MY MEMORANDUM

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パールの変調 ❹

    第三章

 哲の指さす先にいたのはスレンダー美女の林田愛美で、突然の犯人呼ばわりに血相を変えて反論した。

「じょ、冗談じゃないわ。変な言いがかりつけないでよ!」

「おまえは摩耶を憎んでいた、おまえたちは憎み合っていたんだ。それはここにいる誰でもが知っている事実だ」

「そのセリフはそっくりそのままお返しするわ。あんただって、まともに相手をしてくれない彼女を憎んでいたはずよ。可愛さ余って憎さ百倍ってやつね」

 そう吐き捨てた愛美は冷たい微笑を浮かべながら、次に譲の方を見て「それとも犯人は部長かしら? しつこくつきまとわれてウザかったんじゃないの?」と言い放った。

 譲の生真面目な顔立ちにパッと朱が走り、握りしめた拳が震えている。本音か建前か、互いにぶつかり、罵り合う彼らを警部補たちは黙って見ていた。これで犯人の目星がつけばしめたものだと考えてのことだろうが、思いがけず始まった泥沼の愛憎劇を目にして先生が苦笑した。

「おやおや、あの演奏グループは大変な集団だったみたいね」

「ああ。『真珠の雫』はそれぞれに思惑のある男女が寄り集まっていた。だから不協和音だった、そういうことか」

 オレは先生の聴覚の鋭さに脱帽した。摩耶は譲に、哲は摩耶に、それぞれ報われない想いを抱いていた。となれば、あとの二人も関わっているのではないかと疑いたくなる。

「あの様子じゃ、愛美は哲に片想いってところかな。憎さ百倍って自分のことだろ」

「そうね。ついでに島村くんは谷崎聖子(たにざき せいこ)とデキている」

 えっ、と思わずそちらを見ると、なるほど譲の隣にはあの妖精のような美少女が不安げに寄り添っていた。真っ白な肌の華奢な腕が小刻みに震えている。こいつは一生オレが護ってやらねば、男をそんな気持ちにさせるタイプだ。母性本能に対して保護本能とでも呼べばいいのか。

 もっとも、オレは護ってやりたくなるタイプより、自立した人の方がいいと思うんだけど、そんな話をしたら「ちゃんと職業を持った、自立している年上のゲイね」などと返されて辟易したことがある。先生のお蔭で理想のタイプが日に日に歪んでいくようだ。

 ともかく、五人がそれぞれにドロドロの関係にあったとわかると、うんざりした気分になった。なんでまた、こいつらを同じグループとして組ませたんだ? お互いを牽制し合った結果だったのか。

「な……何を言いだすんだ。どうしてボクがそんな真似をしなくちゃならないんだ? 二人とも、証拠もないのにつまらないことを言うのはよせよ」

 部長らしく、もっともなセリフで哲と愛美を諌める譲だが、穏やかな彼の口調は激しい女の声にかき消されてしまった。

「あーら、聖人君子のつもり? あんただって、裏じゃ何やってるのかわかったもんじゃないわ。ついでにそっちのお嬢サマもね。化けの皮剥いで三味線にしてやりたいわ」

 愛美が聖子を侮辱したとたん、男子部員たちから猛烈なブーイングが巻き起こった。他はともかく彼女だけは関係ない、汚して欲しくないというところだろうが、その反応を見て先生が嘆息した。

「こんなに時代は変わっているのに、いつまでたっても男はバカね」

「男はバカって、自分だって男……」

「アタシは違うわ。男を超越した存在なのよ」

「はいはい」

 聖子を擁護するつもりはないが、彼女が譲の恋人だとすれば、譲に想いを寄せる摩耶にとっては邪魔者であり、狙われることはあっても狙う側にはならないだろう。つまり、摩耶が聖子を殺すことはあっても、聖子が摩耶を殺す理由はないと思われるのだが、譲の方はどうか。聖子との仲を摩耶が邪魔していたとしたらわからない。

 みんなのブーイングを味方につけた哲が攻撃を再開した。

「摩耶は毒を飲まされて殺された。刑事さんは砒素じゃないかって言ったけど、工化のⅠ研で盗まれたのも砒素だ。経済学部の部長よりも理工学部のおまえの方が砒素を手に入れる可能性は高い。つまり摩耶殺しも盗難事件の犯人もおまえってことだ」

「バッカじゃないの。あんただって理工学部のくせに」

「オレが摩耶を殺すはずはない!」

 二週間前に起きた理工学部での薬品盗難騒ぎとは、研究棟にある工業化学第Ⅰ研究室内で保管されていた砒素の結晶体が盗まれた事件だった。薬瓶そのものは残っていたが、分量が大幅に減っているのが判明。本来、厳重に管理すべき毒薬・劇薬を誰かが簡単に盗みだしたとあって、担当の教授はきついお叱りを受けたらしいが、それでも外部から侵入して盗むのは難しく、同じキャンパスにいても、オレたち農学部の者が盗むのも容易ではない。これはやはり研究室内部か、あるいはⅠ研の事情に詳しい理工学部内に犯人がいるのではと睨んだ大学側だが、事件に関しては未だ調査中と聞いたけれど、哲はそれが愛美の仕業だと告発しているのだ。

「盗難が話題になった、ほら、絃練のときだよ。おまえはその昔話題をさらった、砒素を使った殺人事件の例を挙げて『盗まれた砒素で誰かが殺されたら大変だ』って話したそうじゃないか。なあ?」

 絃練とは絃方、つまり箏と三絃のパートに所属するメンバーが集まり、彼らが学ぶ生田流という流派の師範を迎えて行う練習のことだ。対する尺八の方は竹練と呼び、琴古流の師範の元、絃方とは別の曜日に練習を行っている。練習の合間に愛美は物知り顔で盗難事件の詳細を吹聴したらしい。

「その盗んだ砒素を摩耶に飲ま……」

「バカバカしい。いったい何の証拠があるの? そもそもワタシはあそこの研究室じゃないし、たとえ手に入れたとしても、どうやって飲ませるっていうのよ。食べ物か飲み物に混ぜたんじゃないかって? さあどうかしらね、そう簡単にいくかしら。断っておくけど、カゼ薬のカプセルの中身をすり替えて、偽って飲ませるなんて手は使えないわよ。あの人がワタシの渡した物なんか飲むはずないもの。いいわ、わかったわ。そんなに疑うなら持ち物を刑事さんたちに調べてもらってよ。ワタシが犯人なら、亜砒酸が入っていた瓶か何かの入れ物が出てくるはずでしょ? ワタシは今日、この建物に来てから一歩も外には出ていない。建物内のゴミ箱なんかは調べればすぐにわかるし、こっそり瓶を処分するのは不可能だわ」

 そこまで一気にしゃべると、愛美は勝ち誇った表情をした。興奮しているわりには論理的に話すこの女、理系だけあってなかなか頭が切れるようだが、たしかに彼女の言うとおりだ。誰が毒を盛ったにしろ、今日この場で被害者が口にする物にそれを混入しなければならないが、摩耶は弁当を食べていないし、食べたのは自分で買ってきたばかりのサンドイッチと菓子ぐらい……待てよ? 

 愛美が口にした「カゼ薬のカプセルの中身をすり替えて」という言葉が引っかかる。疑わしいのは愛美だけではない、もしも摩耶にビタミン剤とか何とか説明してカプセル等を手渡したのが譲だとしたらどうだろう? あるいはそれが哲だったら? 

 特に哲は怪しい。彼も工化Ⅰ研所属ではないが理工学部の学生だ。毒物盗難の真犯人の可能性はなきにしもあらず、愛美に罪をなすりつけて、摩耶を失って悲しむフリをしているのかもしれない。

 もっとも、ビタミン剤と言われようが何だろうが、演奏の最中に飲むのは不自然だ。やはりこの件は早めにすっきりさせるべきだと、オレは先生にかいつまんで説明した。

 相談してみると答え、先生が警部補に耳打ちする。頷いた彼は「しばらくここでお待ちください」と言い、オレたちは部員と数名の捜査員を残して隣の会議室──仮設捜査本部へと移動した。

「……つまり、被害者が舞台で何かを口にした直後に倒れたと?」

「はい。それが何なのか、あまりにも早すぎてわからなかったんですけど、さっきのカプセルの話にピンときたっていうか……」

 すると、オレの説明を聞いた先生は即座に「少なくとも、そのときに毒を飲んだんじゃないわよ」と言ってのけた。

「えっ、そうなの?」

「飲んでからすぐ症状が出るってのは無理よ。カプセルが胃の中で溶けるまで、どれぐらいの時間がかかると思う? ましてや無味無臭の砒素よ、一瞬で苦しむどころか、変な味や臭いがする、なんてのも気がつかないわ」

 警部補もわかっていたらしく、いくらかしらけた顔で「そうですね」と同調したが、お蔭で肩の力が抜けてしまった。そんな可能性は僅かだと思いながらも、もしかしたら重大な場面を目撃したのではという期待をしていた自分がバカらしくなった。

「そんなに落ち込むこともないわよ。アタシはその瞬間を見そびれていた。あなたの証言のおかげで、摩耶さんの謎の行動がもうひとつ把握できたんですもの」

 今の話のどこが謎なのですかと、警部補が目を丸くして尋ねた。

「舞台でカプセルの類を飲んだとしたら、すぐに反応が出るのは当然おかしい。カプセルではなく食べ物への混入だと発症は早くなるけど、そこまで即効じゃないでしょ? アタシは専門じゃないからよくわからないけど、服毒はせいぜい出番の前、長くても一時間から三十分前ぐらいかしら。それなのに、摩耶さんは何かを口に入れてすぐに立ち上がり、苦しみだした。毒のせいではなく、別の理由でそうなったと思うんだけど」

「菓子類が好きだったようですから、やっぱり飴でも食べたんじゃないですか? その前に服毒していて、食べた瞬間に症状がたまたま現れた。まあ、そのあたりは検死の結果ではっきりするんじゃないでしょうかね」

 ますますしらける警部補にはかまわず、先生は話を続けた。

「演奏中に何か食べるってのは納得がいかないわね。あらかじめ服毒していて、その瞬間に中毒症状が出たという考えは有力だけど『助けて』と『そんなはず』って言ったのが引っかかるわ。『助けて』はともかく『そんなはず』は最後のセリフにしては変でしょ。なぜ彼女はその言葉を残したのか。そうそう、最初の謎はお弁当の件ね。係の子が話していたように、ダイエットを理由にして食べる気がないなら早めにキャンセルすべきだし、代わりのサンドイッチも買って持ってくるのが自然だわ。そうしなかったのはなぜか」

 たしかに謎だが、それほど重大な問題だとも思えない。警部補の顔も何やら不満そうだった。こいつ、何でもかんでも大袈裟に言いやがってとムカついているかもしれない。

「そもそも摩耶さんはいったい何を食べて、あるいは飲んで砒素を体内に入れたのかしら。お弁当は食べていない、サンドイッチは自分で買ってきたし、同時にウーロン茶も買ってあったけど、食事が終わってからは本番でのトイレを心配して何も飲んでいなかったと聞いたわ。あとはお菓子だけど、全部店からの配送でしょ。製造元に無差別毒殺魔でもいない限り、そこで砒素が混入される可能性はゼロね。何をいつ食べたかの正確な時間は検死でわかるのかしら?」

 先生の問いかけを無視する形で、警部補は「自殺でも食べ物混入でもなければカプセル説あたりが正答じゃないんですか? ただし、演奏中に飲むのではなく、本番前に『元気がでる、上手く演奏できる』などと言って渡された代物とかね」などとかわした。

 警部補自身はさっきの、中身をすり替えたカプセル説を支持。ただし摩耶がそれを飲んだのは本番前と考えているようだが、では誰がカプセルを手渡したのか。現時点でいちばん疑わしいのは愛美だけれど、摩耶自身が警戒している以上、彼女に機会はないと思えるし、逆に愛美以外なら誰でも何とかできるのではないか。

 オレたちの話にはすっかり興味を失くしたらしく、警部補は部下に対して部員らの持ち物についての検査を命令した。摩耶に毒を与えた直後に犯人が薬の容器などの証拠を隠滅している可能性を考え、建物中のゴミ箱やら観葉植物の鉢に至るまでの調査は既に始まっている。だが、パール組の中に犯人がいるとしたら──残りの部員に摩耶を殺す動機は現時点では見当たらない。共犯関係にあれば別だが──本番を控えていた彼らにその暇があったかと問えば難しいところだし、もしもトイレにでも流されたらアウトだ。

 さて検査開始だ。荷物は置きっぱなしという状態で控え室が立ち入り禁止にされたため、事件後それらに触れた者はいない。そこで捜査員が付き添う形で一人ずつ入っては自分の荷物を取って来させ、この捜査本部で中をあらためるという手法となった。当然ながら荷物はそのまま預かり、本人は隣の部屋へ戻る。

 この提案に対して容疑者扱いだと抗議する者はおらず、全員が素直に従ったが、哲の黒いリュックからも、譲の焦げ茶色のカバンからもそれらしいカプセルや容器は出てこなかった。聖子の持ち物である白いハンドバッグも、銀色に光る愛美のトートバッグからも、薬瓶の類は見つからなかった。けっきょく、誰一人として、毒物と疑われるものを持ってはいなかったという結果に終わった。

 鴨下警部補も、他の刑事たちも渋い顔をして荷物の羅列を睨みつけている。とっくに処分されていると考えた方がよさそうだ。

 最後に残っていたのは被害者・摩耶の真っ赤なハート形をしたバッグで、これは鴨下警部補自らがチェックをしたが、ケータイに化粧ポーチ、ハンカチに財布など、特別変わったものはなかった。

 その間に検死の報告が届いた。死因はやはり三酸化砒素による中毒死で、胃の内容物から致死量の二倍にあたる量が検出されたとのこと。内容物の詳細はサンドイッチの材料やらチョコレート、クッキーなどで、摩耶が食べたとされる品と一致したが、カプセルの成分はなく、どれに砒素が混入されていたかまでは判明しなかった。

「この袋には何を入れてたのかしらねぇ?」

 卓上に並べられた摩耶の所持品のうち、透明なビニール袋を指して先生が問いかけると、警部補は面倒臭そうに「さあ。エチケット袋ですかね」と答えた。

 いかにも女子大生らしい、かわいい小物やオシャレなデザインで溢れている所持品の中で、その袋だけがダサイ代物だ。

「なんだか気になるわ。彼女がこの中から何かを取り出したのか、それを見ていた人がいないかどうか、訊いてくださるかしら」

 そんなことを確かめてどうするんだといった表情の警部補だが、それでも部下の一人に袋を持って隣の部屋へ行くよう命じた。

 どれほども経たないうちに戻ってきたその若手刑事は「これにはハンドクリームの容器が入っていたそうです。白いプラスチック製のもので、中身は卵の白身、卵白だという話でした」と報告した。

「卵白だって? 何でそんなものが必要なんだ?」

「箏の爪をつける接着剤代わりに使われるということですが……」

 その言葉を聞いたとたん、先生は「行きましょう」と促した。

「行くって、どこへ?」

「控え室よ。その容器を探すの」

 それから警部補の方を向いて「誰か、箏を担当する人に協力してもらえるかしら? そうね、聖子さんと、一年のおしゃべりなあの子あたりでいいわ」と提案した。

「ちょ、ちょっと勝手な真似は……」

「砒素入りの証拠品が見つかるかもよ」

                                ……❺に続く