礼します」と言い残し、息子を引きずるように帰っていった。

「やれやれ、泰喬にも困ったものですね」

 傭兆がそう言うと、天盟は悲しげな目を戸口に向けた。

「あれも可哀想なヤツなのじゃ。父親は達人と呼ばれた使い手なのに、従弟の牙門が選ばれた剣士になれなかったのじゃからな。さて、そろそろお開きにするかの」

 傭兆が華鈴を送りながら帰って行くのを見届けたあと、龍たちの宿泊場所にあてがわれた別棟の建物への案内を香蘭に命じた天盟は牙門も移動しようと荷物を手にしたのを見て、「そなたはいい。今夜は家に戻りなさい」

「いや、しかし……」

 自分だけが親元に戻るというのは気がひけるのか、牙門はチラリと仲間たちを見る。

「ボクたちなら、ノー・プロブレムね。久しぶりに帰ったんだから、ゆっくりしたら?」

 ロッキーが促すと「そうそう、遠慮はいらねえぜ」と、龍も牙門の背中を両親の方へ押しやるようにした。

「父上や母上に甘えられるのも今夜限りじゃよ。明日からはスペシャル・メニューとやらが待っておるからのう」

 天盟にそう言われて、やっと決心がついたのか、ていねいに挨拶をした牙門一家が立ち去ると、龍たちも香蘭のあとに続いて離れへと向かった。

 

        4

 

 母屋から外に出ると、十メートルほど離れたところに平屋の建物があった。六畳ほどの広さの板間が二部屋にトイレという間取りで、布団というよりはマットレスにタオルケットのような寝具が用意されている。

 旅館の仲居のように、寝床を準備しようとする香蘭だが「あ、いいですよ。僕たち、自分でやりますから」と至が遠慮したため、

「そうですか。では、お願いします」

 すると龍が「なあ、この辺って風呂はないの?」と訊いた。

「各家庭にお風呂はありませんが、共同浴場ならありますよ」

 天然の温泉が湧き出ていて、そこが村全体の風呂ということらしい。

「温泉か。やったー、行ってみよっと」

「中国の温泉は水着をつけて入る習慣になっていますから気をつけてくださいね。あそこは混浴ですし」

「えっ、混浴? ど、どうしよう……」

 ロッキーが大笑いする横で、至は呆れ返ると釘を刺した。

「何照れてんだよ。龍君ってば、温泉旅行に来たんじゃないからね」

「判ってるよ。そう固いこと言うなって」

 笑いの収まったロッキー、今度は真面目くさった顔になると「スパは明日の朝にでもしようよ。もう遅いし、ミス香蘭に案内させるわけにはいかないね」

「そうだな。今夜はさっさと寝るか」

 香蘭が母屋に下がると「いい人だね」と至が言い、ロッキーも同意した。

「イエス、ボクらのスクールのガールみたいな『イマドキの女子』じゃないね」

「大和撫子っていうのかな? 元祖の日本じゃ絶滅しているかも」

 それから奥の部屋を龍と翔が──翔と同室になれるのはタメ口でやり返せる龍しかいない──手前を至とロッキーが使うことにすると、それぞれ寝具の準備を始めた。

「ドクターのパジャマ、プリティだね! キラキラスターがついているよ」

「なんだ、パジャマなんか持ってきたのかよ。どっちが旅行気分なんだって」

 言われ放題の至が反撃する。

「龍君こそ、そのTシャツ、さっき着ていたのと同じにしか見えないけど」

「ここのマークが違うだろ。旅先はこれでいいんだよ。おい、ロッキー、裸にネックレスだけで寝るなよな。何だかやらしいぞ」

 ワイワイガヤガヤ、修学旅行の大部屋のような賑やかさの中で、翔は早々と布団に入ったが、その手には朱雀の剣が握られていた。

 日本からここまで、何事もなく到着したものの、油断は禁物である。いつ何時、何が起こるかわからないのだ、気を緩めるわけにはいかない。

 はしゃいではいるが、その思いは龍もロッキーも同じで、二人とも枕の横に自分の剣を並べるのを忘れなかった。

 異国の地の夜は灯りを消しても寝つかれない。身体は疲れているはずなのに、目が冴えてしまう。

(勢いで来ちゃったけど、これからどうなるのかな……)

 不安な気持ちになって寝返りをうつと、

「さっさと寝ろ」

 隣から低い声がして「言われなくたって解ってるよ……自分だって起きてるくせに」と聞こえよがしに呟く龍、

「考えたって始まらない。村へ行くと最初に決めたのはおまえだ」

 静まり返った部屋の中で、至の高いびきだけが響いていた。

                                 ……❸に続く