MY MEMORANDUM

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ガーネットの慟哭 ❹(最終章)

    Ⅳ

 十一月を迎えたキャンパスには冷たい木枯らしが吹いていた。地球温暖化の影響からか暖かい日が続いていたのに、いきなり冬を迎えたような気候だった。

 午後一時、園Ⅱ研の研究室内にはこの部屋の主である総一朗の他に、創と高林、宮城夫妻と新田元教授が顔を揃えていた。立会いを要請された尚人も少し遅れてやって来た。

 三年ぶりの再会を喜ぶでもなく、真希は教授を避けるようにうつむき、教授もまた陰鬱な面持ちで窓の外を見つめている。篤は落ち着きなく辺りを見回し、そんな人々の様子に高林が不安そうな顔をしていた。

「本日はお忙しいところをお集まりくださり、ありがとうございます」

 そう挨拶した総一朗は集まった顔ぶれを見渡すと、落ち着いた声で語り始めた。

「三年前に箱根で起きた殺人事件の真相が知りたい。高林滋くんを通じて、宮城真希さんの依頼を受けた僕は皆さんにお話を聞き、またそちらの、神奈川県警の浅木刑事の協力を得て、事件の究明に取り組んだ結果、真相にたどり着くことができました」

 さっそく名探偵モードだ。総一朗がオネエ言葉を封印し、自分を僕と称する時は真相を明かす時なのだと承知している創も緊張が高まってきた。

「三年前、小塚拓海さんを殺害し、その罪を片平雅之さんに着せた真犯人は宮城篤さん、あなたですね」

(やっぱり……)

 両手利き・隠れ左利きの話が出た時にそうではないかと推測した創だが、身内である高林の心境を思うと胸が痛んだ。

 その高林はショックのあまり絶句し、新田教授も大きく目を見開いていたが、犯人とされた男の妻である真希は動揺する素振りもなかった。

「……じょ、冗談じゃない」

 顔を真っ赤にして篤は抗議しかけたが、すぐに笑顔を作った。

「いきなり犯人呼ばわりとは心外だなぁ。まあいいでしょう、先生の名推理を聞かせてください。本当にボクが犯人かどうか、皆さんに判定してもらいましょう」

 余裕の笑みで対抗すると、総一朗は言葉を続けた。

「それでは始めます。三年前の夏、小塚さんと別れた真希さんは新田教授と不倫関係になっていた。新田教授、今は退職されて元教授ですが、ここでは教授と呼ばせてもらいます。さて、真希さんには何の未練もなかった小塚さんですが、そんな彼女を思慕する者がいた。それが篤さんです」

 ストーカーの正体は篤だった。彼は卒論仲間である小塚から真希の情報を得ていたが、そのために金をゆすられてもいたのだ。

「お金には余裕のある篤さんですが、繰り返されるゆすりには我慢できず、小塚さんを憎んでいた。過去の経緯から、小塚さんは篤さんの想い人である真希さんについて、彼女の人格を汚すような不愉快な発言をしたのかもしれませんね。機会があれば殺してやりたいと考えていた篤さんは研究室内で片平さんのナイフを盗んだ」

 小塚が電話を盗聴していたという話に及ぶと、新田教授は苦々しげに頷き、卒業の単位を何とかしろと脅されたと語った。

「さて、小塚さんは盗聴器あるいは研究室内で、教授が真希さんを別荘に誘っているのを耳にした。ゆすりのネタを増やす絶好のチャンスだと考えたのでしょう、彼は篤さんを伴って、ゼミ旅行より一足先に箱根へと向かった。九月八日のことです」

 この機会に小塚を葬ろうと考えた篤は片平のナイフを荷物に忍ばせ、現地に着くと隙をみて小塚を殺害したが、その前にビニール袋を履かせ、ナイフと汚れていない靴の二点から、嫌疑が片平にかかるよう仕向けた。

「洒落者の小塚さんの心理を上手く利用していましたが、彼のズボンに残った泥はねの跡から、ここにいる加瀬くんがビニール袋のトリックを看破してくれました」

 みんなの視線を一身に浴びて、恐縮した創は思わず頭を下げた。

 さすがにたまりかねたのか、篤は「ちょっと待ってください」と反撃に出た。みんなの視線が創からそちらへと移る。

「今の説明だけではボクを犯人だと断定できませんよ。ナイフを盗んだ証拠もなければ、小塚と一緒にいた目撃情報もない。ナイフを盗むチャンスがあって、小塚が前日に箱根へ行くと知ってる者なら誰でも犯人になりうるわけですからね。ヤツが誰かにうっかりしゃべったとも考えられるでしょう」

「ええ。ですが、ここに二つの事実があります。一点目は犯行の状況から犯人が左利きだったということ。警察のお墨付きです」

 犯人の逃亡を阻止するためか、入り口の前に立っている尚人が頷いた。

「それなら、左利きは片平くんだけだったと聞いていたのだが」

 新田教授の問いかけに、総一朗はアルバムを広げて「人間が咄嗟にどちらか片方の手を使うとしたら、それはたいてい利き手です。これはゼミ旅行で撮影された写真ですが、篤さんは左手でスプーンを持って、左目を覆っていますね。つまり彼は咄嗟に左手でスプーンを取った左利きなのです」と答えた。

「他に左手で物を持っているのは片平さんだけですが、ではなぜ篤さんが左利きだとわからなかったのか。先日自宅を訪ねたとき、彼は左手にビールのグラスを持ち、右手で箸を使っていた。あなたは箸やペンを右手で持つように矯正されたのではなかったのでしょうか。かくいう僕もそうなのですが、違いますか? 矯正を行なったあなたのご両親に確認すればわかることとは思いますが」

 さすがの篤もひるんだらしい、さっきまでの勢いがなくなってきた。

 それでは二点目ですがと、総一朗は小塚が携帯電話の予約機能を使ってメールを送ったことを説明した。

「小塚さんのメールは結果的に篤さんのアリバイをフォローしたわけですが、自分が殺したはずの男から翌朝、メールが届くなんて、さぞ驚いたでしょうね。だからあなたは思わず『びっくりしました』とコメントした。つい、ボロを出したんですね」

 みるみるうちに青ざめる篤、総一朗は間髪を入れずにたたみかけた。

「ふだんから時間にだらしのない彼が遅れるぐらいでびっくりなんかしませんよね。それにあなたは『旅行の待ち合わせには遅れるな』と念を押したと言った。ならば小塚さんの心理としては、卒論仲間であり、いつも遅刻の注意を受けている篤さんにメールするのが筋でしょう。でも実際にメールを受け取ったのは他の二人、当然です。篤さんは小塚さんに同行していたのだから、遅れる旨のメールを送る相手にはなり得なかったのですよ」

 そこでひと息つくと、

「ここまで順調にきたのに、最後にあなたはミスをした。それはレンタカーに小塚さんの髪の毛を撒いたことです。殺害時に何本が取っておいて、チャンスがあれば片平犯人説の総仕上げに使おうと思ったのでしょう。すると、教授から車に乗って行けと誘われた。ラッキーだと思ったでしょうね。でもそれはあなたにとって両刃の剣、僕が篤さんを犯人だと確信したのは、帰りの助手席に乗ったと聞いたからです」

 車中で殺されたどころか、乗ったはずのない者の髪の毛が落ちていたとすれば、それは犯人が持ち込んだとしか考えられなかった。

 ガックリと肩を落とす篤を悲しげな目で見つめていた総一朗は次に、真希の方を見た。

「さて、真希さん。今度はあなたの番です」

 夫が真犯人だと確定したにも関わらず、真希は冷たい表情を浮かべたまま「何のことでしょうか」と訊いた。

「あなたが小塚さんたちを欺いた方法ですよ。ご自分でお話しにならないのなら、僕が説明しますが、異存はありませんね」

 黙ったままの相手を一瞥すると、総一朗は箱根の地図を示してみせた。

「小塚さんが殺害された場所は教授の別荘からはいくらか離れていました。篤さんを誘い、案内する側の彼がなぜ、そこへ出向いたのか。我々が訪問したとき、真希さんに別荘の在り処を訊いたところ『仙石原ですが、場所を知っているのは私と片平くんだけだったと思います。電車にバス、ロープウェイと、幾つかのルートがあるので観光を兼ねて来てもいいし、好きな方法を選んでくれと言われました』という答えが返ってきました」

 あの日の言葉が正確に反復される。創は真希と総一朗の静かな対決を見守った。

「好きな方法を選んでくれとは、まるで教授が複数のメニューを示しているようですね。そこで僕はある仮説を立てました。教授は真希さんのために、別荘までの交通ルートを幾つか書いた。それを小塚さんが参考にしたのではないかと」

 そういえばそうだったと新田教授は頷き、総一朗が差し出したコピー用紙に、当時と同じ要領でルートの記入を始めた。

 書き上がったそれに目を通した総一朗は「やはりそうでしたか」と納得した。

 強羅駅から箱根登山バスを使ったルート、ロープウェイの桃源台駅を経由したルート、伊豆箱根バスを使ったルートなど、別荘にたどりつくには何通りもの方法があった。

「真希さんはルートを手帳に書き写すと、メモ自体はゴミ箱に捨てた。そいつを小塚さんがこっそり拾ったわけですが、メモの破棄こそが真希さんの罠だった」

 呆然としたままの篤とは対照的に、真希は冷静さを崩さない。

「もっとも遠回りなバスルートの、それも途中までの分のメモだけを捨てたのです。自分をストーカーしている人物に一泡吹かせたかった、とんでもない場所に降り立ち、あるはずもない別荘を探して途方に暮れるのをあざ笑おうとしていたのか……」

「どこに証拠があるんですか?」

 挑みかかるように鋭い視線を送る真希だが、そんな彼女の前に差し出されたのは黄ばんでクシャクシャになったコピー用紙の切れ端だった。ペンで書かれた「大涌谷」の文字がかすれて見える。

「あなた……?」

「おまえがずっとボクを疑っていたように、ボクもおまえを疑っていたんだよ」

 互いに見つめ合い、たじろぎもしない二人に、総一朗はそっと声をかけた。

「小塚さんが所持していたメモの切れ端ですね。そこには彼の指紋が残っているでしょう。あなたたちはそのメモを見ながら、ありもしない新田教授の別荘を目指した」

「小塚のヤツ、地団駄踏んで悔しがっていましたよ。『あの女にいっぱい食わされた』ってね。ボクも同じです」

 泣きべそをかいたような顔で、篤は弱々しく笑った。

    ◆    ◆    ◆

「……っつーことで、事件の真相は晴れて解明、真犯人逮捕でめでたしめでたしじゃねーかよ。何浮かない顔してんだよ」

「うーん、それがねぇ」

 オカマ教授モードの総一朗はコーヒーカップを口元に運びながら、悩ましげな瞳を創に向けた。OB会当日だというのに、朝からずっとこの調子である。

「どうも引っかかるのよ、この事件」

「だからこれ以上、何があるってんだよ」

「ナイフよ、ガーネットつきのナイフ」

「はあ?」

 未だに『箱根ガーネット殺人事件』にこだわり、蒸し返している総一朗に呆れながら、創はコーヒーメーカーに二回目の深煎り粗挽き豆をセットした。

 OB会の開催は午後からで、場所は校舎の教室のひとつを使用するため、研究室を直接訪れる者はいないはずであるが、その時ドアをノックする音がした。

 気の早いOBが暇つぶしにここを訪ねてきたのかと、応対に出た創は思わず息を呑んだ。トレンチコートを羽織った、青白い顔の若い男が扉の向こうで会釈をした。見覚えのある顔、片平雅之だった。

 どうぞと中へ案内すると、片平は遠慮がちに進み、総一朗の前に立って今度は深々と頭を下げた。

「初めまして。このたびのことは天先生のご尽力のお蔭だと聞き、ご挨拶に伺いました。本当にありがとうございました」

「まあ、いつ出てこられたの? ともかく嫌疑が晴れてよかったわ」

 総一朗が椅子を勧め、創は来客用カップにコーヒーを淹れにかかる。

 頃合いを見計らって「ところで、あなたに訊きたかったことがあるんだけど」と総一朗が切り出すと、片平は何でしょうかと首を傾げるようなポーズをとった。

「問題のナイフね、あれが盗まれたときにどうして『失くした』って訴えなかったのか。ずっと気になってたのよ」

「犯人の出方を見ていたんです。あのとき、誰が盗んだのか見当がつかなかった、でも、私を陥れようとする誰かだということはわかっていました。それを使って何をするつもりなのか、ヘタに騒けば私自身が自前のナイフによる自殺体で発見、という結末になるかもしれない。恐かったんです」

「ふうん。で、誤認逮捕の際に黙秘したのはなぜ? 真犯人はゆすられていた新田教授、あるいはストーカーされていた真希さんだと思って庇ったのかしら?」

「いえ、それは……」

「最近になって自供を覆したってのも引っかかって、あなたの供述が変わったのはいつ頃だったのか弁護士さんに訊いてみたら、あることが耳に入ってからだとわかったの」

 あることとは何だと創が問うと、

「真希さんの結婚よ。弁護士さんを通じてそれを知った、というか、あなたの方から、元研究室のみんなはどうしているのか訊かれたって話していたけど」

 とたんに片平は落ち着きをなくし、そわそわし始めた。

「真希さんっていえば、高林先輩が話してたけど離婚調停中だって? 慰謝料、すげぇ額になるんだってな。元カレ殺しの犯人とは知らずに結婚したわけだしさぁ、騙されたようなもんだよな」

 創がそう言うと、総一朗は「騙したのはどっちだったのかしらね」と切り返した。

「えっ?」

「これはあくまでもアタシの想像で何の証拠もないけど、一連の事件から『とある男女』が結託して『とあるお金持ち』の財産をガッポリいただく作戦ってのが派生したんじゃないかしら。お蔭で首尾は上々、お金さえ手に入ったら、あとはパラダイスよ。まさに地獄ならぬ監獄から天国よねぇ」

 ふいにガバッと立ち上がった片平は「失礼します」と言い残し、逃げるように研究室から出て行った。

 唖然として見送る創、総一朗はといえばポケットからタバコを取り出すと、天井に向かって紫煙を吐き出した。

「すっかり踊らされてしまったのよ、アタシたちは。何食わぬ顔をして、オカマ名探偵の抜群の推理力を利用するなんて、小賢しいったらありゃしない。これだから女って生き物はイヤなのよ」

                                    ──了