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輝蹟の剣〈中国旅情編〉 ❽

   第七章 西へ──秋牙門の試練

 

        1

 

 影刃村を出て三日目。西の方角を目指して旅を続ける牙門は騰衝の街の手前にある嬰慶(えいけい)村にさしかかっていた。

 照りつける日差しは厳しく、額の汗を拭った彼は辺りを見回したが、広々とした畑が続くばかりの村で、商店と呼べそうな建物はない。せめて水でも貰えればと、カラになった水筒の紐を握り、村人の姿を探した。

「あそこに誰かいる。助かった」

 編笠を被った人物が腰を屈めて畑仕事をしている。その傍に歩み寄った牙門は地元の言葉で声をかけた。

「すいません、旅をしている者ですが、少し水を分けていただけませんか?」

 すると村人は顔を上げて訝しげに牙門を見た。中年というよりは老人に近いその男は誰かの名前を呼び、それに答えるように、隣の畑から別の男が顔を出した。

「この若い人に水を分けてやっとくれ」

 頷いた相手の男だが、彼は牙門の姿を見ると顔色を変えた。それから最初の男に何やら囁くと、こちらも態度が変化したのである。

「あんた、この村に何か用かね?」

「い、いえ、私は通りかかっただけで」

 いきなりの詰問に戸惑いながら、牙門は二人の村人を交互に見比べた。

 彼らはひそひそと話したあと、向こうを指さして「あっちに共同の井戸があるから案内しよう」と言った。

 不審に思いつつも、親切を無にしてはと続いた牙門、たどり着いた井戸で水筒に水を汲んでいると、彼の周りをあっという間に大勢の男が取り囲んだ。それぞれ手に鎌や鍬などの農具を持ち、何やら警戒する面持ちで牙門の動きを注視している。

「これは何事ですか?」

 驚いた牙門は男たちの中にさっきの二人を見つけた。彼らが仲間を呼んできたらしい。その中の一人、身体が大きくて屈強そうな髭面の男が進み出て、刀を牙門に向けた。

「やい、麒麟児(きりんじ)。真っ昼間から一人でのこのこ現れるたあ、いい度胸じゃねえか」

 牙門は呆気に取られた。

「私は麒麟児という名ではありません。人違いではないですか?」

「しらばっくれるんじゃねえよ。そんな格好のヤツが何人もいてたまるもんかってんだ。まったく、ふてぇ野郎だぜ、おいっ!」

 髭面の合図で、村の男たちは一斉に、牙門に襲いかかってきた。思わず背中の白い筒に手をかけたものの、本来は善良そうな村人たちが何か勘違いをしているのだと思うと、本気で剣を抜くわけにもいかない。

 しかし、まともに攻撃を喰らってもまずい。身を翻した彼は何とかこの場から逃れようと、道端に落ちていた細長い板で応戦しつつ、元の道の方向へ戻ろうとした。

「クソッ、何て身の軽いヤツだ」

「麒麟児め、さすがだな」

 牙門を追う村人たち、と、そこへ一人の少女が彼らの前に立ちはだかった。

「みんな、乱暴はよしな!」

「じゅ、珠紅(じゅこう)……」

 細身の身体に丈の短い着物を纏い、肌が浅黒く勝気そうな顔をした、珠紅と呼ばれた少女はくるりと牙門の方を向いて上から下まで眺めたあと、追っ手の方に向き直った。

「たしか麒麟児は赤い髪をしていると聞いたが、この者の髪は黒いではないか」

 獲物の捕獲を妨害されて、さっきの髭面が渋い顔をして吐き捨てた。

「髪なんぞ、染めればどうにでもなる」

「それに、麒麟児ともあろう者が供も連れずに井戸水を汲むなどという、うっかりしたことをするとは思えぬが」

 この珠紅という少女は何者なのだろう。大の大人の男たちが彼女には一目置いているようで、不思議な光景に牙門は唖然としたままである。すると今度は牙門に向かって、珠紅は毅然とした態度で言った。

「とにかく警察へ来てもらいましょう。その身が潔白ならそれを証明すればよい」

 潔白も何も、単なる勘違いではないかと牙門は思ったが、事を荒立てるわけにもいかず、仕方なく従うことにした。

 

        2

 

 牙門は嬰慶村の警察署にあたる建物に軟禁される羽目になった。しばらくそこにいれば、あとは何とかしてやる、といったことを珠紅は言い残していた。

 牙門のいる部屋は宿直室として使われているらしく、小さな座卓と寝具が備えられていた。別室には警備の者が控え、牙門から取り上げた白虎の剣を保管している。表もあの髭面を始めとした、数名の強者が見張っており、ここから逃げ出すのはどうあっても無理というわけだ。

「こうなったら、ここが今夜の宿だと思うしかあるまい」

 昨夜もその前も野宿だったし、久しぶりに屋根のあるところで寝るのも悪くないと、楽天的に考えることにしたのである。こんなふうに受け止められるようになったのも、龍の影響かなと思ったりもした。

 四方へ散った仲間も、蛇稀がうろつく影刃村の現在も気にかかるが、今は後天命の書を探し出すのが先決だ。あれから手掛かりを求めて歩き続けたが、絵地図にあるような景色にはお目にかかっていない。

「皆、今頃どうしているだろう。ここで道草を食っている場合ではないのだが……」

 珠紅は嬰慶村の長の孫娘だった。どうりで村人たちに対して、強い態度をとっていたわけだ。

 麒麟児という者の正体もここに来てから判明した。影刃村では知られていないが、白麒衆(びゃっきしゅう)と呼ばれる盗賊集団がここらの地域で暗躍しており、その白麒衆を率いているのが麒麟児だったのだ。

 麒麟児は弱冠十五、六歳の少年だが、白麒衆のカリスマ的存在らしい。赤い髪を長く伸ばし、白い着物と葛袴のような服を着て、背中に刀を背負った、かなりの美少年という噂で、髪の色こそ違え、牙門が間違えられるのも無理はなかった。

 盗賊集団と人は呼ぶけれども、当の白麒衆は自分たちが義賊のつもりでいる。豊かな村の金持ちの家を襲って、そこから巻き上げた金品を貧しい人々に配って歩くのだ。

 収穫された農作物が高値で取引されるためか、村民の生活が潤っているこの村にも、お宝を戴きたく参上、という白麒衆の予告状が届いた。義賊らしく、予告して正々堂々と金品を奪う。自己満足とも思えるが、彼らはこのやり方を誇りとしていた。

 予告された日時は明日の昼、牙門はタイミング悪く通りかかったものである。首領である麒麟児自身が一足早く乗り込んできたと思われても仕方ない。

 だが、脱出不可能なこの場所にいて、予告された時刻に本物の麒麟児が現れれば牙門への疑いは晴れる。珠紅はそう考えたようだ。

「しかし、村が襲われるのを見過ごしてよいものか……」

 義理、正義──義を重んじる五行の金を頂く白虎の剣士としては、ここでじっとしているなんて気持ちが落ち着かない。

 珠紅の計らいで食事も与えられたし、入浴もできた。ここまで親切にされるとは、やはり牙門の美貌がモノをいったのだろうか。食事中、見張りがついているとはいえ、村の若い娘たちが入れ替わり立ち替わり給仕に訪れては、彼の姿を見て騒いでいたのが何よりの証である。

 そんな騒ぎも一段落し、部屋で一人になった牙門はどうしたものかと考えていたが、出発前に至から渡された通信機のことを思い出した。

 幸いなことに、没収されず手元に残っていたのだ。滅多に使うものではないと戒めて、ここまで来たが、今なら許されるだろう。

 辺りを憚りながら通信機のスイッチを押すと「……はい、こちら至です。どなたですか?」と、聴き覚えのあるカン高い声が返ってきた。相手を尋ねるあたり、四人のうちの誰からの通信かというところまでは判らないようだ。

「至、私だよ。牙門だ」

 三日ぶりの仲間との会話に、牙門は自分の置かれた状況も忘れて、楽しげに話しかけた。

「牙門先輩ですか。お元気そうでよかった」

「みんなからの連絡はあった?」

「出発早々に龍君がふざけて何か言ってきましたけど、あとは別に」

「そうか。いや、じつは……」

 事情を説明すると、驚いたらしい至は天盟に代わると言い、親機を持って離れから母屋へ走ったらしく、ガタガタとゆれる音が聞こえた。やがてその音が静まると、今度は天盟との会話が遠くに聞こえ、オホンという咳払いがした。

「えー、本日は晴天なり」

 今ほど傭兆の気持ちが解ったことはない、牙門はそう思った。

「長老様!」

「おー、いやはやすまん。どうしたのじゃ、牙門。何やら大変な様子らしいが」

 そこでもう一度、今日の出来事を手短に話すと、天盟は唸るような声を出した。影刃村に被害が及ぶことはなかったが、麒麟児に関しては周辺の長から情報を得ていたのだ。

「……麒麟児か、聞いたことはあるぞよ。才能があって将来が期待される少年を麒麟児と呼ぶのじゃが、そやつ、自分で自分をそう呼んでいるらしいの」

「それはどういう意味ですか?」

「誰もヤツの本当の名前を知らんのじゃ。つまりその出生は謎、どうやら孤児らしくて親も兄弟も判らず、当然本当の名前も知らず、自分と同じような身の上の者を集めて白麒衆を結成したらしい」

 それから村を守りたいという牙門の希望に、

「そなたらしいの。まあ、思うままにやるがよい。おお、そうじゃ。今、嬰慶村にいると申したが、さっきの娘の名は何と?」

「珠紅、ですが」

「そうそう、珠紅じゃ。わしが会った時はまだ五つの子供じゃったが、あの子がもう、そんな娘になっていたか」

 十年ほど前、嬰慶村を訪れた天盟は村の長、鎮双元(ちんそうげん)と意気投合。日本文化に詳しい天盟に、日本についていろいろ聞かせてくれと頼まれたらしい。

「……で、わしとヤツしか知らない、日本語の合言葉を決めたのじゃよ。明日の朝にでも双元と会わせてもらえるよう頼んで、そこで合言葉を言えば、そなたの身分が証明されるはずじゃて」

 天盟と双元の、友情の証とされる合言葉を聞いた牙門は思わず絶句した。

「よいか、牙門。わしの授けた作戦、必ず実行するのじゃぞ」

 

        3

 

 翌朝、朝食を持ってきた珠紅に、牙門は昨晩、天盟と交わした会話をかいつまんで聞かせた。

「……そういうわけで、ぜひともお祖父様にお会いしたいのですか」

 しばらく考えていた珠紅は了承したらしく、表に出てしばらくすると、一人の老人と何人かの御供を連れて戻ってきたが、この老人こそが鎮双元だった。

 麒麟児かもしれないと疑われている男のところへ村の長が直々に訪れるなど普通は考えられず、彼は御供──数人の警護の男たちに囲まれ、遠い位置から牙門と対峙した。

「気をつけてください、長老。相手は麒麟児かもしれないヤツです。どんな手段を使ってくるか予測が……」

「判っておる、大丈夫だ」

 しつこく注意する警備陣に、双元はうるさそうに手を振った。孫の珠紅によく似た、痩せ形で色黒の双元だが、顔つきは穏やかで温厚な人物のようだ。

「私が鎮双元だ。直々に話があるそうだが」

 双元が切り出すと「わざわざお越し下さり、痛み入ります」と牙門は丁寧に頭を下げた。

 それから牙門は自分が影刃村から来た秋牙門という名であること、天盟の命令を受けて旅をしていること、麒麟児に間違われたことを説明した。

「麒麟児なる者が私とよく似ており、間違われたのも仕方ないとは思いますが、天盟が旧知の仲である双元様に、お二人しか知らない合言葉をお聞かせすれば、誤解が解けるだろうと申しまして」

「なるほど。で、その言葉を天盟殿から聞いたのだな」

「はい」

「それでは、我らの合言葉を申してみよ」

 一瞬、ためらった牙門だが、意を決すると口を開いた。

『……キミたちがいて、ボクがいる』

 しばしの沈黙が宿直室に漂った。ポカンとしたままの警備の男たちをよそに、双元は豪快に笑いだした。

「はっはっは。たしかにおぬしは影刃の者だ。いやはや、済まぬことをしてしまった。この双元がお詫びいたすゆえ、数々の無礼を許してもらえないだろうか」

「いえ、解ってもらえれば、私は何も」

 双元の後ろに控えていた珠紅は何のことだか解らないといった顔で祖父に質問した。

「じい様、今のは何だったの?」

「日本のチャー○―浜という喜劇役者の、友情に溢れたいい言葉だ」

 感慨深げに語る双元、それは違う、お決まりの場面で使われるギャグだと訂正したい牙門だが敢えて黙っていた。

 白虎の剣も手元に戻り、ようやく解放された牙門は本物の麒麟児の動きが気になって現状を尋ねてみた。

「予告状にあった時刻は十二時、あと二時間ほどだ。やはり彼らは時間どおりに来るだろう、それが美学だと思っているようだしな」

「そうですか。もし、狙われるとしたら」

「まあ、まず、私の家に違いない」

 双元はそう言ったが、それほど慌てる様子も、怯えたところもなかった。彼らが期待するほど金品があるわけではないが、いくらか与えておとなしく引き揚げてくれれば、かまわない。双元は白麒衆と取引し、平和的に解決するつもりだったのである。

「それで納得するでしょうか?」

「判らんがしかし、我々の武力ではとうてい敵う相手ではないのだ。戦うつもりでいる者もおるが、そんな無茶をさせるわけには」

 ここで関わり合ったのも何かの縁だからと、牙門は双元に同行する意を示し、その屋敷へと向かった。

 

        4

 

 昨日の晴天が嘘のように、上空に暗雲がたちこめている。鎮邸の周囲には大勢の男たちが集まっており、そこへ牙門を見張っていた者や双元を警備していた者も合流して、人々の数はますます膨れ上がった。

 双元が姿を現したのを見て、彼がどこかへ避難したと思っていた連中はなぜ戻ってきたのかと口々に言った。

「ここは我々に任せて、双元様は安全な場所に隠れてください」

「そうだ、万が一のことがあったりしたら」

 しかし双元は首を横に振った。

「村を放り出して私だけが逃げるわけにはいかない。麒麟児との交渉は私が行う。よいな」

 じりじりと時が経って、みんなの顔に疲れが見え始めた頃、ふいに突風が吹いたかと思うと、屋敷の屋根の上に誰かが座ってこちらを見下ろしていた。風になびく真っ赤な髪に白い着物と葛袴を纏った少年、本物の麒麟児だった。

 彼は牙門よりも年上のはずだが、想像していたよりも幼く、やんちゃ坊主タイプ。美少年の範疇には入るだろうが、近寄りがたい感じの美形でもなく、白麒衆のカリスマというイメージとは少し違うようだ。

「よう、これまた大勢で歓迎してくれてるようだな、ありがとよ」

 人を喰った、ふてぶてしい態度の麒麟児が合図をすると、その背後から手下たちが湧き出て、屋根の上を占領した。

「何てヤツらだ、いつの間にあそこへ」

 屋敷の周りは警備で固めていたはずなのにどうやって入り込んだのか。牙門は剣の柄に手をかけると、双元の後方で待機した。

 当の双元は落ち着き払って、話し合いに応じるよう、麒麟児に呼びかけていた。金の入った箱を示して、これで納得して欲しいとも言った。

 だが、麒麟児はそっぽを向いて「そんなはした金じゃ、おれたちの腹の足しにもならないぜ。あり金残らず出しやがれ、ここでひと暴れされたくなかったらな」などと、悪態をついた。

 しかし、双元は脅しに怯むことなく、相手を見上げて高らかに言い放った。

「おぬしら、義賊のつもりでいるようだが、やってることは下賤な盗賊と変わらんな」

「おいこら、おれに説教たれるつもりか」

 気分を害したらしく、麒麟児は立ち上がって双元を睨みつけた。

「あんたら金持ちに、おれらの気持ちが判ってたまるか。親に捨てられ、ガキの頃から這いつくばって生き延びてきた、おれたちの気持ちがよっ!」

 屋根からひらりと舞い降りた麒麟児が標的にしたのは珠紅だった。羽交い絞めにされ、気丈なはずの少女も悲鳴を上げた。

「何をするつもりだ!」

 ニヤリと笑いを浮かべた麒麟児、彼も背中に刀を背負っており、それを抜くと珠紅の喉元に突きつけたのである。

「あんたのとこの娘だろ。こいつを人質にするってのはどうだ? 金を出す気になったんじゃないのか」

 息を呑む人々に拳を握りしめる双元、牙門はついに、一歩前へと進み出た。不審そうな目を向けた麒麟児が「誰だ?」と訊ねる。

「私は秋牙門と申す者。この村では貴公に間違われてしまった」

 それを聞いて、麒麟児はケラケラと笑い声を上げた。

「おれに間違われた? そいつは愉快だ」

「ここの村人は皆、真面目で懸命に働いている。そんな人々を苦しめて、それで貴公は楽しいのか?」

「チッ、あんたまで説教する気かよ」

 麒麟児の全身に殺気が漲ってきたが、かまわず、牙門はその凛とした声で続けた。

「誰かの不幸の上に成り立つ幸せなど、本当の幸せではない。貧しい人や可哀想な子供たちを助けたいのなら、取り上げた金ではなく、自分の正しい働きで得た金でそうするべきではないのか」

「ケッ。この世はキレイ事じゃ済まねえよ」

「だったら、キレイ事が通る世の中にしようとは思わないのか。さあ、その手を放せ。女性を楯にするのは男として最低だ」

 すると麒麟児は思いのほか、あっさりと珠紅を解放し、彼女は転がるように走って祖父の後ろへと隠れた。

「おもしれえ。あんた、おれと勝負しようってんだな」

「そうしなければ収まらないなら、仕方あるまい」

 最初からこの展開は覚悟していたのだ。

「牙門殿!」

 たまらず声をかける双元に、牙門は「大丈夫です。私には正義の剣がありますから」と言って白虎の剣を抜くと、その刃は白銀色の光を放って周囲を圧倒した。

 ヒューッと麒麟児が口笛を吹いた。

「へえ、あんたスゴイの持ってるな。おれの青竜刀に太刀打ちできるのかい?」

 麒麟児が手にしているのは刃が大きく湾曲した幅広の刀、中国古来より伝わる青竜刀である。

 以前、天盟に輝蹟の剣、特に龍の持つ青竜の剣と青竜刀の関係を尋ねたことがあるが、輝蹟の剣の場合は五行思想にちなんだだけで、特に関連はないと聞かされた。

 先にも説明したが、刀と剣は同じような意味で使われていても厳密には別物で、青竜刀や日本刀のように、刀身の片方が刃になっているものを刀(トウ・かたな)と呼ぶのに対し、両刃のものが剣(ケン・つるぎ)である。もっとも、そこまで区別することにこだわらなくてもかまわないようではあるが。

 それにしても悪名高き麒麟児、その腕前も相当なものだろう。いくら輝蹟の剣士でも、『常聖学園剣道部』レベルの自分と勝負になるのだろうか。しかし、こうなった以上は己を信じてやるしかない。

「白虎よ、私に力を貸してくれ!」

 麒麟児の後ろには彼の手下たちがいて、それぞれに弓矢を構えているが、手出しはするなと首領に釘を刺された。

「おれとこの男の、一対一の真剣勝負だ」

 そう言って麒麟児が青竜刀の刃先を向けると、牙門も八相の構えを決める。

 これはたまたま彼が剣道の試合中に使ったものだが、輝蹟堂に並ぶ石像の秋威真のポーズもこの構えになっていたあたり、偶然ではなく何らかの暗示だと受け止めていた。

「そら、いくぞ!」

 ガッチリと重い青竜刀を振り回す麒麟児は華奢な見た目よりも強靭な身体の持ち主のようである。それを受け止め、撥ね返そうとする牙門、刃と刃が重なって、白銀の輝きがさらに増した。

 八相の構えから右、左に剣を払って、さらに上から下に……動きが頭に浮かんでくる。そんな指令のままに牙門は剣を操った。腕前は互角のようで、どちらも譲らない。

「なかなかやるな。このおれと、ここまでの勝負をするとは気に入ったぜ。見てくれもいいし、おれの仲間にならないか?」

 闘いの最中だというのに、麒麟児はそんなセリフを吐いた。

「私はできることなら闘いたくない。生きていればやり直せるからだ」

「それはおれがあんたに負けるからってことかい? たいそうな自信だな。その自信の源があんたの持ってる不思議な剣らしいが」

 輝蹟の剣に対して何かを感じたらしく、麒麟児はいきなり身を引くと、瞬く間に屋根の上に舞い上がった。

「あんたはおれを殺しはしないだろうが、負けるのは癪だ。その剣はいったい何だ?」

「輝蹟の剣のひとつ、白虎の剣だ」

 再び麒麟児は口笛を吹いた。

「輝蹟……噂には聞いているぜ、なるほどな」

 彼は手下たちに引き揚げるよう命じた。

「えーっ、このままですかい?」

「せっかくお宝が……」

「グダクダ言わずに、さっさと行きやがれっ!」と、不満そうな者を叱咤すると、

「この勝負は預けたぜ、秋牙門。またどこかで会おう」

 白麒衆一味が忽然と消えると、たちこめていた暗雲も消え、青空が広がった。

 ホッと息をついた牙門に、双元が駆け寄り握手を求めた。

「牙門殿、村を救ってくれて、何と礼を言ったらいいのか……」

「いえ、そんな……けっきょく白麒衆には逃げられてしまって」

「こっちもそのまま帰ってもらいたかったのだ、気にすることはない。ありがとう」

 双元が何度も礼を述べると、御転婆娘の珠紅も神妙な顔をして頭を下げた。

 

        5

 

 騒ぎが一段落すると、双元は牙門を自宅に招いて膳を振る舞った。そしてその席で「せっかくの機会ゆえ、ここでゆっくりしてくだされ」と、彼に逗留を勧めた。孫娘の、牙門に対する態度を微笑ましく見ていた双元は彼女のためにも、この若者を引き留めたいと考えたのである。

 麒麟児ではないかと疑われた男を庇い、みんなの反対を押し切って、彼に近づいて世話をした。珠紅が牙門に惹かれているのは明らかだったし、双元自身も彼の人なりが気に入ったからだった。

 すると牙門は申し訳なさそうな顔をした。

「せっかくのお言葉ですが、私は与えられた使命を果たさねばなりません。ある書物を探し出して、早く影刃村に戻らなくてはならないのです」

「それは残念だ……ある書物とは、もしかして輝蹟の剣に関係があるものかな」

「剣の伝説を御存知でしたか」

「天盟殿から話は聞いていたが、本当にそのような剣が存在しているとは、おぬしの闘いを見るまでは信じられなかったがな。おぬしがその、輝蹟の剣士だったと。それでは他の剣士たちも?」

「はい、同様に旅をしています」

 後天命の書の隠し場所を示した例の絵地図を見せると、双元は首をひねった。

「……もしや、虎跳石を表しているのではないか。ここに『白虎の飛躍、正義の勝利を呼ぶ』と書かれているだろう。この文は単なる剣士への励ましではなく、隠し場所を示しているのだ。この絵も虎跳石だ、間違いない」

 思いもよらぬところで情報を得ることが出来た牙門の顔に喜びが溢れた。虎跳石の場所を聞くと、牙門はさっそくそこへ向かうことにした。

「お世話になりました」

 一礼して歩き始めた牙門の後ろ姿を見送っていた珠紅は祖父の方に向き直ると、強い口調で言い放った。

「じい様、あたい、あの人の嫁になる。そう決めたからね」

 牙門の人生にまたひとつ、波乱を呼ぶ材料が増えた出来事であった。

 

        6

 

 一晩中歩き続けた牙門は翌日、目指す虎跳石に到着した。なるほど、これは大きな虎が飛び跳ねているような形をした岩だが、この岩のどこに後天命の書が隠されているのかと、彼はその周囲をぐるぐると歩いてみた。

 しかしながら、観光名所になっているこの場所を訪れる人は多く、岩の周りは囲いもしてある。うろうろしていると変な目で見られるし、囲いを越えて岩に近づくわけにもいかない。彼は人気のなくなる夕刻を待った。

「本当にこの岩なのだろうか。動かすのは無理だし、触ることすらできない感じだが」

 やがて陽が沈み、その場が静寂に包まれると、どこからかピーンという高い音が聞こえてきた。牙門が耳を澄ますと、それは自分の背後から、つまり白虎の剣が音を出しているのだと判った。

「これはたしか、夏樹の家の庭で聞いた……そうだ、剣同士が共鳴する音。ということは、剣と後天命の書が共鳴しているのか?」

 ダウジングをするように、彼は剣を下に向けて、音がもっとも大きくなる場所を探した。虎跳石から三メートルほど離れた位置で、その音は最大になった。

 何の目印もない草叢だが、牙門は地面を掘り始めた。三十センチほど堀って進めると、地面の下から陶製の壺が出てきた。かなり古いもののようだ。

 きつく締められた壺の蓋だが、その上に剣を近づけると、あっさりと開いた。その中には紛れもない、一冊の書物が入っていた。

「やっと見つけた……後天命の、義の書だ」

 震える手でそれを取ると、元々は白い表紙だったのだろうが、すっかり黄ばんでしまったそこに『義』の文字がはっきりと読み取れて、牙門の両目に涙が浮かんできた。

「私はどうにも涙もろくていけない。もっとしっかりしなくては」

 最初の部分には、これが後天命の書のうちの義の書であることや、これを手にするのは輝蹟の剣士の中でも白虎の剣士であることなどが書かれていた。その次には白虎の剣士の必殺技が図解つきで載っていたのだが、それを見て牙門はハッとした。昨日、麒麟児と対決した時に、脳裏に浮かんだ技と同じ戦法だったのだ。

「右肩に引きつけた剣を後ろにして構え、そこから右、左に剣を払い、上から下に切りつける……これぞ『迅雷閃光剣』?」

 おそらく、あの場面を切り抜けるために剣が教えてくれたのだろう。感動しながら牙門はさらに読み進めようとしたが、この発見を一刻も早く報告しなければと気づいた。

 至の通信機で連絡を取ると、義の書の発見を喜びながらも、天盟は浮かない声だった。

「……えっ、そんなことが? 解りました、さっそくそちらへ向かいます」

 掘り起こした地面を元通りに埋めると、牙門は虎跳石に別れを告げ、今度は北に向かって再び歩き始めた。

                                 ……❾に続く