MY MEMORANDUM

オリジナル小説を公開するブログです

ガーネットの慟哭 ❸

    Ⅲ

 綱島駅まで戻った総一朗はこれから横浜に出ると言ったが、高林はそのまま帰ってしまい、創だけがお供をすることとなった。

「高林先輩ってば、よっぽどショックだったのかな。ほら、不倫とか聞かされてさ」

 すると総一朗は「滋ちゃんたら、人妻に懸想なんかしちゃって」などとかました。

「懸想って普通に使うなよ」

「雅な言い回しで粋でしょ」

「そーかー?」

「いいわよ、もう。理解できなくても」

 横浜駅近くの和風モダンな居酒屋のカウンター席にはモスグリーンのスーツを着こなした、いかにもエリートといった感じの若い男が腰掛けていた。色白で長めの髪、知的で端正な顔立ちは若手俳優のようであり、人目を引く美男子である。

「はーい、待った?」

「いいえ、さっき着いたばかりで」

 若い男の正体はもちろんイケメン刑事・浅木尚人。昼間の電話にて、ここで落ち合う約束をしていたのだ。

 尚人の右隣に総一朗が、さらにその隣に創が座り、ビールを注文する。仕事中とあって飲酒できない尚人はソフトドリンクだ。

 中ジョッキが運ばれてくると、勝手に乾杯をした総一朗はさっそく切り出した。

「お願いしたことはわかったの? まあ、嬉しいわぁ、さっすがアタシの見込んだイケメン刑事ね」

「尊敬する総一朗先生の頼みなら、何を差し置いても引き受けますよ」

 にこやかな笑顔で甘いセリフを囁く尚人、総一朗はうっとりと彼を見つめている。

(うわー、アホくさ。このオカマオヤジに媚びてどうすんだよ。自分たち警察の捜査結果をひっくり返される可能性もあるっていうのに、いい気なもんだぜ)

 オカマ探偵の名推理に心酔しているイケメン刑事は警察の威厳よりも総一朗の依頼を優先し、彼の考えを尊重しているのだ。

 呆れるやらムカつくやらの創の反応には構わず、手帳を取り出した尚人は「まず、遺体の状態ですが」と、つまみがまずくなるような話を始めたが、その説明によると、小塚の背中の刺し傷はかなり左寄りのため、犯人は左利きではないかと判定されたらしい。

「現場の写真は見せてもらえるの?」

「急ぎなのでこいつに撮らせてもらいました。写りはイマイチですが、だいたいの様子はわかると思いますよ。あ、ここに写っているのが例のナイフです」

 そう言って尚人が自分の携帯電話を差し出したので、創は総一朗の肩越しにそれを覗き込んだ。電話のディスプレイにはうつ伏せになった男の姿がいくらかぼやけて写し出されている。見ただけでは死亡しているとはわからないような写真だ。

「正面から刺すなら、左側にある心臓を狙うという意識が働くかもしれませんが、今回は背後からですし、右利きの人がこんなに左寄りを刺すというのは考えにくい。傷の状態からも、刺される直前に被害者が身体を右に動かしたといったことは考えられません」

「左利きの人はもちろん……」

「片平雅之です。取調べの際に、全員に書類への署名をさせてチェックしたそうです」

「やっぱりね。それが犯人たる決め手のひとつになった、そんなところかしら」

 会ったこともない片平がどうして左利きだとわかったのかと質問する創に、総一朗は「そこのお醤油取って」と返してきた。カウンターテーブルの上に並んだ調味料類は総一朗と創の中間の位置にある。

「醤油って……何言ってんだよ、今は左利きの話してんだろーが。だいたい、手伸ばせば届くだろ、いちいちオレを使うなよ」

「いいから取って」

 有無を言わさない相手の態度に文句をつけながらも、創は仕方なく醤油差しを手に取り、総一朗の前に乱暴に置こうとした。

「ほらよって、何すんだよ!」

 いきなり手首をつかまれて、創は声を荒げたが、総一朗はニヤリと笑い、

「こっちは右手ね」

「当たり前だろっ」

「左手の方がアタシに近いのに、あなたは右手で醤油を取った。それは右が利き手だからよ。人は咄嗟の動作で利き手を使うもの。『写真を撮りますから何か持って、ポーズをつけて』と言われたときも同じじゃない?」

「写真? あっ、そうか。アルバムの写真、片平は左手にビールを持っていたから左利きだ……って、待てよ?」

 片平以外にも左手に物を持っていた者がいるが、警察の調査で左利きと認められたのは片平だけである。

 他にも左利きの人がいたんですかと、尚人は不安そうな顔をした。調査過程でのミスを心配したようだ。

「なあ、その論理って本当に通用するの?」

「よほど意識していなければ利き手が出ると思うけど。ちなみにアタシは子供の頃に、お箸とペンは右で使うよう、矯正された結果が両手利きよ。隠れ左利きと呼んでもいいけど、隠しているつもりはないしね」

「両手利き? 何だそれ」

「アタシが造った造語よ。今の時代はサウスポーだ何だって、もてはやされるぐらいだから、わざわざ矯正なんかしないけど、両親が古い世代だからやらされたのよ」

 総一朗とは長い、いや、そう長くもないがそれなりにつき合いがあったのに、左利きとはまったく気づかなかった創は「全然わからなかった」と呻くように呟いた。

「右手に鉛筆、左手に消しゴムは便利だけどね。ハサミや包丁なんかはさすがに右では使えないわ。タバコも左持ちよ」

 箸やペンを右手で持つ場面の影響は絶大で、他の物を左で使っても、その人が左利きとはなかなか気づかれない。たまに、そういうシーンに出くわすと驚かれるという。

「つまり、署名は右手で、刃物は左手もアリなわけだ。でもそれだけじゃ、誰が真犯人とは断定できないだろ」

「そうよ。だからそれ以外の証拠を探すの。尚人くん、足元の写真はあった?」

「こちらです」

 尚人は別の写真を示した。小塚の膝下から靴までが写ったものだが、旅行だろうが何だろうが、男子大学生という人種はスニーカー履きが普通と思われるのに、小塚は高そうな革靴を履き、創でも知っている高級ブランドの服を身につけていた。

「金がないくせに見栄っ張りっていうより、見栄のせいで金がなかったんだろうな」

「そうね。これだけ衣裳にお金をかけていれば困窮して当然だわ。あら?」

 総一朗が指差した先、小塚のズボンの裾から十センチほど上の部分に黒っぽい小さなシミが幾つかついているのが見えた。

「泥跳ねですよ。現場付近の泥だという確認もとれています。遺棄されたときに付着したと思われますが、この泥が小塚の靴の裏にはなかったということで、車で運ばれてきたと立証され……」

「ちょっと待って」

 尚人の解説を遮ると、総一朗は鋭い口調で切り返した。

「どうしてズボンの裾には何もついていないのかしら。ほら、地面に近い部分ほど汚れやすいのが当たり前じゃない。それなのに裾から上、十センチほどの範囲はキレイなままよ。何かで覆っていたみたいにね」

「そう言われれば……」

 こういう状態の『もの』をどこかで見たことがある。しばらく考えを巡らせていた創は自信なさそうに提言した。

「足をビニール袋で覆っていたとは考えられないかな。小学校の運動会で、教室の椅子を雨上がりの運動場の応援席に運ぶときにやったんだけど、椅子の脚に袋を履かせて紐で縛るんだ。教室に戻す前に取れば、いちいち雑巾で拭かなくて済むって。それでレジ袋を四つ持ってくるよう言われていたのに忘れて、先生に都合してもらったのを覚えてる」

「それよ! 室内のテーブルや椅子を外に持ち出すときに使う方法ね。おシャレな小塚サンは革靴やズボンが汚れるのを嫌って、靴の上からビニール袋を履いた。ところが泥は袋に覆われていない上の部分まで跳んでしまった。これでわかってきたわ。創、お手柄よ」

 二人の話を聞いていた尚人は次々と明るみになる事実に、またしても表情を変えた。

「それはつまり、被害者が生きてその場所を歩いていたという証明ですか?」

「ええ。殺害したあとに犯人がビニール袋を取り去った。だから靴の裏には泥がついていない。車で運ばなくても移動できるわね」

「車で運んだとは限らない、あるいは電車で来たとも限らない。そういうことか」

 先に総一朗が語った言葉だ。漠然とではあるが、そういった可能性を視野に入れていたのだろう。それが写真を見て確実になったといったところか。

「では、殺害現場はどうなるんでしょうか?」

「遺体が発見された場所だったと考えるのが自然ね」

 創の意見は総一朗の唱える真犯人説にすっかり鞍替えしていた。

 犯人と被害者は車で移動したと限定されなければ、片平以外の人物にも嫌疑がかけられる。交通手段としては発見現場近くの道路がバス路線であることや、頑張って歩けばロープウェイにも乗れることなど。あとは最寄りの駅から電車に乗ればいいのだ。

 ただし、彫刻の森駅前の集合時間に間に合うためには、通常よりもかなり早い時刻に現場へ到着しなくてはならない。犯人はどうやって間に合わせたのか。そして小塚はなぜ犯人と共に、目的地とは違う場所に行ったのだろうか。

「そうなんだよ、そこらが引っかかるんだ」

 苛立つ創に、尚人も頷いて、

「車を使った片平の犯行というのなら、すべてクリアできていたんですけどね。第一の問題点に関しては、宮城真希以外は当日の朝に川崎あるいは周辺都市から電車に乗ったという裏づけがとれています」

 もっとも、被害者の小塚については確認できなかったらしい。本人も周りも一人暮らしのマンションで、女の部屋を渡り歩いていた彼がいつ出かけたかなど、把握できなくても仕方のないことだった。

「それは篤さんからも聞いたわ。でもね、犯行日時は九日の朝ではなかったとしたら?」

「九日ではない、とは?」

 総一朗の目が再びキラリと光った。

「死亡推定時刻は八日の夜から十一日の朝になっていたわね。犯人は八日に小塚を殺し、その日のうちに自宅へ戻って、翌日電車に乗って再び出かけることは充分可能よ」

「しかし、小塚から遅れるというメールが届いたのは確認されていますが」

「彼のケータイの機種、調べてくれた?」

「あ、はい。これですけど」

 尚人が差し出した手帳のページを見た総一朗は「あら、アタシと同じ会社の機種じゃない。ちょうどよかったわ」と言ったあと、すぐさま携帯電話会社のインフォメーションセンターに問い合わせの電話をかけた。

「……そうですか。どうもありがとう」

 通話を終えた総一朗はVサインを出して満足そうに微笑んだ。

「メールの予約機能ですか。まったく思いつきませんでした、脱帽です。さすが総一朗先生、素晴らしい推理力に感服しました」

 尚人は頭を下げると、改めて総一朗を見つめたが、感動のあまりなのか、彼の瞳が潤んでいるような気がして創はたじろいだ。

(その反応ってちょっと大袈裟じゃねーか)

「予約機能はついている機種とそうでないものがあるらしいから確認してみたんだけど、ビンゴだったわ」

 小塚からのメールは彼が所持する携帯電話の予約機能を使って送られたものだったと総一朗は推理したのだ。

 この機能を使えば、指定した日時にメールを発信することができるが、受け取った側はそれが予約して送ったものかそうでないのかは判断できないし、送った側の履歴にも予約をセットした日時は残らない。従って、小塚がさっき送信ボタンを押した、その時点で彼は生きていると、人々には認識されたのである。

「ケータイの電源はそのままだから、電池が切れるまで使命を果たす、予約メールも飛び出すってわけね。被害者のメールが加害者のアリバイ作りに一役買ってしまったのよ」

 確かにそれは成り立つ説だが、予約メールという小細工はなぜ行われたのか。

「恐らく小塚は旅行の前日に箱根入りしていたことをみんなに知られたくなかったんじゃないかしら。まだ小田急沿線にいると思わせたかったのよ。町田駅での待ち合わせには遅れたけど追いついた、と見せかけるためにメールを送った。出発時刻の前に届かなくちゃ意味がないから、タイミングがずれたり忘れたりしないように、予約にしておいたのね。殺されなければたぶん、何食わぬ顔で彫刻の森駅前に現れたはずよ」

「なんで前日からいたことを知られたくなかったのかな。まっとうな理由じゃなさそうだけどさ」

「その謎を解く鍵は第二の問題点、小塚と犯人が前日に殺害現場となった場所へ行ったことにあるわね。彼らには秘密かつ共通の目的があった。さらに犯人には小塚を殺すという目的もあった。そのために片平のナイフを盗み出していたのよ。靴が汚れるからとビニール袋の使用を勧めたのもきっと犯人ね」

「秘密かつ共通の目的って、いったい何だろう? 前日に箱根……そうだ、真希も八日に箱根へ来て、教授の別荘に泊まってるんだっけ。もしかして二人の目的は真希をストーカーすること?」

 総一朗は既にそこまで考えが及んでいたらしいが、ニッコリ笑って拍手をした。

「ブラボー! ナイスな発想よ、創。さすがアタシの探偵助手ね」

「また出た、ブラボーとナイス」

 オカマ探偵お得意のダサい褒め言葉にげんなりする創だが、それどころではない尚人は「スッ、ストーカーがいたんですか?」と声を上げ、そこで総一朗は彼に真希と小塚、ストーカーとの関わりを説明した。

「そうでしたか。では、彼らは真希と新田教授の密会を探るつもりだったのかもしれませんね。ストーカーは真希を見張り、小塚はそれをネタに教授をゆする、と」

「ええ。それがどうして仙石原の教授の別荘付近ではなく、大涌谷近くの山中で遺体発見となったのかという謎が残るけど」

 箱根の地図を広げてルートをたどる。仙石原と大涌谷は直線距離では大したことはないが、二つの場所を直接結ぶ交通機関はなく、車を使わないとしたら、かなりの遠回りになってしまうと確認された。

「一度教授に会った方がよさそうですね」

「そうね。アタシがアポを取るわ」

 そう言って、総一朗はぬるくなったビールを飲み干した。

 彼の胸中には真犯人の名前が挙がっているのだろうと創は確信した。そしてそれが波乱の結末になるだろうという予感も──

                                ……❹に続く