Ⅲ 役者は揃った
そこはゆったりとした空間だった。
広さは三十畳、いや、それ以上あるだろう。フローリングの床にキャメル色のじゅうたんが敷きつめられ、部屋の一番奥には暖炉、周囲の壁には戸だながあり、ここにも骨董品がところせましと並べられている。
左の壁寄りに十人以上座れそうな、テーブルクロスのかかった大きな食卓、中心の位置にはアイボリーの生地にししゅうを施した上品なデザインのソファが五脚とテーブルが置かれていた。
調度品はすべて輸入物らしく、じゅうたんや家具とのバランスが考慮されたカーテンはベージュの地に金の模様で、部屋全体が落ち着いた雰囲気に仕上がっている。
しかし、いったいどういうつもりなのか、昼間だというのに雨戸が閉め切ったままなので、カーテン越しの光というものはまったく感じられない。
天井より吊るされた、銅色に鈍く光るシーリングファンはかなりレトロなしろもので、ゆるゆると回っているのはいいが、いつ、はずれて落っこちてくるかわからないぞと、創は心配になった。
「やあ。ずいぶんと余裕のご登場だね」
皮肉なセリフで出迎えてくれたのはもちろん良太で、かしこまったスーツ姿でソファを占拠している。まるで七五三の記念写真撮影みたいだ。
その隣にちゃっかりと座るのは彩音、陰気な風景の中にあって、ショッキングピンクのドレスはまぶしすぎて目に痛い。
それでも知らないよりは知っている人の方がマシ。見知った顔が並んでいたので、創はホッとした。
「そう、集合時刻二十分前。余裕をもって到着したんだよ」
イヤミ男の攻撃に、負けじと尚人が反論する。
すると、彩音が目をハート型にして、
「浅木くんのネクタイ姿、カッコイイ」
と、ほめちぎるものだから、良太はムッとしてこちらをにらみつけた。
たしかに同じような服装をしていても、尚人と良太では月とスッポンだから、しかたないと思うが。
尚人にはニコニコ顔を向けていた彩音だが、創にはいちべつをくれただけで、次に凛子を憎々しげににらんでから、総一朗を見て目を丸くした。
「この変な人だあれ?」
「あ、ワタシのイトコの……」
凛子が紹介するより早く、
「変な人とは失礼ね。凛子チームのスーパーアドバイザー・天総一朗よ」
などと、総一朗が気取った返事をしたものだから大変だ。
「げーっ、オカマ? うっそ、マジ~? 超キモーい」
珍獣でも見るような彩音の態度に、総一朗はみるみる不機嫌になった。
「もう、これだから小娘はキライなのよ」
「だってオカマなんて、信じられな~い」
「うるさいわね!」
良太と彩音の背後には年齢二十代前後といった感じの男女が立っていた。
焦げ茶色のシャツにベストをあわせて、ネクタイをだらしなくゆるめた男が黒いスーツを着た女に何やら話しかけては、ヘラヘラと笑っている。
他の部分はムースを使ってわざとらしく逆立てているくせに、たらした前髪がうっとおしい、流行に乗っかったタイプだ。
(うわー、チャラいヤツ)
ずる賢そうな目が良太にそっくりで、こいつが兄の清水圭輔(けいすけ)だと、すぐにわかったが、隣にいる女性は何者だろう?
すると、凛子チームの存在に気づいた圭輔がこちらにつかつかと近づき、
「よう、天総一朗じゃないか。久しぶりだな」
と、フルネームを呼んだ。
(えっ、オカマの知り合い?)
対する総一朗は動ずる様子もなく、冷めた目つきで圭輔を見た。
「妙なところでお目にかかりましたわね」
いったいどういう関係なのだと、二人を見比べる子どもたちの視線に気づいた総一朗は圭輔が大学のサークルの先輩にあたるのだと説明した。
そこで圭輔はおおげさな身ぶりを交えながら、
「そうさ。この天総一朗くんこそ、わが神明大推理研究部始まって以来の名探偵と呼ばれたオカマ、いや、男だ。去年の夏合宿での推理合戦で、当時部長だった四回生のオレを一回生ながら見事に破ってくれたからね」
と、弟以上にイヤミたっぷりな口調で言い放った。
「イヤだわ、まだ根に持っていたのね……」
総一朗がボソリとつぶやく。
その様子からして、圭輔には卒業するまでイヤミを言われ続けていたようだ。
「今回は弟に頼まれてこのパーティーに参加したんだが、三島先生にはぜひ、お会いしたかったから、渡りに船だよ。何しろ、推理研究部部員憧れの的だ。OBになっても、その気持ちに変わりはないよ。それにしてもまさか、ここでキミに会うとはね」
「同感ですわ」
「あの、お話し中ですけど……」
そう言いながら二人の間に割って入ったのは黒いスーツの女だった。
いかにもバリバリと仕事のできそうなキャリアウーマンタイプ。しかも、かなりの美人だ。
「こちら、ワタクシにも紹介してくださらないかしら?」
「ああ、失礼」
黒いスーツの女は松崎歌純(まつざき かすみ)といい、圭輔が勤めるクヌギ社という出版会社の先輩社員だった。
どうやらこのパーティーで三島先生とお近づきになって、あわよくば原稿をもらおうと考えているのがみえみえだ。
歌純が総一朗に話しかけている間、尚人と創は良太を囲むようにして詰め寄った。
「チームに大人が二人なんて、いったいどういうことだよ?」
「なんかズルくねえ?」
良太はそんな創たちを鼻先でふふんと笑った。
「最低一人は入れるというきまりで、二人以上はダメって意味じゃないよ」
「あっ……」
言われてみればたしかにそうだ。
「あの歌純っていうお姉さん、一流大学を出たエリートだって兄さんが話していたんだ。そっちのオカマっぽい名探偵と、どちらがたよりになるのか、楽しみだね」
(こんにゃろー)
ムカつくけれど、言い返す言葉が見つからない。
そこへ新たに二つのチームが到着して、パーティーの招待客が全員そろった。
ただし、探偵団に所属するメンバー全員が招かれたわけではなく、都合がついた者だけで、中には会場が幽霊館と聞いて参加を取りやめた人もいたようだと、先ほどの車の中で凛子から聞いている。
「皆様おそろいになりましたので、三島を呼んでまいります。こちらでしばらくお待ちください」
薫は室内を見渡すようにしたあと、軽くおじぎをした。
五分ほどたって、高級ブランド製の紺色のワイシャツにグレイのスラックスをはいたベストセラー作家がお出ましになった。
三島宣昭は四十代前半ぐらいか。身長は百八十近くあり、肩幅も広くてがっちりした体格の持ち主だった。
とくに美男子ではないが、品のいい温和な顔立ちからして、凛子が話していたとおり、いかにも育ちが良く、人あたりも良さそうなタイプだ。
「やあ、皆さん。本日は遠いところをご足労さまでした」
自分の小説が賞をとったこと、日頃応援してくれている探偵団のみんなと喜びを分かち合いたいと思ったことなどを語った三島先生はそれから、初対面の人々に自己紹介を求め、それぞれと握手を交わした。
「……さっき、お母さんから連絡をもらったよ。今日は来られなくて残念だけど、それにしても凛子ちゃん、二人もボーイフレンドを連れてくるなんて、モテモテでうらやましいな」
凛子に声をかけたあと、創たちの方を向いた三島先生だったが、そこへ松崎歌純と圭輔が割り込むように入り、それぞれ名刺を差し出した。
「クヌギ社の松崎と申します。先生のセレブ探偵シリーズの大ファンなんです」
「次回作はぜひとも、ウチの出版社でお願いしますよ」
アピールしまくりの二人に、三島先生は苦笑いをした。
「それは弱ったな。次はヒノキ社でと、お誘いを受けていましてね。原稿はほとんど上がっているんですが」
新作の原稿はほぼ完成しているが、それはライバル出版社の手に渡ると聞いて、圭輔たちは顔を引きつらせた。
「何だよ、あいつら。営業しまくっちゃって、ずうずうしいの」
「先生はボクたちと話していたのに、厚かましいよね」
不満たらたらの創と尚人だったが、薫が食卓の上に並べられたジュースとお菓子を勧めてくれたとたんに、上機嫌になった。
「コーヒーや紅茶もありますよ。さあ、凛子さんも、そちらの方もどうぞ」
今日の催しは三島先生を囲んでのティー・パーティーなのか。
チームを組んでどうこうという、おおげさな準備が必要だったのかと思っていると、
「さて、それではここらで余興とまいりましょうか」
「余興?」
三島先生の言葉をオウム返しにして、創はそちらを見つめた。
「いや、せっかくこうして皆さんに集まってもらったのに、ただ飲み食いしただけではつまらないですからね。何かおもしろいことをやろうじゃないかと」
パーティーで行なわれる余興といえばビンゴゲームあたりが相場だが、今回はいくつかの企画をチーム対抗でやるという話で、四人一組で参加というのはそういう理由があったからだった。
「まずは四人の中で順番を決めてください。ジャンケンでも何でもかまいませんよ」
そんな呼びかけに応じて、それぞれのチームで順番決めが始まった。
公正なるジャンケンの結果、凛子チームの一番はリーダーの凛子、二番が総一朗、三番は創で、尚人が四番になった。
「えー、アタシ、浅木くんと一緒の四番がよかったのに~」
「しょうがないよ、ジャンケンなんだから」
もめているのは良太チーム、こちらは良太、圭輔、彩音、歌純の順だ。
「決まりましたか? では、各チームの一番の方はこちらにいらしてください」
三島先生は四人の代表に、並んでソファに腰かけるよう命じた。
凛子の隣は良太、一番目からリーダー対決となった。
ソファの前のテーブルには四つの小さなプラカードが置かれていた。
残りの人々はそのテーブルをはさんで、自分たちの代表と向かい合わせの場所に座った。ここが応援席というわけだ。
「ただ今から、ミステリ・カルトクイズを始めたいと思います。私が問題を出しますから、わかった方はお手元のカードをあげて解答権を得てください。お手つきは一回休みで、先に二十五問正解した方から順位をつけます。よろしいですか?」
何かと思えばクイズごっこかと、創は力が抜けてしまった。
まるで子どもだましだ、いい大人がやることじゃない。
(小学生相手だから、クイズで楽しく遊びましょうって企画だったのかな)
ところが、クイズが始まると、創は子どもだましだと思ったことを反省した。
「それでは第一問。『犬神家の一族』で、金田一耕助が泊まった宿の名前は?」
(えっ、何だよ、それ? そんなのわかるわけねーよっ!)
金田一耕助という名前ぐらいは知っているが、作中の宿屋なんておぼえているはず……
「はい!」
「凛子さん、早いね。さあ、どうぞ」
「那須湖畔にある那須ホテルです」
「おみごと、正解です。では、第二問。エラリー・クイーンの『Yの悲劇』で使われた毒薬の名前を二つ答えてください」
「はい、ストリキニーネとフィゾスチグミンです」
次々とくり出されるマニアックな質問に対して、ビシバシと解答する凛子の姿に、となりの尚人が目を丸くした。
「すごいなあ、凛子。何とかチャンピオンみたいじゃないか」
「ここまでオタクだったなんて、想像つかなかったよな。悪いけどオレ、ひとつもわかんねえし。順番が一番でなくてよかった」
すると総一朗がうふふと笑った。
「アタシの影響なのよ。アタシ、本格ミステリが好きで、そういう本をいっぱい集めていたら、貸してくれって言うもんだから。読んでるうちに覚えちゃったのね」
「なるほど」
憧れの王子様が愛読している本を読んでみたいと思ったのだろう。
凛子に慕われる従兄がうらやましくなると同時に、創は自分も総一朗と兄弟のように接してみたくなった。
美形で知的なオカマのお兄さんなんて、なかなか得られるもんじゃない。きっと楽しいはずだ。
「ちょっと良太! あんた、団長なんでしょう? そんな異星人なんかに負けるんじゃないわよっ」
凛子を敵視している彩音としては、この展開がおもしろくないのは当然だ。
憧れの女の子からきびしいゲキが飛ぶと、良太の頬の筋肉がヒクヒクするのが見えて、さすがに気の毒になる。
「はい次、第十五問。江戸川乱歩のデビュー作と呼ばれている作品で……」
「あ、はい! 『二銭銅貨』です!」
団長の意地というより、彩音が怖い良太は凛子に負けまいと必死で食い下がる。
あとの二チームの代表は二人の激しい対戦に、あっけにとられるばかりで、プラカードは一度もあがることなく終了。
良太の健闘むなしく、一回戦を制したのは凛子だった。
(これって余興のレベルじゃねえよな)
「二十五問正解で、第一回戦の優勝は霧島凛子さんにきまりました。それでは、すばらしいプレゼント獲得のための得点を十点さし上げます」
二位の良太チームには五点、残りの二チームは〇点で、このパターンだと四回戦すべてが終了した時点で、一番得点の多いチームにすばらしいプレゼントとやらが与えられるとみたが、
「プレゼントって、要は賞品ってことだよね。何がもらえるんだろうな」
「あんまり期待しない方がいいぜ。どうせ、先生のサイン入りの本か何かじゃねーの」
ワクワクしている尚人にそう答えると、サイン入りの本でも値打ちがあると返されてしまった。
食卓の上にはいつのまにか夕食のしたくがしてあった。みんながクイズに興じている間、薫がひとりで用意したらしい。
そのメニューといったら、親せきの結婚式の時に食べた披露宴の食事よりも豪華で、創は目を丸くしたが、同時におなかがギューギュー鳴りだしたのには弱った。
ホタテ貝とトロサーモンのグリル・チャウダー風クリームソース、伊勢エビのブラマンジェ、トリュフとパンプキンのスープ、海の幸のサラダ、白身魚のキノコソース、ビーフストロガノフ、ヒレステーキのベーコン巻きフォアグラ添え……一度聞いただけでは名前をおぼえられない料理が次々と並ぶ。
子どもも大人も大はしゃぎで、それらの料理を次々に口に運んでは、おしゃべりに花を咲かせた。
三島先生をはさむようにして座った圭輔と歌純はおせじを言いまくり、良太も兄のマネをしてか、さっきから彩音のゴキゲンをうかがってばかりいる。
料理のあとはデサートタイム。チーズケーキにイチゴのショートといった各種ケーキはもちろん、フルーツも山盛りで、アイスクリームはバニラにチョコレートにストロベリーと、何種類もとりそろえてある。
甘いものに目がない彩音は大喜びでケーキを二、三個たいらげていた。
創もさんざん食べまくった。ここが幽霊館と呼ばれる建物で、到着時はおびえていたことなど、すっかり忘れていた。
「あー、うまかった。すっげー腹がパンパンになっちゃった。これ以上食えねぇ~」
「もう、意地汚いなあ。もっと紳士的にふるまってくれよ」
胃のあたりをさする創を見て、尚人がマユをしかめる。
「凛子、こっちのケーキもおいしいわよ。もう食べた?」
「うん。次はどれにしようかな」
やはり女の子はスイーツが大好き。ついでにオカマもそうらしい。
ここに来てからずっと表情が暗かった凛子が笑顔になったのを見て、創はひと安心した。
「凛子、やっと楽しそうになったね」
尚人がそうコメントした。創と同じことを考えていたのだろう。
「ああ、そうだな」
「あの人が一緒だからって思うと、ちょっとイラッとするんだけど」
「ヤキモチ焼くなよ。みっともないぜ」
「そういうおまえはどうなんだよ?」
「オレ? オレは別に……」
「カッコつけるなよ」
「つけてねえよ」
さっきまで凛子が暗かったのは幽霊の気配をひしひしと感じていたせいかもしれない。やはり、ここに幽霊は存在すると考えて正解なのか。
「それにしても、さっすが、ベストセラー作家はリッチだよな。凛子の友だちっていうだけで、オレたちにもこんなにごちそうしてくれるなんて太っ腹だぜ」
「まあ、それはいいとして……」
尚人は何かを言いかけてやめた。
一時間以上もかけて豪華ディナーを満喫したところで、三島先生が次の対戦をやろうともちかけた。
余興どころか、このチーム対抗戦が今回のメインイベントなのではないか。
それはいいとしても、一回戦が終わっただけで、あと三回のバトルが残っているが、今はいったい何時だろう?
この部屋には時計がないので、総一朗の腕時計をのぞかせてもらうと、短針が七をさしていた。
(こんな時間までおじゃましていて、大丈夫なのかな? ウチに電話した方が……)
焦りが胸の内をかすめる。
(あ、でも、この辺りはケータイの電波が届かないって、さっき良太が話していたっけ。ここにある電話を借りるしかないってことか。それも言い出しづらいしなあ……どうすりゃいいんだろ)
焦りはやがて不安に、さらにはもっと不吉な感情となって、創を飲み込んでいくのだった。
……❺に続く