Ⅰ セレブ探偵団
キーンコーンと朝の自習時間を知らせるチャイムが鳴り始めた。
六年生の教室は最上階の四階にある。急いで上靴にはき替え、最後のふんばりで階段をダッシュする。
凛子と二人並んで教室に入ると、不機嫌そうな顔をして目の前に立ちはだかったのは浅木尚人(あさぎ なおと)だった。
「創、このボクに無断で凛子と仲良く登校するなんて、なかなかいい度胸じゃないか」
「ふふーんだ。悔しかったら遅刻ギリギリで登校してみろって。ほら、走りっぱなしで足がパンパンだぜ」
「まさか。いくら何でも、そんなリスクの高い行動はとりたくないね」
「ラスク?」
「だからリスク! まったく、どうやったらそんなふうに、全然関係のない言葉とカン違いできるんだよ」
創のトンチンカンな返事、的はずれのおとぼけなギャグはまいどのことで慣れっこのはずだが、尚人はやれやれと肩をすくめるポーズをとった。
成績はいつも学年トップの秀才にして、人気アイドルのそっくりさん。
六の二ナンバーワンの美少年だと自他ともに認める尚人は少々気取ったところが鼻につくけれど、創にとって大切な幼なじみであり、五年生の頃からは転校してきた凛子をめぐるライバルにもなっている。
勉強では尚人に太刀打ちできないけれど、運動能力なら負けていないと自負する創、その容姿はいわゆるイケメンヒーロー系。特撮ドラマで正義の味方に変身するお兄さんになれそうなタイプで、尚人に次いでクラスナンバーツーの位置にいるのではという自信もある。
もっとも、肝心の凛子はおとぼけキャラのせいか、創たちの気持ちにまったく気づいていないのが悲しいけれど。
(尚人のヤツめ、凛子の憧れの人がオカマのイトコだって知ったら、ショック受けるだろうな)
そういう創自身はどうなのかと問われれば、ショックだったのは間違いないけれど、総一朗に対する印象は悪くなかった。
あれでふつうの男の人だったら、美男子を鼻にかけて、やたらとカッコつけるようだったら、もっとムカついていたかもしれない。オカマということがその人の印象を良くするとは、おかしなものだ。
(それに相手は大人だし、凛子とは親せきなわけだし、マジに受け取ることもないよな。とりあえず、この情報はもうしばらく秘密にしておこうっと)
「おっと、イケメンコンビが仲間割れとは、いったいどうしちゃったんだい?」
やせた頬、ずるそうな細い目。ネズミっぽい顔にニヤニヤ笑いを浮かべて話しかけてきたのは清水良太(しみず りょうた)だった。金持ちの息子の見本みたいなヤツで、いつも高級ブランドの服を身につけ、新発売のゲームソフトや外国製のおみやげを見せびらかすイヤミな男である。
どうせまた、いつもの自慢話をしにきたのだろう。関わりたくないので無視する二人の態度など、少しも気にならないらしく、
「あのさ、じつは相談があるんだけど」
などと、持ちかけてきた。
「相談?」
無視を続けるつもりだったのに、思いがけない言葉を耳にして、創はついつい反応してしまった。
すると良太はうっとおしそうにこちらを見た。
「キミじゃないよ、浅木くんにだ」
「あっ、そう」
(何てヤなヤツ。いつものことだけど)
ムッとする創、続いて名ざしされた尚人が尋ねた。
「ボクに何の相談が?」
「パーティーへの招待を受けたんだけど、キミにも参加してもらいたくてさ。四人一組のチームを作らなきゃならないんだよ」
パーティーというオシャレな響きのする企画と、チームで参加というスポーツの大会を思わせる条件にはギャップがある。
要領を得ない良太の説明に、尚人はいら立ったような表情をした。
「意味がよくわからないな。どうしてボクが誘われているのかもね」
「簡単には説明できないから、詳しい話は昼休みにするけど、これを聞いたら絶対に参加したくなると思うよ」
「もったいぶらずに言えよ」
良太は何かをたくらんでいるような顔つきになった。もともと人相が悪いのに、振り込め詐欺の犯人みたいな顔に見える。
「時雨の森にある古いお屋敷を知っているだろう?」
「屋敷って、あの幽霊館?」
「パーティーの舞台はあそこさ。ほら、行ってみたくなっただろ?」
「マ、マジで?」
幽霊館と聞いて創は腰が引け、さすがの尚人もギクリとしたようだ。
──時雨の森の幽霊館。
それは神奈川県某所の、街はずれにある山のふもとに位置する、時雨の森と呼ばれる深い森の奥にたった一軒、ひっそりと建つ大きな洋館のこと。
地元で幽霊館と呼ばれているこの館は戦後、街に住み着いた外国人が建てたという話だが、何人か持ち主を替えたあと、二十年以上も前から空き家となったままだ。
苔だらけの塀。高く巡らされた柵。かいま見える荒れはてた庭。住人を失い、すっかりさびれてしまった家屋。
しかし、お化け屋敷呼ばわりされる理由は外観のせいだけではない。
その理由とは──二十数年前に街中を震撼させた忌まわしい事件、殺人事件がそこで起きたからで、それは血まみれの、聞くに堪えない凄惨な場面だったらしい。
現場となった部屋の床にはいまだに血痕が染みついていて、どんなに拭いても消えないという噂が流れたほど。
以来ここに住む者はなく、また、若い女性の幽霊の目撃談などが語られるにつれ、近づく者もいなくなった幽霊館は日夜、誰の訪問も受けずに門を閉ざしたまま、今宵も夜霧の中、静かにたたずんでいる──はずだったのだが……
◇ ◇ ◇
昼休みになった。
給食を食べ終わるや否や、良太はこのクラスで一番の美少女・菊川彩音(きくがわ あやね)と一緒に、創と尚人のところにやってきた。
金髪に近い色の長い髪はくるくるとカールしていて、ぱっちりした目に長いまつ毛、手足も長くてスタイルはバツグンにいい。凛子を日本人形にたとえるなら、彩音はフランス人形といったところだろう。
思いがけない人物のおでましに二人がぽかんとしていると、良太は自慢げにニヤリと笑った。
「さて、今朝の話の続きだけど、まずたしかめたいことがある。セレブ探偵団というミステリサークルを知っているかな?」
「ミステリーサークルって、田んぼや畑の作物が倒れて大きな円の形になってて、UFOが着陸したあとだとか言われてるアレ?」
創はまたしても的はずれな返事をしたようだ。良太が細い目を三角にした。
「ちっがーうっ! ボクの言うミステリサークルってのは、推理小説や名探偵について研究したり、自分で作品を書いて、それをみんなで読んで批評し合ったりするクラブ活動みたいなものだ。ちなみに『通』はミステリーって語尾を伸ばさずに、ミステリと発音するから、よくおぼえておくように」
(こいつめ、何がツウだ、何がよくおぼえておくようにだよ。エラそうに)
誘われていないおまえは口をはさむなと言わんばかりの態度に、もう二度と答えるものかとムカついていると、続いて尚人が対応にあたった。
「それで、そのミステリサークルが何だって言うんだよ?」
「ボクはサークルのリーダー、つまりセレブ探偵団の団長を任されているんだ」
「ふん、小林少年気取りってわけか」
「まあね。三島宣昭(みしま のぶあき)という推理作家の名前ぐらい聞いたことはあるだろう?」
「もしかして、お金持ちのお嬢様がいろんな事件に首を突っ込んで大活躍するというストーリーが人気の、セレブ探偵シリーズを書いた人かな」
「さすが浅木くん、博学だね。三島先生は推理小説のおもしろさをもっと子どもたちに知ってもらいたいと考えて、セレブ探偵団を結成したんだ」
(セレブ探偵団? なんだか気に入らねえ団体名だな。金持ちの子どもしか入れないとか、自分たちは特別な存在だと思ってんだぜ、きっと。ざけてんじゃねーよ)
「ところが先生自身はずっと独身で子供がいないから、古くからつき合いのあるボクのパパを通じて、ボクに団長をやってくれと依頼してきたんだよ。ボクもミステリには大いに興味があったから、一も二もなく引き受けたってわけさ」
「ふーん」
有名な作家と知り合いだと自慢したいのか。上流階級意識むき出しじゃないか。
庶民代表の創はムカつくのを通り越して、すっかりしらけてしまった。
月一回のペースで会合などをやるのがサークルの主な活動内容だが、先日、三島宣昭の作品が優れた推理小説に贈られる有名な賞をとった記念に、団員たちをパーティーに招待するということになったらしい。
「そのいきさつはわかったけれど、何でまた幽霊館なんて呼ばれているところで?」
「先生はあの建物を譲り受けて、別荘か何かにするつもりらしいんだ」
殺人事件のあった建物、その上、幽霊が出ると噂されている建物を別荘にするだなんてとんでもない。
そう思ったのは尚人も同じらしく、
「悪趣味~」
と、さげずんだが、良太は気を悪くするどころか、平然と切り返してきた。
「そうかな? これまでずっと立ち入り禁止だった秘密の建物に入れるなんてスゴイじゃないか。ミステリ魂がくすぐられるね。それに、どんな幽霊たちに出会えるのかと思うとワクワクするけど」
(冗談じゃねーよ。間違ってもそんな場所に足を踏み入れたくないし、幽霊たちともお近づきになりたくないって)
ミステリはともかく、ホラーだのオカルトだの怪談だのが苦手な創は自分が誘われなくてよかったと胸をなでおろした。
尚人はと見ると、これまた、しらけた顔をしている。
「パーティーには探偵団の団員がそれぞれ三人のメンバーを集めて、チームで参加するってのは話したよな? それで菊川さんを誘ったんだけど、浅木くんも一緒なら入ってくれるって」
そこで彩音はにっこりと美少女スマイルを浮かべた。
「ねえ、一緒に行きましょうよ。お願い」
ベタベタとまとわりつくような口調で尚人に誘いをかけてくる彩音、派手な美人とあって目立つ上に積極的な性格で、クラスの女子の中心的存在に憧れる男子は数知れない。
良太もその一人なのだが、彩音本人は尚人に気があるのだ。そんでもって尚人は凛子が好きで……
六年二組内に渦巻く複雑な男女の関係に、創はげんなりしてきた。
「三人の仲間を集めてこいか。まるでRPGだ。単なるパーティーじゃなさそうだね」
そこまで言うと、尚人は創の方を向いた。
「三人目の枠があいてるんだし、創も参加するならいいよ」
「えっ、オレ?」
こちらに話をふってくると予想していなかった創はすっとんきょうな声を上げた。
「ボクらは友だち同士。どんな試練も共に立ち向かうべきなんだ。なあ、創」
どんな試練もって、何を好きこのんで幽霊館なんぞに行かなきゃならないのだ。
だが、六年生にもなって幽霊がコワイだなんて、カミングアウトするのも抵抗がある。
「い、いや、オレはその……」
創が口ごもっていると、良太はあわてた様子で、
「ちょ、ちょっと待った。三人のうちの一人は二十歳以上の人、つまり大人を入れなきゃいけないきまりになってるんだよ」
「なんだ、それを早く言えよ」
「でも、親だと何かとやりにくいから、兄さんに頼んであるんだ。もちろん社会人一年生の成人だよ。あとは浅木くんさえオッケーしてくれれば、四人そろうってわけで」
あやうくメンバーに引き入れられそうになった創はホッとしたが、尚人は不満げな顔をした。
「だったらボクはパスだ。誰か、ほかをあたってくれよ」
「えっ、パスって……」
ショック状態の良太に追いうちをかけるように、彩音がかみついた。
「ちょっと、話が違うじゃないの!」
「いや、そんな、でも」
「浅木くんは加瀬くんと一緒ならいいんでしょ? あんたが抜けて、加瀬くんを入れなさいよ!」
「ええーっ! そうなるとボクのチームじゃなくなるんですけど~」
「そんなの、どうでもいいじゃない」
「どうでもって、ヒドイ……」
良太をゴミ以下にあつかうと、彩音はしつこく尚人を誘った。
「ね、浅木くん。そうしましょうよ」
「いや、セレブ探偵団の行事なんだから、団長の良太抜きじゃ成り立たないし。ほかに行けるヤツを誘えばすむだろ」
「えー、そんなのやだぁ。それじゃあアタシもパスしよっと」
やいのやいのともめているところへ凛子がやってきた。
「良太くんたちが幽霊館の話をしてるって、今そこで聞いたんだけど、みんなもパーティーへ行くの?」
ピタリと騒ぐのをやめた全員の視線がいっせいに凛子へと注がれる。
「あ、あのね、ワタシのところにも招待状が届いて……」
「なっ、何だって?」
「なっ、何だって?」
セリフがハモッた創と尚人は二人同時に良太の方をふり向いた。
「凛子もセレブ探偵団の団員なのか?」
意気込む二人に圧倒された良太がそうだと答えると、
「マジかよ。どうしてそれを先に教えてくれなかったんだよ」
「ミステリ好きなんて、そういう趣味があったとは知らなかったな」
創たちの言葉を受けて、凛子は照れ臭そうに説明した。
「三島先生とワタシの母は高校の同級生で、しかも先生の初恋の人なんですって。サークルに入ったのもそれが縁だったのよ。で、パーティーにはぜひ、親子で参加してくださいって誘われたんだけど、あとの二人が見つからなかったらどうしようって思っていたところなの」
まさか凛子がセレブ探偵団に所属していて幽霊館のパーティーに参加するとは。しかもチームメイト募集中である。
そうとわかったとたん、さっきまでの弱腰はどこへやら、創はやる気まんまんになっていた。
「それじゃあ、オレは凛子のチームに入る。いいだろ?」
すると、凛子の返事を待たずに、尚人までもがそっちに入ると言い出した。
「あれ、おまえは良太のチームじゃなくていいのか?」
「だから、創と一緒じゃなきゃパスって言っただろ。抜けがけは許さないからな」
これで凛子チームの残り二人の枠が決定。
すっかりアテがはずれた良太と彩音、ことに彩音はカンカンで、ものすごい顔つきで凛子をにらみつけた。
「ちょっとあんた、何様のつもり?」
「な、何様って……」
「浅木くんはアタシたちが先に誘ったんだから、横取りしないでよ!」
「いえ、そんな」
とまどう凛子をかばうように、ボクが決めたことだからと尚人が言うと、彩音はますます恐ろしい顔になった。
「霧島、あんただけは絶対に許さないから。おぼえてろ!」
「ひっ、ひぇ~」
ナンバーワン美少女の、ド迫力の捨てゼリフに全員がタジタジとなる。
「こうなったら現地で勝負だわ! ほら、もう一人を早く探せっての!」
彩音にせっつかれて、良太はおびえた様子でうなずいた。
「こわー。何だよ、あれ」
二人がいなくなったあとに思わず創がつぶやくと、とっくにわかっていたと、尚人はしたり顔で言った。
「あの女の化けの皮がはがれたね。同じチームにならなくて正解だよ」
どうやら尚人は彩音の性格がイヤで、良太の誘いに乗り気ではなかったようだ。
その気持ちは創にもよくわかった。
「よっしゃ、とにかくこれで凛子チーム結成だな」
はりきりモードの創と凛子を交互に、満足そうに見たあと、尚人は凛子に向かって、
「三島先生ってどんな人?」
と、質問した。
「どんな人って……」
「優しい人なのかな、それともむずかしい顔してる? ほら、作家って気むずかしい人が多そうだから」
「それなら心配いらないわ。先生は宝石が好きで、作家デビューする前は宝飾店で働いていたんですって。お店でお客さんと接する仕事をしていたぐらいだから、とても人あたりのいい、優しい方よ」
「そういえば、セレブ探偵にはよく宝石のネタが出てくるみたいだよね」
「ええ。そうだわ、先月だったかしら? お気に入りジュエリーのコレクションを見せてくれるって話していたんだけど」
「お気に入り?」
「先生が持っている宝石の中でも、一千万円ぐらいするダイヤとか、ルビーとか、サファイアがあるんですって」
「一千万? すっげー」
それから三人は待ち合わせの場所などを相談したが、話し合いの最中、ふいに凛子が不安そうな顔をした。
「ワタシ、本当は迷っていたのよ。創くんたちが一緒に行くって言ってくれなかったら、参加するのをやめようと思ってたくらい」
「それはまたどうして?」
「ワタシね、霊感が強いの」
思いがけないセリフに、創も尚人も言葉が返せなくなった。
「恐怖体験っていうの? これまでにもいろいろと怖いもの見ちゃったことがあって……出るんでしょ? だから幽霊館って呼ばれているんだし」
ゴクリ、と創はツバを飲み込んだ。忘れかけていた苦手意識がよみがえってくる。
「だ、大丈夫だよ。大勢の人が集まっているんだろ? そう簡単には出てこないって」
凛子を納得させるというより、自分を励ますつもりで答えると、尚人もうなずいた。
「そうだよ。目撃談なんて、ウソかホントかもわからないしさ」
「そうね。取り越し苦労よね」
取り越し苦労──そうであってくれればよいのだが。
……❸に続く