MY MEMORANDUM

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パールの変調 ❺

    第四章

 先生の勢いに引きずられる格好で、オレと鴨下警部補、それからさっきの若手刑事──鷺坂巡査だ。鴨の部下が鷺だといって先生にウケていた──は聖子とおしゃべり文学部を連れて控え室へと入った。フローリングの床の一部には畳が敷かれ、その半分は着物の着付けに、半分は調絃に使われていたようで、足袋やら帯が放置された横の場所を箏がデンと占領していた。

 残りのスペースは楽器のケースなどが乱雑に置いてあり、真ん中には小さなテーブルがあって、飲みかけのペットボトルに紙コップ、スナック菓子の空き袋のほか、上品なデザインの空き箱や空き缶などが乗っていたが、これらはOBたちが送ったという高級菓子だろう。念のために残っていた中身はすべて鑑識にもっていかれたが、どれにも砒素が入っていなかったことはとうに判明している。

 入り口付近に立つと、先生は不安げな様子の二人の女子大生を振り向き「摩耶さんが持ってきた卵白入りの容器はどこにあるのかわかる?」と声をかけた。

「えーと、たしか……あ、あの調絃をしている畳のところです」

 文学部がそちらを指さすが、むやみに手を触れるわけにはいかないため、舞台の方で検証を続けていた鑑識員の一人を呼び、容器を探してもらう。直径五センチほどの白い入れ物は箏の下に隠れていた。

「中身はたしかに卵白で間違いないかしら? そう、それじゃあ、その成分を詳しく分析して欲しいんだけど」

 先生の言葉を聞いた鴨下警部補は「それに砒素が混ぜてあるというんですか?」と、不審げな顔をして尋ねた。

「アタシの読みが正しければね」

 そのあと、先生は二人の箏担当を相手にいくつかの質問をした。

「あれを用意したのは摩耶さんで間違いないわね?」

「はい。箏パートのリーダーが準備するという決まりですから」

「粘着力が強い卵白を接着剤代わりに使う方法っての、具体的にどうやって使うのか、刑事さんに見せてあげて」

 そこで二人はパフォーマンスをしてみせた。箏爪をはめる三本の指を順番に、容器の中の卵白に浸けるのだ。右手の中指を浸けては左手で爪をはめ、次に人差し指、親指と続ける。これによって革の部分と皮膚が密着するので激しい演奏をしてもはずれにくいそうだ。

「本番前にあそこでちょいとつけていくわけね。もしも、それでも演奏中にはずれてしまったらどうするの?」

「ちょっとお行儀が悪いんだけど……こうやってなめて唾をつけるの。卵白ほどじゃないけど、くっつきやすくなるのよ」

 鈴を振ると形容されるだろう、透き通るような美声の持ち主である聖子は少し困り顔で指をくわえる仕草をした。

「いつもの練習ではその、唾で固定する方法でやっていますよ。卵を用意するのは演奏会のときだけなんです」

 その時、足元を何かが通り抜ける気配がした。黒い楕円形をした素早いヤツ、言うまでもなく、みんなの嫌われ者・ゴキブリだ。テーブルの上に放置された食べ物のカスを狙って這いずり回っていたのだろうが、ヤツの姿を目にしたとたんに文学部は悲鳴を上げ、聖子は手近にあったモップでバシッと一発殴りつけた。

 か弱いお嬢サマの意外な一面に、呆気にとられていると、彼女は今さらながらに「きゃあ」と声を上げた。

「わたしったら、はしたないわ。手を洗ってきてもいいかしら?」

 鷺坂刑事が付き添い、二人が洗面所へと向かったあと、先生は未だに呆然としている文学部に話しかけた。

「あなたは真珠のメンバーの関係をどう思う? 心配しなくてもいいわ、ここだけの話にしておくから」

「関係って……あの、誰が誰を好きとか、嫌いとか、そういう話?」

「ええ。愛美さんは哲くんが、哲くんは摩耶さんを好きで、その摩耶さんは譲くんにつきまとっていたというのはわかったわ。譲くんが聖子さんとつき合っているのもね。譲くんにとって、摩耶さんはうっとおしい存在だったのかしら?」

「たしかにワタシたちが入部した頃はそんな感じでしたけど、定演で一緒に組むと決まったあとはそうでもなかったみたい。摩耶先輩も他に彼氏ができたらしくて、部長につきまとわなくなったし」

「お相手は哲くんじゃないのね」

「ええ。でも、中条先輩ともそれなりにいろいろあったみたい……摩耶先輩って一年のときから男性関係が派手で、サークル内でつき合ったことがなかったのは部長だけって話です。しかも部長には聖子先輩みたいなステキな相手ができたでしょう? ないものねだりっていうか、人のものを欲しがるってところがあるのか、それでムキになって追いかけていたらしいです。何しろPTだから」

 そう言いかけて、彼女はハッと口を押さえた。

「えっ、PTって何?」

「やだ、加瀬さんったら。お願いだから、それ以上訊かないで!」

「えっ? ええっ?」

 わけがわからないままのオレの脇を先生が思いきりド突いた。

「たぶんパブリック・トイレットの略でしょ。意味は自分で辞書を引きなさい」

「パブリックは公衆、だろ……」

「わーん、先生、ワタシが言ったって絶対内緒ですよぅ」

「大丈夫よ。そもそも、どうしてワケありの五人が同じグループになったのかしら? あれじゃ練習中も大変だったと思うんだけど」

「部長は聖子先輩と二人で箏とタケの二重奏の現邦をやるつもりで、中条先輩は摩耶先輩と組みたいって言ってたんです。そこに愛美先輩が割り込んで、もめていたのを部長がなだめて、それじゃあ五人で組むことにしようって収拾つけて、三絃のパートもある、あの現邦に変えたってわけ」

「部長職も気苦労が多いわね。それでいてこんな事件が起きたんですもの、苦労も水の泡ってところね」

 床の上ではさっきのゴキブリが死にきれずにピクピクしている。テーブルに目をやった先生は「それにしても豪勢ね。あなた、受付にいたでしょ。お菓子は何箱ぐらい届いたのかしら?」と訊いた。

「全部で四箱、いえ、五箱ぐらいあったと思うわ。ワタシたちが宅配の人から受け取って、聖子先輩たちにここまで運んでもらったんだけど、先に食べちゃわないでよって念を押したのに、残ってたのはチョコとパウンドケーキぐらいで、いちばん食べたかったホワイトゲイブルズのクッキーは全部食べられちゃったの。悔しい」

「あらまあ、残念。人数分なかったのかしら?」

「種類によるけど、数が少ないものは女の子だけに分けてくれればよかったのよ。それなのに持って行った人が男の子たちにも配っちゃったみたいなの」

 文学部を会議室に帰したあと、先生は鴨下警部補に菓子の外箱や缶を見てもいいかと許可を求めたが、問題があるのは中身の方なのでかまわないということになり、警部補自身が白手袋をはめて、それらを先生の前に差し出した。

 シャレたデザインの箱もあれば中身の写真を印刷したものもある。菓子の写真と紹介を載せた小冊子がついている場合もあって、それらを見ると、どんな商品が入っていたのかがよくわかった。

「ふうん。最近はむき出しになっているお菓子って少ないのね。アタシが子供の頃はアンゼリカやザラメがついていて、種類毎に重なっているクッキー入りの缶なんかが高級なお菓子のイメージだったんだけど。今は小袋に入っていたり、紙で包んであったり、ちゃんと個包装されているのね」

「こういう方が衛生的だし、一人一人に分けやすくて便利だから、お客が買ってくれる。店側もわかってるって」

「そうね。それにしても、どれもキレイで美味しそう。まだ残っているなら鑑識から戻してもらって、アタシが食べたいぐらいだわ」

 酒も甘いものもイケる口の先生、甘辛党とでも呼ぼうか。これで太るどころかスリムな体型で、四十代にしてメタボとは無縁なところがスゴイ。

「最後の一個に砒素が入っているかもしれませんよ」警部補のイヤミに「もう砒素は入っていないわよ」と先生は言ってのけた。

「もう入っていないって、どういう意味ですか? まさか……」

 その問いには答えずに、先生は警部補にあることを二、三調べて欲しいと頼み、それから会議室で事件についての話をしてもいいかと持ちかけた。

「それはつまり犯人が判明した、事件が解決したと?」

「当然でしょ。オカマ探偵の名推理、さっそく披露させてもらおうじゃないの」

                                ……❻に続く