MY MEMORANDUM

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パールの変調 ❻

    第五章

 長時間カンヅメにされて嫌気がさしているといった様子の学生たちの前に立つと、鴨下警部補は全員を見回してコホンと咳払いをした。部下たちもそれぞれ配置につき、先生はといえば、ちゃっかりと警部補の横にいた。

「これより皆さんの顧問である天総一朗教授からお話があります」

 その大半が先生の活躍を知らない文系の学生たちだ、きょとんとしてこちらを見ているが無理もない。が、農学部の学生はオカマ教授の名探偵ぶりを知っている。だからこそ、先生はオレたちにとって誇れる存在なのだ。

 軽く会釈をした先生は「この事件の具体的な発端は二週間前に起きた理工学部の研究室における盗難事件ですが、その原因となるものはもっと以前からありました。今日の定期演奏会の演目は五月に決定したとか。だとすれば事件の根となる出来事は五月、『真珠の雫』という曲を演奏する五名が集ったところから始まっていたのです」と述べ、問題の五名──死亡した摩耶を除いた四名──を順番に見やった。ふてくされた表情の哲、フンと鼻で笑う愛美、うろたえる譲、微笑みを浮かべたままの聖子、四人四様の反応を示している。

「メンバーの決定には紆余曲折があったという話ですが、何はともあれ演奏会に向けての練習は始まった。曲の演奏が終わって演奏会そのものが終わるということは三年の皆さんにとってサークル活動の終わりを意味しますが、その前にある決着をつけたいと思う人がいた。林田愛美さんです」

 その場にいた全員の視線が愛美に注がれる。彼女は挑むように先生を睨みつけたが、何も反論しなかった。

「中条哲さんを巡って愛美さんが亡くなった摩耶さんを憎んでいたことは周知のとおりです。サークル活動から引退すれば理工学部の彼女が文学部の摩耶さんと顔を合わせる機会は少なくなる。その前に決着をつけたい。チャンスは朝から翌朝まで、一緒の場所にいられる演奏会当日です。愛美さんは絃練の時間に砒素盗難の話をして、ことさらに人々の恐怖と疑念を煽った。特に摩耶さんは毒物を手に入れた愛美さんがいつか自分を殺すのではと疑心暗鬼になった」

「ちょっと待ってください」と疑問を投げかけたのは譲だった。

「もしも林田さんに殺意があったとしたら、自分が毒を持っているかのように吹聴するのはおかしくありませんか? 言い方は悪いですけどこっそり持ってて、相手に気づかれないようにする方が……」

「ええ、そうです。愛美さんの目的は別のところにあったのです。彼女は盗難事件をきっかけに砒素という毒物の存在を強調することで、砒素を使えば殺人が可能だと知らしめたかった。その作戦に真っ先に引っかかったのは当の摩耶さんでした」

「なっ、何だと? 摩耶を侮辱する気かっ!」

 怒りに狂った哲が先生につかみかかろうとする。すかさずブロックに入ったオレがその手首をしめあげ、身柄を刑事に渡すと、先生はニッコリと微笑んだ。

「ありがとう。さすが僕の助手兼ボディガードだね」

「どういたしまして」

 先生が自分を僕と呼ぶ時、オネエ言葉を封印する時は探偵モード全開だ。誰にも邪魔はさせない。

「摩耶さんは当初、昼の弁当を食べるつもりだったが理由があってやめた。彼女は箏の調絃係なのでずっと控え室にいましたから、その場で誰が何をやっているかはおおよそ把握できた。特に、すぐ傍で三絃の調絃を行なっている愛美さんの行動は逐一観察していた。彼女がいつ、自分の飲食物に毒を入れはしないかとびくびくしながら見張っていたんでしょう。ところで、弁当が届けられたのは摩耶さん自身がリハーサルに出る前後、あわただしい時間です。目を離した隙に愛美さんが弁当に毒を入れたかもと疑い、食べられなくなった。よって、コンビニで安全な食料を調達する羽目になったのです」

 弁当を巡る謎の行動は解明できたが、却ってわからないことも増えてしまった。それはみんなも同じ思いらしく、首をひねったり、額に手をあてたりして考え込んでいる。

「愛美さんに毒を盛られないよう用心しながらも、摩耶さんは自分なりの作戦を考えていた。それはあたかも毒を飲まされたように見せかけ、疑いを愛美さんに向けるというものです。そうなれば監視が行き届いて愛美さんは行動を起こせなくなる。場合によっては逮捕される。中毒死を心配せずに今夜の打ち上げで何でも食べられるというわけです。鴨下さん、卵白の結果はいかがでしたか?」

「先ほど連絡がありましたが、おっしゃるとおりでした。致死量ぎりぎりの砒素が混入されていました」

 ありがとうございますと礼を述べた先生は再び学生たちの方に向き直った。

「摩耶さんはまず、愛美さんが持っていると思われる砒素を手に入れました。今はインターネットの闇のルートでそういった毒物が簡単に入手できるといいますが、恐ろしい時代になったものです」

 鴨下警部補が渋面を作って頷く。警察としても頭の痛い問題だ。

「もっとも、大学の研究室などから盗むよりはネットを利用した方がバレにくいので犯罪者にとっては得策でしょう。ともかく、手に入れた砒素を卵白に混ぜた摩耶さんは何食わぬ顔でその容器をここに持ち込んだ。演奏中に箏爪がはずれたら、指をなめてはめ直すという話ですが、はずれないようにするための卵白ですから、いったんつけたらまず、はずれることはない。しかし、彼女は本番ではずれたフリをして指をなめた。観客に目撃させて証人になってもらう以上、実際になめないわけにはいきませんが、それによって加瀬くんが見事証人になったという次第です。それから摩耶さんは大袈裟な身振りで立ち上がると、今度は毒がまわって苦しんでいるフリをして、椅子を倒すパフォーマンスまで行なった。『助けて』という発言のあとは『毒を飲まされたらしい』と続くはずでした」

「そうか、オレが見たあの場面は指をなめていたんだ!」

 思わず叫ぶと、みんなの視線がこちらに集まって気まずい思いをする。オレはそそくさと壁際へ退散した。

「箏爪をはめたままで食べ物なり何なりを口に入れるのは難しい。爪をはずしていたのではと考えた結果でした。ともかく全部を飲み込んでやっと致死量分になる卵白ですから、万が一愛美さんがそこに砒素を追加して入れたとしても、指先についたわずかな量では苦しんだり、死に至ったりはしません。摩耶さんはそこまで計算していた。自作自演の狂言はこうして生まれました」

「し、しかしですよ、実際に杉本さんはあの場で死んでいるじゃありませんか」

「ですから『こんなはず』ではなかったのです。狂言から無事に生還したあと、卵白の中に誰かが砒素を入れたと訴えて調べるように仕向け、愛美さんの仕業だと警察が疑うようになればしめたもの。そんな彼女の作戦は思わぬ伏兵によって頓挫した。指をなめる前に、あるものによって服毒してしまった彼女はまさにグッドタイミング、いや、殺人事件においてグッドなどという単語を使ってはいけませんね。要は抜群のタイミングで毒がまわって死亡したのです」

                                 ……❼に続く