Ⅴ
新たなる殺人、二人目の死体発見に、別荘内は騒然となった。
二階にいた捜査員たちが慌ただしく下へ降りてきては、表へと飛び出して行く。
無線なのか携帯電話なのか、あちらこちらに連絡を取る声やら、誰かが何事かを命令する声が怒号のように響いて、何とも落ち着かず、心地が悪い。
創たちにいったんリビングへ戻るよう促した吉田も玄関へと向かい、四人はまたぞろぞろと引き戸をくぐった。
リビングはますます険悪なムードに包まれ、誰もが自分以外の者を疑心暗鬼で見つめている。
物置で見つかった死体、若い男とはいったい何者なのか。
彩音を殺した犯人がその男も手にかけたのか否か。
それとも彩音の殺害とはまったく無関係の事件なのか。
まさか、通りすがりの見知らぬ男がたまたま物置で死んでいたなんて、到底考えられない。この別荘において、一晩のうちに二人の人間が殺害された。二つの事件には関連があるとみるのが当然である。
そこに座る七人と、相良の顔にチラチラ視線を走らせながら、創は苛立つ気持ちを抑えられずにいた。
(まったく何なんだよ、この事件は!)
が、男の正体はあっさりと判明した。
しばらくして戻ってきた吉田が所持していた運転免許証から名前がわかったと言い、その正体を告げたのである。
「男性は金谷礼司という名前です。年齢は二十九歳、ご存知の方ですか?」
「金谷……まっ、まさか……!」
絶句する人々、真っ青になった歌純はそのまま気絶してしまい、登志夫が慌てて身体を抱きとめた。
「本当に、本当に金谷さんなんですか?」
「人違いじゃあ……」
皆から繰り返される質問に、吉田は辛抱強く答えた。
「遺体の顔が免許証の写真と同じですから、本人と断定できます。金谷という人はいったい、どう……」
「歌純ちゃんのマネージャーなんです」
「マネージャー?」
物置で死体となって発見された若い男は昨夜、登志夫から聞かされた歌純のマネージャーにて崇拝者、圭介が女王様の騎士だと言ってからかっていた、金谷礼司だった。
「どうして金谷さんがここに?」
「それは私共が訊きたいところです」
吉田の厳しい口調に怯えたらしく、全員が貝になって黙り込む。
自分が座っていたソファに歌純の身体を斜めに横たえ、立ち上がった登志夫は別の椅子に腰掛けると、宿泊組を代表して質問に答えた。
「今回の招待はプライベートなものですし、部屋の数が足らないからってことで、マネージャー抜きになっていたんですよ」
登志夫をフォローしようと、宣昭も頷きながら「そうです。そういう条件で承諾してもらっています」と脇から口を挟んだ。
「もちろん、三島先生の別荘の場所は知らせてありますし、みんなケータイを持っているから連絡を取るのは簡単なので、かまわないだろうという話になりました。ですから、マネージャーの一人がこの別荘にいたという事実に、大変驚いています」
そうですかと納得しながらも、吉田は鋭く突いてきた。
「しかし、そのケータイはずっと金庫の中に、でしたよね。昨夜の九時頃からは誰も電話やメールをしていない。車の鍵もないから、建物の外にも出られない」
みんなをねめつけて続ける吉田、
「つまり、皆さんはこの中にカンヅメで、外部とは接触できない状態にあった。金谷さんは松崎さんと連絡が取れなくなって、心配して追いかけてきたんじゃないですか」
緊迫した雰囲気が漂う中、総一朗は飄々として「タバコ吸っていいかしら」と尋ねた。
「あ、ああ、どうぞ」
「では遠慮なく」
こんな時にタバコだなんて、しょうがないオヤジだ、と呆れ顔を向ける創にウィンクをすると、総一朗は薫から灰皿を受け取り、ぽわーんと紫煙を吐き出した。
「刑事さん、お言葉を返すようで恐縮ですけど、話の順番が間違ってるわよ。もっと順序よく説明してくださらないと」
「はあ?」
「物置にあった遺体が金谷礼司氏だったのはわかったわ。本来なら、当人をよく知っている歌純さんか、監督あたりが確認するってのがベストだと思うけど」
「それはまあ、そうですね。松崎さんは無理でしょうが、岡部さんさえよろしければ、あとで確認していただきましょう」
しかし、半日も経たないうちに、むごたらしい死体を二人分も見なくてはならないのは辛いものがある。見なくて済むのなら、その方がいいはずで、登志夫の表情が強張ったのがわかった。
「で、その金谷さんが殺されている、これは他殺だと、どうして断定できたのか教えてくださらない?」
「わ、わかりました」
吉田は額の汗を掌で拭った。このオカマ教授の相手はやりにくいと思っているに違いないと、創は気の毒になった。
「金谷さんは物置の扉の方に足を向けて、うつ伏せで倒れていました。物置の奥行きは一メートル五十センチほどで、大人の男性が全身を横にするには長さが足りませんから、上半身が周囲に寄りかかったような格好になっていました」
「殺害方法は?」
「背後からの絞殺です。首にロープが巻きついていましたし、絞められた跡も残っていました。検視の正式な結果報告はまだですが、ほぼ間違いないと思われます」
「絞殺……ねぇ」
何事かを思案していた総一朗は突然、現場を見せて欲しいと頼んだ。
「げ、現場って、物置の中を、ですか?」
「そうよ。監督が確認に行くんでしょう、ご一緒させていただくわ」
この別荘に来たのは偶然の上、動機の面ではもっとも疑いようのない人物とはいえ、平然と言ってのける総一朗の態度を見て、やれやれと創は頭を抱えた。
(まったく、出しゃばりなんだから。捜査の邪魔になるってわかってんのかよ)
吉田は渋い顔をしていたが、交遊図の情報を提供してくれた相手でもあり、また、さっきから見せつけられている総一朗の切れ者ぶりを高く買ったらしく、相良が「まあ、いいじゃないですか」ととりなした。
「先生は何でもよくご存知のようだし、もしかして犯人の目星をつけてくれるかもしれませんよ」
「あら、嬉しいわ。こちらの刑事さんは物分りが良くってよ」
ムッツリしたままの吉田を尻目に、まだ第二の現場を見ていない相良と共に、総一朗と登志夫は戸外の物置へと向かった。もちろん創もお供を命じられる。
風はいくらか止んで、雨も小降りになっていたため、傘がなくても何とかなりそうだ。玄関で靴を履くと、庭の方へとまわってリビングの窓の前を通過する。地面が芝生に覆われているので、足跡が残っているのかどうかはよくわからないが、相良のあとを慎重に歩いた。
ベージュ色の物置は母屋の東の角に接近して建っていた。ホームセンターなどで売っている、よく見かける種類のものである。
吉田の報告どおり、奥行きは百五十センチほど。幅は百七十センチ、高さは百八十センチぐらいだろうか、長身の創なら頭がつかえてしまう。
扉の前をうろついていた捜査員が相良の姿を見て敬礼をした。
「この人たちにも中を見せてもらえる?」
「どうぞ」
物置の扉は真ん中から分かれて、左右に開く引き戸で、今はそれが全開となっている。内部は関係者以外立ち入り禁止なので、三人は捜査の邪魔にならないよう、入り口の傍に立って中を覗き込んだ。
奥の方に立てかけられた鍬や鶴嘴、枝切り鋏などが見え、手前に肥料や園芸土の入った袋が積まれている他は薫の話にあったように何もなく、普段ならがらんとしているはずのスペースのド真ん中に、男の無残な死体が転がっていた。
銀色に鈍く光る床の部分、奥と手前に乾いた足跡が幾つか残っており、手前のものは擦ったような形になっている。どれも白いテープで囲まれているが、被害者本人のものかどうかを教えて欲しいと、総一朗が相良に耳打ちするのが聞こえた。
金谷礼司は説明にあったように、胸から上の部分が物置の壁に寄りかかる形でうつ伏せたままで、その周りを二人の捜査員が忙しく動き回って写真を撮ったり、メモに何かを書き入れたりしていた。
「おっ、ご苦労さま。死亡推定時刻はわかるかい?」
「昨夜の十二時から明け方四時の間と見られます」
「ふうん。菊川彩音の殺害時刻と大差はないようだな。そこに残っている足跡は?」
「すべてガイシャのものです。靴の裏の模様が一致しました」
続いて捜査員から二、三の報告を受けたあと、
「ああ、こちらはガイシャの知り合いだ。ちょっと面通しをいいかな?」
相良の問いかけに応じて、登志夫に確認ができるよう、捜査員の一人が死体の顔をこちらに向けた。
首に残る紫の跡、こびりついた鼻血、土色に変色した肌、醜く苦痛に歪んだ表情が見えて、創は思わず口元を右の掌で隠した。
(うえっぷ)
今朝に引き続いての変死体を目の当たりにして、治まっていたはずの吐き気が復活し、不快な気分を抑えられない創とは対照的に、総一朗は平然として観察を続けている。
短く刈った黒い髪にいかつい顔立ち、派手な柄の開襟シャツ姿はなるほど、芸能マネージャーというよりはチンピラを職業にしていそうな男だ。
「……金谷礼司さんに間違いありません」
登志夫の言葉に頷いた相良が合図を送ると礼司の身体は元通りに戻され、創はホッと息をついた。変死体を見るのは金輪際、勘弁願いたい。
「金谷さんはデカブツだって言われてたけど、こうして見ると、たしかに巨漢よね」
「身長百八十五センチ以上、体重は九十キロ以上の大男ですよ」
総一朗に相槌を打ちながら、登志夫は身震いをした。さっきまで汗をかいていた人物とは思えないほど青ざめている。
「それにしても、この人の首を締め上げるなんて、かなりの腕力が必要ですよね。力がなくても絞殺する方法でもない限りは」
「そういう方法もないわけではありませんが、このガイシャに関しては使われていないと思われます。犯人がごく普通に絞めて、自力で殺害したという意味合いです」
「じゃあ、犯人はやっぱり男ですか」
登志夫と相良のやり取りを聞いた総一朗は「オカマかもしれないわよ」と茶々を入れたあと、
「右手に何か持っていたのかしら? ほら、握りかけたような格好になっているわ」
「報告によると携帯電話を持っていたそうです。もちろん本人の名義のものです。どこかへ電話をかけようとして、奥を向いてしゃがんでいたところを狙われたのでしょう。ちなみに、液晶画面には何の入力もなかったようで、かけたかった相手は不明のままですね」
免許証と携帯電話の他に、被害者の所持品や遺留品の内訳はと、相良は続けざまに報告してくれた。
「財布に、自宅のものと思われる鍵にバタフライナイフ、濡れたタオル、プラスチックの道具箱。箱の中身はピンだの針金だのと一緒に手袋も入っていたようです。それからコンビニで売っているような安物のレインコートが床に落ちていたとのことです」
(ナイフを持ってたなんて、けっこうヤバいヤツじゃねえか)
こうして死体になっていなければ、この男が犯人に一番近いタイプではないかと創が考えている間に、相良が凶器のロープの在り処を捜査員に尋ねた。
「こちらです」
鑑識に回すばかりになっていた、ビニール袋に入れられたロープを捜査員が差し出し、それを受け取った相良の手元をみんなで覗き込んだ。
長さは二メートルほど、色は黄色がかった生成り色で、太さは直径二センチぐらい。泥が多少付着しているのが見える。
「大して珍しいものではない、どこにでも売っている品のようですね」
相良は総一朗の見解を求めるように問いかけた。
「そうね。あら、髪の毛が絡んでいるわ。こっちのシミは泥じゃなくて血液みたいよ」
「鼻血が出ていたから、被害者のものじゃないですか」
「でも、この髪の毛は違うんじゃない」
「えっ、どれですか」
総一朗が示した位置には金色の長い髪の毛が絡みついていた。金谷礼司は黒い短髪だから、彼のものではないとはっかりわかる。
長い金髪……その場にいる全員の脳裏に、ある人物の姿がよぎる。
「ま、まさか、菊川さんの? 第二の被害者を殺した凶器に第一の被害者の髪が絡んでいたなんて、いったいこれは」
混乱する相良を励ますように、総一朗は言い包めた。
「彩音さんが第一、金谷さんを第二と断定しない方がいいかもよ。とりあえず髪の毛と血液の鑑定を急いで。それから、そのロープが元々この物置にあった物なのか、そうでなければ庭の手入れを頼まれていた業者の人が持ち込んだのか、確認するべきね」
「ロープの出処を調べるのですね」
「ええ。もし、どちらでもなければ、ロープは犯人か、金谷さん自身が持っていたことになるわ」
「それでしたら、既に造園業者のところへ行った者がいるようですし、報告があり次第、お知らせしましょう」
相良が電話で連絡を取っている間に、トイレに行きたくなったと訴えて登志夫が建物の中に戻り、総一朗と創が残された。
「ところで、先生はやはり、同一犯の仕業だと考えていらっしゃるのでしょうか」
「一晩に同じ敷地で二人もの人間が殺されるなんて、殺人鬼が二人いるとは思いたくないでしょう?」
「同感です。しかし、菊川彩音殺しと、金谷礼司殺しはかなり様子が違いますが」
それは創も感じていたことだった。
片や、毒物と遺書を用いた、用意周到な犯行に対し、もしもその場にあったロープで首を絞めた、などという状況だとしたら、こちらは行き当たりばったりな気がする。
しかも礼司の殺害に使われたロープに彩音の髪の毛が絡んでいたなんて、ますますわけがわからない。彩音の髪がそんじょそこらに落ちていたとでもいうのか。
そもそもだ、金谷礼司は何を目的に、ここまで来たのだろうか。
吉田がさっき言っていたように、歌純と連絡が取れなくなったのを心配して、だとしたら、物置なんぞに入らず、どうして堂々と玄関の呼び鈴を鳴らさなかったのか。
それから『足』だ。東京からこの場所まで来るのに、まさか徒歩ではあるまい。だが、西側駐車場に礼司が乗ってきたと思われる車はない。
不可解な男の出現に、創の頭は混乱するばかりだったが、総一朗はこの物置で何やらヒントをつかんだらしい。
ニヤリと笑ったのを咎めると「隠れていたのよ」と答えた。
「隠れていた、って、誰が?」
「金谷に決まってるじゃないの。誰にも気づかれないようにここに潜伏して、様子を窺っていた。そして、いったん外に出て、再び物置に入ったところを殺された」
「何でそんなことがわかるんだよ」
「足跡よ」
総一朗は物置の奥を示した。
「そっちの足跡は最初に入ってきたときにつけたものね。靴の形がわりときっちり残ってるけど、手前の跡は位置からいって、倒れたときのもの。ほら、引きずったような感じになっているでしょ。で、どちらも土がたっぷりついている。外から入ってすぐにつけられたんだわ」
さらに総一朗の説明は続き、礼司はリビングの大きな窓のある南側を避けて、北側を歩いて物置まで来たとも指摘した。
「アタシたちの靴を見ればわかるけど、芝生のある南側なら、靴の裏にこんなに土はつかないわ。みんなが集まるリビングから見られるのを警戒していたのよ」
「それはわかったけど、何のために隠れる必要があったんだよ。第一、この別荘までどうやって来たのさ、さっき聞いた持ち物の中には車の鍵がなかったじゃないか。まさかタクシー使って、なんてことは……」
「さあ、空でも飛んできたのかしら」
「茶化すなよ」
「その謎はいずれ解けるわ」
含み笑いをしたあと、総一朗は相良に、礼司がどういう男なのか、前科があるかどうかわかるかと尋ねた。
「岡部監督がね、チンピラみたいなヤツだって話していたのよ。だから、もしかしたら、って思って」
「そうですか……あ、ちょっと待っててください」
相良は再び携帯電話で連絡を取ったあと、
「金谷礼司にはマエがありました。窃盗で二度ほど捕まっています。ピッキングの名人だったようです」と答えた。
礼司は前科者だった。
そんな怪しげな男をマネージャーとして雇っていたなんて、自分の中の常識では考えられないと思っていると、
「ブラボー!」
突然、歓声を上げた総一朗の様子に創は慄いた。オカマ教授は今にも踊り出しそうに、両手をフリフリさせている。こいつの方がよっぽど怪しい。
「おい、そこの地球外生物。何だよ、ブラボーって」
「誰が宇宙人よ」
反論しながらも総一朗は御機嫌だった。
「さっき聞いた持ち物の道具箱の中に、針金とか手袋とか、泥棒の七つ道具みたいなのがあったから、もしやと思ったのよ」
「それがどうしてブラボーなんだよ」
「まだわからないの? それじゃあアタシの探偵助手失格、立派なワトソンにはなれないわよ」
「だっ、誰が探偵だって?」
呆れ返った創はついつい大声を出してしまったが、それは相手をかなり驚かせたらしく、後退りした教授はムッとした様子で文句を言った。
「あー、びっくりした。そんな、怒鳴らなくてもいいでしょ」
「怒鳴りたくもなるぜ、まったく。いい気になって名探偵を気取りやがって、厚かましいヤツ」
「あら、そうかしら」
「探偵には品格が必要なんだろ?」
「充分あると思うけど」
「そういうとこが厚かましいんだよ。刑事さんたちがお人好しなのをいいことに、調子こいて出しゃばってるだけじゃねえか」
「そうよねー。こちらの相良さんたら、親切でホントにいい方だわぁ」
「話をすり替えるなっ! だいたいオレは助手に任命されたおぼえはねえよ!」
「まあまあ抑えて。ね、ハジメちゃん」
憤慨する創に、総一朗は噛んで含めるように言った。
「金谷礼司はこの別荘に忍び込むつもりで来たのよ。で、その計画は成功した。物置でしばらく待機して、建物の中の全員が寝静まったところを見計らって、そこの裏口の扉から入った。得意のピッキング技を使って、鍵を開けてね」
「なんだって?」
「昨夜キッチンにお邪魔して、全部調査済みなの。この別荘、玄関は厳重だけど、裏口の扉は簡単に開く鍵よ。チェーンもないし、何とか防犯みたいなセキュリティシステムもついていないしね」
(そんなところまでチェックしていたのかよ。まったく侮れないオカマだぜ)
「裏口の土間に足跡が残っていたかもしれないけど、裏口は今朝から何人も出入りしていたし、さすがに証拠は残ってないでしょうね」
物置とキッチンの裏口を結ぶコンクリートの部分にも足跡がついた可能性はあるが、昨日からの雨できれいに洗い流されている。けっきょく、礼司の足跡が残ったのは物置の中だけだったというわけだ。
「じゃ、じゃあ、金谷はいったん別荘に入って、また裏口から出たところか、物置に入ったのを狙われた……」
そうか、と創は勢い込んだ。
「彩音さんを殺した犯人が金谷に正体を見られて、口封じのために殺した。犯人にとっては想定外の殺人だから、殺害方法が行き当たりばったりなのも納得がいくよな。電話をかけようとした相手は警察だったんじゃないのか、彩音さん殺しを通報しようとして、かける前にやられたとか」
二人の会話を聞いていた相良も身を乗り出した。
「別荘に忍び込む、その目的は何だったのでしょうか」
「三島先生はお金持ちだって聞いていたからアンティークか宝石の窃盗か、あるいは、つれない歌純さんに夜這いをかけたのか。なーんてね、そんなもんじゃないわ」
総一朗の目がキラリと光った。
「刑事さん、ここに来るまでの、向こうの林の中に、乗り捨てられた車がたくさんあったのはご承知よね」
「ええ。所轄でも頭を悩ませていますが、それが何か?」
「昨日か一昨日あたりに、都内で盗まれた車があの中に混ざってないか、調べてくださらない? 本人は所持していなかったから、恐らくキーがついたままだと思うけど」
とたんに、創は雷にでも打たれたようなショックを受けた。
『……では、次のニュースです。都内の駐車場などで車の盗難が相次ぎました』
昨日の夕方、リビングにて圭介たちがかけていた番組で流れたニュースが脳裏に、鮮やかに甦ってきた。
「そうか、金谷は盗難車を使って、ここまで来たんだな!」
「そういうこと。ただし、林から別荘までは空を飛んだわけじゃなくってよ」
歌純が宣昭の招待を受けた時点で、その直後に礼司は別荘を下見していたのではないかと総一朗は述べた。
歌純が貰った写真と地図を頼りに、建物を捜す。ここまでの道中、林に放置された多くの車も目に止まるだろう。
その時は宣昭も薫もいないから、無人の別荘は下調べし放題である。物置には常に鍵がかけられていない、隠れ場所として使えるとわかれば、あとは当日の計画を練るだけだ。
「でも、そこまで準備して、いったい何が目的だったのかな?」
すると総一朗は盗難車の調査を手配する電話を終えた相良に、こう声を掛けた。
「今、創にも訊かれたし、さっきの相良さんのクエスチョンにも答えていなかったから、特別に教えちゃうけど、はっきりした証拠をつかむまで、しばらくは内緒にしておいてね。吉田さんにも言っちゃダメよ、あの人うるさそうだから」
「は、はあ」
身構える創と相良に向かって、教授が放った言葉は驚くべきものだった。
「金谷礼司が忍び込んだ目的はひとつ。菊川彩音の殺害よ」
- ◆ ◆
物置での事件のチェックを終えた総一朗と創、相良が玄関へ戻ると、吉田が待ち構えていた。さっきお預けになった、金庫のご開帳の続きをやりたいらしい。
吉田の監視の元、書斎に入った四人は金庫を開けた。
中身が説明にあったとおり保管されているのを吉田が見届けると、八個の電話機と六本の車の鍵を取り出し、部屋の合鍵とコレクションの宝石を残した金庫には再び鍵がかけられた。
金庫の二つの鍵は宣昭と薫が持ち、これで宝探しが始まる以前の状態に戻ったわけである。
ただし、と吉田は言い放った。
「二件もの殺人事件が起きてしまったわけですから、電話機とキーはもうしばらく私の方で預からせてもらいます。大東さんの電話もこちらに渡してください」
彩音の携帯電話は相良がビニール袋に入れて、鑑識行きとなった。
みんなが憮然として見守る中で「どうぞ、どうぞ」と一人、気楽な返事をした総一朗は次に、タバコを切らしてしまったので、二階の部屋に取りに行ってもいいかと尋ねた。
二階にも何名かの捜査員が張り付いているし、別にいいだろうと了承を得ると、総一朗は意気揚々として階段を上った。創も慌ててあとに続く。
さっきから『あのこと』について訊きたくてうずうずしているのだが、吉田にも秘密にしておけというのだから、滅多に口にはできない。
『あのこと』とはもちろん、礼司が彩音の殺害を企てていたという件である。礼司を犯人とすれば、偽造された遺書などの疑問は解決するが、では、その礼司自身を殺したのは誰かという新たな疑問が湧いてしまう。
果たしてこれは同一犯による連続殺人──礼司に顔を見られた彩音殺しの犯人が行きがかり上、殺害した──ではないのだろうか。
「ご苦労さま~」
人の気も知らずに、総一朗は見張りに立っている捜査員たちに労いの声を掛けた。
けったいなオカマの登場とあって、みんな胡散臭そうな目で総一朗を見るが、当人は平然として自分の部屋へと入り、荷物の中からタバコのパッケージを取り出した。
「なあ、何で金谷の侵入目的がそれだと判断できるんだよ」
捜査員たちに聞かれないように、小声で問いかけると、総一朗はニンマリ笑い、その場で一本に火をつけた。
「何といっても動機ね。邪魔な菊川彩音の抹殺、これに尽きるわ。いくら元盗人でも、売っても二束三文の骨董や、ここにあるという、存在そのものを知らなかった宝石を狙うわけはないでしょう」
「女王様のSP気取りは? ほら、監督とか元恋人がひとつ屋根の下にいたわけだし」
「そんなに心配なら大切な人を一人で行かせたりしないし、気になって追いかけてきたとしたら、盗難車を使ったり、物置に隠れたりするのは変じゃない?」
「言われてみればそうだなぁ」
「それに、誰かに見つかる危険を冒してまで短時間に出入りする理由にはならないわ。ロープの出処がわかれば即、解決よ」
「どうしてロープがそんなに重要なんだよ。金谷礼司殺しはともかく、いくら髪の毛がついていたからって、毒物で殺された菊川彩音の件とは関係ないだろ」
「そこらは相良さんからの回答待ち」
「じゃ、じゃあさ、もうひとつ訊きたかったんだけど」
矢継ぎ早に質問を浴びせる創を見て、総一朗はクスッと笑った。
「何が可笑しいんだよ」
「探偵助手に任命されたおぼえはない、なんて怒ったくせに、すっかり推理にのめり込んでいるじゃないの」
「そ、それは、その……」
うろたえる創に、
「それでこそアタシの見込んだ男なんだけど。さあ、素直に認めるのね。オレを助手にしてくださいって」
「わかったよ。だから答えてくれよ」
創の次の質問はテーブルの上に残されたと思われるダイイング・メッセージについてだった。
「警察ははっきりしたこと言わなかったし、あんなベタベタの痕じゃあ、全然わかんないけど、本当のところはどうだったのかなって。オレにはそう見えただけなのか、意見を聞きたいんだ」
「よく観察していたわね、その着眼点は素晴らしいわ。そうよ、あれはダイイング・メッセージ、見た瞬間にピンときたわ」
ダイイング・メッセージ──それは本当に存在したのだ。
血をなすりつけた痕跡をそうではないかと思った自分の直感は正しかった。死者が出ている時に不謹慎だとは思いながらも、勝利に似た喜びを感じて創はつい、にんまりとしてしまった。
「ダイイング・メッセージというか、正確にはメッセージを塗り潰した痕ってことになるわね。さっき警察が言及しなかったのは、あれがメッセージだったという確信が持てなかったからでしょう。だからアタシも敢えて口出ししなかったのよ」
「塗り潰した痕? じゃあ、メッセージに気づいた犯人が消したってこと?」
「ロープの詳細がわかって、それがアタシの睨んだとおりだと判明できれば説明するから、もう少し待ってて」
まだまだ訊きたいことはあるが、待てと言われた以上、質問を続けるわけにもいかない。創は不承不承に頷いた。
「それと、金谷礼司の侵入に関して、もうひとつの証拠を見つけたいんだけどね。吉田警部がおみそれしました、恐れ入りましたって納得するやつ……ただし、これは上手い具合に見つかるか、可能性は低い。ちょっと自信ないけど、捜しに出ましょうか」
吸殻を揉み消した総一朗に続いて、廊下に出た創は二人で彩音の部屋の前に立った。
ドアクローザーはロックされた状態に、また、ストッパーを床との間に挟んで、扉を廊下の壁にぴったりと接近したあたりまで開放しているから、部屋の中は丸見えだ。
捜査で人が出入りする度に、ドアを開けたり閉めたりするのは邪魔で面倒なために、そういう手段が取られたのだろう。
今朝方、そこに彩音の無残な死体があったのだ。それを目の当たりにしてしまったおぞましさを思い出して、創はゾクリと身を震わせたが、総一朗は感傷に浸ってはいられないとばかりに、平然とした顔で扉を上から下まで眺めている。
しばらくそうしたあと、教授は部屋の前に立っている捜査員に「ねえねえ、そこのイケメンのお兄さん」などと馴れ馴れしく話しかけ、それから、反対側の表面を見せてくれと頼んだ。
「反対側、ですか?」
「ええ。今見えているのは、部屋の内側に向けられる扉の表面でしょ。その反対側、つまり、これを閉めた状態にして、廊下側に向けられる表面の方を見たいの」
面倒臭いことを言い出しやがって、と思っているのがありありとわかる。恐縮した創は思わず、すいませんと頭を下げてしまった。
それでも捜査員は手袋をはめた手で、ドアノブには触れずに扉を動かしてくれた。
また、それが完全に閉まらないように──閉まった場合、ノブを持たなくてはならないので──扉を捕まえたまま「どうぞ」と促した。
「ありがとう、おニイさん」
にっこり笑った総一朗は何の変哲もない、ニスが塗られた木製の扉をまたしても、上から下まで眺めた。
創もそれに倣って、同じように眺める。黄土色の地に焦げ茶の年輪が入った、よくあるタイプの扉で、これといった特徴はない。
「……あら?」
総一朗が声を上げた。何かを発見したらしく、下の方を指差す。
「ここ、ちょっと見て」
「えっ、どれ?」
創の反応に、捜査員も何事かと覗き込んだ。扉の色と同化してしまって、よく見ないとわからないが、そこには星の形をしたクリーム色の小さなシールが貼られていた。直径二センチ弱。余程注意していないと見過ごしてしまいそうだ。
「何だよ、これ。誰かのいたずら?」
創の言葉には答えず、総一朗は捜査員に「このシールには気づいてたかしら?」と尋ね、相手はいいえと首を横に振った。
「警察の皆さんがいらしてから、こっちの面は壁と向かい合わせになって見えなくなっちゃったし、たとえ、こんなシールがあったと気がついたとしても、子供のいたずらだと思うわよね。創の反応が普通だわ」
だが、単なるいたずらではなく、重要な意味があるらしいとわかって、創は身体を固くした。
「その周りを手で囲って、暗くしてごらんなさい。面白くなるわよ」
言われたとおりに囲った創は「あっ」と声を上げた。
「光ってる!」
「蛍光塗料が塗ってあるのよ。百円ショップなんかで簡単に手に入るシロモノね」
総一朗は捜査員に、先程各自の部屋を捜索した折に行なわれた持ち物検査で、同じようなシールを持っていた者はいなかったかと訊いた。
「シールそのものはありませんでしたが、それが貼ってある台紙、と呼べばいいんでしょうか。よく見るその、表面がつるつるした黄色の紙……」
「シールを剥がしやすくするために、加工してある紙ね」
「はい。その紙片がゴミ箱に入っていた人はいましたが、そのままにしてしまいました」
そんな紙片に重大な秘密が隠れているとも思わなかったのだろう。
うんうんと頷いた総一朗は薫を呼んで、シールがいつからあったか確認を取り、吉田にも説明して、あとで鑑識にまわした方がよいと助言した。
「そのシールから指紋を検出するのは無理かもしれないけどね」
三人の動きを見守っていた別の捜査員が気を利かせて階下へと赴くと、総一朗は創を伴い、念のために他の七部屋の扉を見てまわった。
シールは発見されなかった。星の形をしたそれは彩音の部屋の扉にのみ、貼られていたのだ。
その意図が何となく見えてきて、創は「なるほど……」と頷いた。
捜査員からの報告を受けてすぐに、薫と吉田が二階へと上がってきた。
「これですか? いいえ、一昨日掃除をしたときには貼ってなかったと思いますけど。お手伝いの方にも確認を取るのでしたら、連絡先をお知らせしますが」
薫の証言を聞いて、総一朗はさらにたたみかけた。
「こちらに小さな子供が来て、いたずらでシールを貼ることは?」
「ありません。先生のご家族や親戚にそういう子供さんはいませんから」
姉夫婦の子供も大学生だというし、いたずらをする年齢ではないだろう。
総一朗が発見したというシールを目にしたベテラン刑事は「そうか、気がつかなかった」と唸った。
「いかがかしら。これでかなり全容が見えてきたと思いますけど」
「そのようですね」
素人探偵に先を越されたのが余程悔しいと見えて、ムスッとした顔の吉田はシールの処理を指示したあと、しばらく考え込んでいたが、やがて「わかったぞ」と呟いた。
「菊川彩音の殺害に金谷礼司が関わっている、その証拠がこれですね」
「ご名答」
総一朗はにべもなく答える。
自信満々の態度に圧倒されながら、吉田は「蛍光のシールが道標とは思いもよりませんでした」と述べた。
「創も、あそこにいるおニイさんたちもいたずらだと思ったのよ。ある意味、盲点を突かれたわけよね」
「皆さんに確認を取りながら、事件を振り返ってみましょうか」
刑事の提案に、総一朗は「それがいいと思います」と相槌を打った。
総一朗の頭の中で、既に事件の全容は明らかになっている。創にはそれがはっきりと伝わったが、さりとて、助手の自分には何の説明もつかないのがもどかしくもあった。
(先生、いったい何をつかんだのかな……)
三島邸を舞台としたミステリ劇場はいよいよ大詰めを迎えようとしていた。
……❼に続く