MY MEMORANDUM

オリジナル小説を公開するブログです

ガーネットの慟哭 ❶

    Ⅰ

 九月十二日早朝、神奈川県箱根町の名高い観光地である大涌谷から早雲山へと向かう道を逸れた山中にて、うつ伏せになった若い男の他殺死体が捜索隊によって発見された。

 所持していた運転免許証や学生証から、被害者の身元は捜索願の出ていた、私立神明大学農学部四回生の小塚拓海(こづか たくみ)本人であると判明。死亡推定時刻は八日夜から十日朝にかけてとなり、死因は背後から左の肩甲骨下あたりを刃物で一突きされたことによるもので、傷は肺にまで達していた。

 被害者の所属する研究室では大学の夏休みを利用しての観光旅行であるゼミ旅行が九月九日から一泊二日の旅程で実施されており、その目的地が発見現場である箱根だった。

 遺留品であるリュックサックの中には短期間の旅行に必要な衣類や日用品などが入っていたので、ゼミ旅行に参加する予定があったことは明らかであるが、当人は集合場所に姿を現しておらず、連絡もとれなかったため、到着前に事件に巻き込まれたと判断された。

 そこで旅行の参加者である学生たちに目星をつけた当局が事情を訊き、調査を進めた結果、同級生の片平雅之(かたひら まさゆき)を逮捕するに至った。

 片平を犯人とした根拠はまず、

①小塚は片平を敵視しており、二人が日頃から犬猿の仲だったという周囲の証言。

②現場では七日に降った雨のせいで地面がぬかるんでいたが、小塚の靴の底には付近の泥がついておらず、別の場所で殺されたあと、車両を利用して遺棄された可能性が高い。

③旅行の際、往路に車を使って移動したのは片平だけである。ちなみに復路では三人の同乗者がいた。

④片平が使用したレンタカーから小塚の毛髪が採取されたため、殺害されたのはこの車の中ではないかと考えられる。

 なお、現場では犯人の足跡なども消え、唯一の遺留品が遺体に突き刺さったままになっていた凶器なのだが、これが大変珍しいナイフで、バタフライナイフに似た形状をしており、柄の部分に暗赤色の宝石・ガーネットが埋め込まれていた。外国製らしく、同じものが国内に二つとあるとは思えない代物だが、それは片平自身が護身用と称して、いつも所持しているナイフだったのである。

    ◆    ◆    ◆

「さ、殺人っスかぁ~っ! マジでぇ?」

 静まり返った研究室内で素っ頓狂な声を上げたのは加瀬創(かせ はじめ)、そんな後輩の反応を目にした高林滋(たかばやし しげる)は「しーっ」と唇に指をあてた。

「いきなり大声出すなって。それで、こっちが目下犯人扱いされてる……」

 高林はディスプレイに表示されている片平雅之という名前を示した。事件が起こらなければ、殺された小塚拓海ともども三年前に卒業のはずが一方は死亡、もう一方は中退という形で名前のみを記載、住所その他の記述はなく、そこの二行分が空欄になっていた。

「目下って、それ、どういうことっスか?」

「しばらく黙秘でネバッていたのが、けっきょく犯行を認めてケリがついたはずだったんだって。それがいきなり掌を返して否認、自白を強要されたとかで審理続行さ」

「なぁるほどぉ」

「何しろ現場はひと気のない場所だから、有力な目撃情報も得られなかったし、じつのところ真相はどうなのか、全然わからないんだ」

「へえ。この大学でそんな騒動があったなんて知らなかった」

「事件については緘口令が敷かれていたからね。ボクだって従兄が卒業生でなけりゃ、まったく知らないままだったよ」

 そう答えたあと、高林はわざとらしく、しかめっ面を作ってみせた。

 神明大学の理系学部が集まる神奈川県の川崎校舎では例年、十一月の終わりに学園祭が行なわれるが、その際に各研究室において卒業生を招待してのOB会を開くという習わしがあり、ここ農学部農学科園芸学第Ⅱ研究室は同第Ⅰ研究室と交代で会を催している。

 今年度は園Ⅱ研が当番に当たっているため、この十月から準備に取りかかり、まずは備品のパソコンに入力済みの、卒業年度ごと五十音順に記載された卒業生名簿を元に、メールや葉書を使って出欠の確認をとる作業が進められていた。

 ちなみに研究室に所属するのは三回生と四回生で、やっかいな仕事は当然のことながら年少の三回生に押しつけられる。今回の作業の担当に選ばれたのは三回生の創だった。

 園Ⅱ研に所属する学生たちをまとめる責任者・室長という役割を担っているのが四回生の高林で、見るからに生真面目な青年は後輩に作業の手順を教えている最中だったが、しばらくして創がマウスを操作する手を止めたので、どうしたのかと問いかけた。

「ここの欄見てくださいよ、最近の卒業生で死亡になってる人がいるでしょ。この人たちって今、二十五歳ですよね。事故にでも遭ったのかな、それとも病気かな」

 高齢のOBの中には名前の下に死亡と記入されている者もちらほらいるが、二十五歳で逝くのは早過ぎる。そんな疑問を創が切り出したために、三年前の殺人事件に話題が及んだのだ。

「あーら、二人揃って何ナイショ話してるの? ヤケるわ~」

 突然カン高い声が聞こえてきた。オネエ言葉を放ちながら登場したのはこの園Ⅱ研の担当で、名物教授の天総一朗(てん そういちろう)、四十歳独身。

 スリムな体型にマジシャンもどきの派手な衣裳をまとった彼は実年齢よりも若く見える上になかなかの美男子と、ルックスは「イケてる」のだが、ゲイでオカマという特異なキャラクターのお蔭で、農学部にとどまらず大学中にその名を轟かせている有名人である。

「創ったら、アタシというものがありながら滋ちゃんと浮気?」

 ゲイな教授の相変わらずの発言にげんなりしながら「それってセクハラっつーか、パワハラだっての」と文句をつける創、農学部一のワイルド系イケメンと評判の彼は特に総一朗のお気に入りで、ヘビに見込まれたカエルのような心境で学生生活を送っていた。

 だが、ヘビに見込まれたお蔭で、研究室の担当教授にタメ口で会話するという、何の特典にもならない資格もある。

「三年前に箱根で起きた殺人事件の話をしていたんですよ。先生はご存知ありませんか」

 苦笑しながらの高林の問いに、総一朗はかぶりを振った。

「アタシがここに来る前だから、その年の出来事は知らないのよ」

 別の大学で准教授をしていた総一朗が神明大学に招かれたのは三年前の四月なので、事件に遭遇した学生たちが三月に卒業した直後だったのだ。

「あの頃は作物学研究室と呼んでいたのよね。担当は新田芳久(にった よしひさ)教授で、そのあとをアタシと、園Ⅰの地井先生で引き継いだんだったわ」

「なぜ新田教授は定年前に退職したんでしょうか。事件のせいだとしたら……」

「退職の理由は健康上の問題とか、そんなふうにしか聞かされていないけど。まだ五十歳前だったわよね」

 思案顔の高林は総一朗を見つめながら、

「真希(まき)さんに天先生の話をしたら『その先生になら真相がわかるかもしれない』って言ってました」

「真希さん?」

「従兄の奥さんなんですけど」

(やっべー、イヤな予感がする)

 不安に襲われる創を尻目に、高林は再びディスプレイを示した。

 宮城篤(みやぎ あつし)という名前の下に宮城真希(旧姓 早川)とあるが、宮城篤その人が高林の従兄で、同じ研究室の学生だった早川真希と最近結婚したという。つまり宮城夫妻は事件の当事者たちと同級生なのだ。

「二人から詳しい事情を聞いてるのね。でもアタシになら真相がわかるって、どういう意味かしら」

「先週だったかな、横浜のマンションへ引越しの手伝いに行ったとき、真希さんが『片平くんが犯人だとは思えない、今でも信じられない』って言い出したんですよ。本人も自分は無罪だ、冤罪だと主張してるわけだし、真犯人は別にいるんじゃないかって。それで、先生が本格ミステリマニアで、実際に難事件を解決した経験があるって話をしたんです」

「あら、いやだわ。それじゃあ、またオカマ探偵の出番ってわけね」

 しなを作った総一朗は弾むような声で、当時の様子を説明しろと言った。

 またしても先生の探偵ごっこの始まりだ、創の不安は的中した。彼は高林が語ったところの、総一朗が解決した難事件(『サファイアの憂鬱』参照)において探偵助手を命じられ、以来『ワトソン』的立場に陥っていた。

「ゼミ旅行当日は終点の強羅駅のひとつ手前の、彫刻の森駅前に現地集合で、辺りを観光してから強羅にあるホテルに一泊するという予定だったそうです」

「現地集合って、そんなのアリ? オレらの旅行なんか、一日目からみんな揃っての社会見学だったじゃないっスか」

 今年のゼミ旅行もやはり九月で、行き先は伊豆、農業試験場見学を名目にしていたが、ゼミ旅行の本来の目的は研究の参考になる施設の訪問である。最優先事項を省くなんてと、不満に思う創の問いかけに、高林は「新田教授の都合だったんだって」と答えた。

「何の都合があったのかしら」

「教授は箱根に別荘を持っていて、何日かそこに籠もって急ぎの論文を書き上げてから九日に合流するということで、施設見学とかは盛り込めなかったみたいです」

 新田教授は足を悪くしており、別荘への行きは家族に送らせるので、九日に車で迎えに来て、その後も車での移動にして欲しいと、専属の運転手役に選ばれたのが片平だった。

 レンタカー代やガソリン代はもちろん教授持ちだし、現地までの往復の交通費が浮くとあって、片平は喜んで承知したようだ。

「なるほど。それで、他のみんなは教授に合わせたスケジュールで動いたのね」

 この大学の学生たちは当時も今も、小田急線沿線に下宿している者が多い。九日の朝、宮城篤は数人の仲間たちと町田駅で待ち合わせると、そこから急行に乗り、箱根登山鉄道を乗り継いで向かったが、片平と小塚は同行していなかった。

 片平は教授に頼まれてレンタカーで行くと話していたし、小塚からは待ち合わせに遅れるから先に行ってくれといった内容のケータイメールを出発前に受信したので、他のメンバーは二人が揃わなくても不思議には思わなかったのだ。

「片平さんと教授は彫刻の森美術館で合流したけど小塚さんはずっと現れなくて、ホテルに向かう前にも電話を入れたけれど、応答しなかったという話です」

「既に殺されていたかもね」

「けっきょく最後まで連絡がとれなくて、旅行終了後に長野の実家の両親が捜索願を出して、ようやく発見されたと聞きました」

「ふうん。みんなの対応が薄情にも思えるけど、それだけ被害者に人望がなかったのかしら。もっと心配されてもいいはずでしょ」

「お察しのとおりです。片平さんだけじゃなく、他のメンバーにも嫌われていたようですね。殺したいほど憎んでいたかどうかはわかりませんが、敵は多かったみたいです」

 小塚という男は授業をサボッて遊んでばかりいるので単位が足りず、卒業も危ぶまれるような生活態度の悪さだった。

 派手好きで見栄っ張り、口が上手くルックスもまあまあなので女とのトラブルも多く、年中金に困っていて借金を繰り返し、ゆすりたかりのようなこともやっていたらしい。

 金がないからゼミ旅行も無断でボイコットしたのだろうと考えられたために、人々は彼の不参加を深く捉えなかった。

「ところが、その死体が箱根で発見された」

「ケータイの在り処を追跡したようです。見つかった十二日には電池切れで電源も切れていたらしいですけどね」

「ケータイかぁ、所持品は全部残っていたのね。だから物取りの可能性はまずないと見て、顔見知りによる怨恨の線で捜査したと」

 顔見知りといえば、その場所へ一緒に旅行するはずだった研究室の仲間たちが疑われ、取調べを受けるのはもっともである。

 しかも、あらゆる状況が片平を犯人と示していたのだ。その犯行の動機と経緯についての見解は「金に困っていた小塚は交通費が浮くと思い、片平の運転する車に同乗したが、元々仲の悪い二人のこと、道中言い争いになり、カッとなった片平がナイフで小塚を刺殺して遺棄。そ知らぬ顔をして教授を迎えに行き、ゼミ旅行の一行に加わった」といったものだった。

「単純すぎるわ! そんな簡単な内容で説明がつくなら、迷宮入りの事件なんて半分以下に減っていいはずよ」

 総一朗が不満げに言い放ち、創は思わず高林と顔を見合わせた。

「だいたい、嫌いな相手が運転する車になんか、わざわざ乗るもんですか」

「でもさ、小塚は金がなかったんだろ。背に腹は替えられないって言うし、乗せてくれって頼み込んだかもしれないじゃねえか」

 よせばいいのに混ぜっ返した創の面に、総一朗の鋭い視線が突き刺さる。

「嫌いな人の頼みを引き受けるかしら? たとえそうだとしても、他の誰かを道連れにするでしょ。走る密室である車の中に何時間も二人っきりなんて耐えられないはずよ。途中から教授を乗せるとしたって、あと一人か二人は乗れるわ。この機会にと、最初から小塚を殺す意思があるなら別だけど、カッとなってやったという説には矛盾するわね」

 なるほどと頷き、高林が同調する。

「一理ありますね。従兄たちは片平さんに、せっかくだから一緒に乗って行くかいと誘われることはなかったようですよ」

「そもそも、運転席の片平がナイフを取り出し、逃げようとして背中を向けた助手席の小塚を刺したっていうシチュエーションには無理があるわ。小塚が助手席に乗ると思う? 乗せてもらったとしても後部座席を選ぶでしょうし、後ろに座っている人の背中を狙うのは大変よ」

「まあ、嫌いなヤツの助手席に乗るとしたら、それなりの心構えがあってのことだし、あっさり一突きされるとは思えねえよな。あ、待てよ。小塚はついつい居眠りしてたとか」

「それも変よ。相手が居眠りしていたなら背中より確実に殺せる前を狙うべきね。あと、凶器のナイフも気に入らないわ。犯人は私ですって言わんばかりのガーネットつきの珍品を使って殺す? 計画的犯行なら別の凶器を用意するだろうし、咄嗟に使ったっていうなら、なんで持って帰らなかったのよ」

「気が動転していたからじゃねーの。それにさ、へたにナイフを抜くと血が吹き出るから、抜かないでおくって聞くじゃん。車のシートが汚れると思ったとかさ」

「地面に転がしたあとに抜けばいいのよ」

 丁々発止の探偵コンビの会話に、これまたミステリマニアの高林が口を挟む。

「ナイフは布か何かで拭いたみたいで、誰の指紋もついていなかったそうです。今、加瀬が言ったのと同じく、気が動転していたという説で警察は処理したってことです」

「まあ! 気が動転している人に指紋を消す余裕があるかしら?」

「だからそいつも咄嗟にやったんじゃないのか、犯人ならやりかねないだろ。おまけに座席から髪の毛が発見されたって……」

「創、あなたはやっぱり片平が犯人だと思ってるの?」

 創の懸念をよそに、オカマ探偵のテンションはますます上がってくる。こうなるとどうにも止まらない。

「い、いや別に。オレ、知り合いでもなんでもないし」

「犯人が手袋をしていた場合、指紋を消す必要はない。そこにあってもおかしくないのは所有者の指紋よ。たとえ片平が犯人だとしても、彼の指紋はついていて当然なんだから、これも拭き取る必要はない。消す手間を考えたら持ち帰るわよね。彼がナイフを持ってるってのはみんな知っていたんでしょう?」

「宝石がついた珍しいものだ、親戚の海外旅行土産だといって見せびらかしていたらしくて、周知のことだったようです」

「罪をなすりつけるのにはもってこいの凶器じゃない。本人は盗まれたとか失くしたとか、そういう言い訳はしていないのかしら」

「さあ……今じゃナイフなんて、持っているだけで犯罪者扱いですからね。さすがに警察に対しては言い訳したかもしれませんが、管理の悪さを問われるだろうし、みんなには言うに言えなかったんじゃないですか」

「とにかく、指紋を拭き取ったのは『手袋をしていなかった真犯人』が別にいるからよ」

 真犯人説を主張する総一朗に対し、創は「じゃあさ、死体を現場まで運ぶ手段はどうなるんだよ? 片平以外のみんなは電車で来たってのはハッキリしてるわけだし」と尋ねた。

「車で運んだとは限らない、あるいは電車で来たとも限らない。何らかのトリックが使えば誰にでも可能なのかもしれないわよ。髪の毛だって何か裏があるはず、すべては片平に罪を着せる罠ね」

「罠って、断言しちゃっていいのかな」

 創は懐疑的だが、高林の方は総一朗の意見に賛成のようだ。大きく頷いて、

「罠の可能性は高いですね。証拠そのものは不完全なくせに揃いすぎていて、片平さんを犯人にするよう仕向けている感じがします」

「もしもそうだとしたら、状況からいっても研究室の元メンバーの中に真犯人がいることになるぜ。それって何かヤバくねえ?」

 従兄夫婦も含めて当時の仲間たちが再び嫌疑の中に置かれるとあって、高林はギョッとした様子だが、総一朗はニマッと笑い、親指をピンと突き立ててみせた。

「とにかくまずは真実を突き止める。それがアタシの役目よ」

「うへー、すっかりノリノリだ」

 そこで総一朗は真っ赤なジャケットの胸ポケットから携帯電話を取り出した。

「誰にかけるの?」

「決まってるじゃない、イケメン刑事(デカ)よ」

 イケメン刑事こと浅木尚人(あさぎ なおと)は総一朗が前に勤務していた大学での教え子で、農学部卒で神奈川県警に飛び込んだ変り種だ。かなりの美形で、当時は総一朗の一番のお気に入り学生であり、そういう意味では創の先輩格になる。

 以前に関わった殺人事件で再会して以来、警察が握る情報を尚人に横流しさせている総一朗は箱根の事件についても何らかの情報を得ようと思いついたらしい。

「えー、仕事中じゃん。絶対迷惑だって」

「いいから、いいから。アタシとのホットラインを拒むなんてできないはずよ」

 数回のコールでホットラインが繋がると、総一朗は挨拶もそこそこに切り出した。

「……その『箱根ガーネット殺人事件』に関する調査の内容を教えて欲しいのよ。ええ、ウチの研究室の卒業生が関与してるの」

「なんか勝手に、事件に名前つけてるけど」

 呆れ返る創の様子などお構いなく、総一朗は次々に調査項目を挙げた。

「それじゃあよろしくね」

 総一朗は上機嫌で電話を切ったあと「それにしても、自分の研究室の学生の間で殺人事件が起きちゃったなんて、新田先生はさぞ辛かったでしょうね。アタシも創が殺されたら……」などとかました。

「おいっ、何もオレを殺される役にしなくたっていいだろーがっ!」

「事件を気に病んで、大学を退職しちゃったのかしら」

「……聞いてねーし」

「引継ぎと挨拶は地井先生がやってくれたから、アタシは新田さんと会っていないのよ。どんな人だったのかしらねぇ」

 そこで高林が思い出したように、

「ここにゼミ旅行のアルバムがありましたよね。今年の分の写真をファイルしたのはボクだから、記憶に新しいんですよ。もしかしたら写っているかも」

 ゼミ旅行が通例になってから毎年の記念として、何枚かの写真を選んでファイルするきまりになっており、当然ながら三年前の写真も残っている。

「そうだったわね。園Ⅰに回覧していなければあるはず……たしかそっちの棚よ」

 創は総一朗が指さした書架からアルバムを取り出してくると、実験用テーブルの上にドサリと置いた。

 アルバムを広げた高林が「あ、この写真をマンションで見せてもらいました。同じやつを焼き増ししていたんですね」と言いながら示した一枚をみんなで覗き込む。

 そこには数人の男女が写っていた。食卓の上に数々の料理が並んでいることから、ホテルでの夕食の光景を撮影したものらしい。

 真ん中に写っているのはベージュのワイシャツにループタイをした、渋い二枚目といった感じの上品な中年男性である。この人が新田教授だろう。ワイングラスを片手に、柔和な顔立ちに微笑みを浮かべて、学生たちを見守っているかのようだ。

「ロマンスグレーとかナイスミドルって今時あんまし言わないけど、そういうタイプ? いかにも大学の教授って感じの人だな」

「誰かさんとは大違いって言いたいんでしょ。悪かったわね」

「わかってんじゃん」

「教授の隣にいるのが真希さんです」

 水色のシャツを着た清楚な美女がワインのボトルをカメラに突き出すようにして、楽しげに笑っている。創が「へえ、すっげー美人」と感心すると、ご機嫌斜めのオカマ教授がギロリと睨んだ。

「一人置いて篤さん。片平さんはこっち」

 真希を取り巻くようにして数人の男子学生が嬉しそうに写っている。まるで崇拝者を従える女王様のようだ、唯一の女子学生が飛び切りの美人なのだから、研究室のアイドルになるのは当然か。

 そのうちの一人、宮城篤は身長も低く、さほど男前ではないが、人の良さそうな青年だった。視力検査のパフォーマンスなのか、スープ用のスプーンで左目を覆っておどけている。それぞれ食卓の上のものを使ってポーズをとるという趣向らしい。上物の服を身につけているあたり、かなり裕福な家庭の子息のようだが、従弟の高林もそこそこのおぼっちゃまなので、親戚みんな揃って金持ちなのだろうと、創はやっかみたくなった。

 左手にビールのグラスを持って微笑む片平雅之は色白の、線の細い若者だった。顔立ちはなかなか整っているが、地味で気の弱そうな男で、殺人などという大胆な所業ができるとは思えないタイプだが、そのような先入観は禁物である。

(気が弱いから護身用のナイフなんて持ち歩いていたのかなぁ。ま、窮鼠、猫を噛むってこともあるしな)

 創がそんなことを考えている間にも、総一朗は写真をじっくりと眺めまわし、それから口を開いた。

「そうだわ。この前の年の写真に、殺された小塚が三回生として写っているんじゃないかしら。ゼミ旅行に参加していればだけど」

 すると高林は申し訳なさそうに「その人の顔はわかりませんが……」と答えた。

「とにかく篤さんと真希さんには一度話を聞くべきね。滋ちゃん、お二人に会わせてくれない? このアルバムも持って行きましょう、どれが小塚なのか教えてもらうわ」

                                ……❷に続く