第五章
翔の到着によって、春日道場チームは無事に出場を果たすことができた。
頭数合わせの至はともかく、牙門とロッキーは剣道を始めて二ヶ月とは思えない腕前で、やはり剣に選ばれるだけのことはある、優れた才能の持ち主だと証明された。
そこに加えて、前大会優勝者の翔、準優勝の龍と、二人の実力者がいる。強いのは当然のこと、彼らはトーナメントを順調に勝ち進んでいた。
空天盟と秋顕篤が会場に顔を出したのは、春日道場チームが準々決勝での勝利を収めた時で、つめかけた牙門ファンの女の子たちの黄色い歓声に驚きながら応援席に座る。天盟が茶化すように言った。
「ほほう、牙門はたいした人気者じゃの。さすが、エイ族一の美男子とうたわれたおぬしの息子だけのことはあるのう」
「お誉めの言葉はありがたいのですが、本当に大丈夫なのでしょうか? このまま無事に終わるのかどうか……イヤな予感がしてなりません」
不安そうな顕篤に、天盟もむずかしい表情になる。
「さよう、無事にとはいかんじゃろう。この場にはすでに怪しい気配が漂っている。やつが紛れ込んでいるのは間違いない」
「では、やはり剣と剣士を狙って?」
準決勝戦を始める前の休憩時間、二人の姿を見つけた龍たちがこちらにやってきた。
「天盟のじいちゃんに牙門の父ちゃん! 応援に来てくれたのか?」
それからロッキーが玄武の剣士だったという話をすると、天盟はにこにこしてうなずいた。
「そうか、やはりおぬしが……そうではないかと思っておったが、肝心の剣が見つからないのでは、決めつけるわけにもいかんでのう」
「調子のいいこと言って、ホントにわかってた? 剣士を探しに行くとか、案内しろとか言ってたじゃねえか」
龍に突っ込まれても、天盟はにこにこしたままである。
「……それでは、準決勝第一試合を始めます。選手は集合してください」
アナウンスが流れ、龍たちに気合いが入る。
「よっしゃ、出番だぜ! じいちゃんたち、オレら剣士の戦いをよーく見ててくれよな」
準決勝の相手は武勇会という道場で、なかなかの強豪である。
面紐を強く結んで牙門が立ちあがると、応援席の歓声はひときわ大きくなった。
「牙門さーん、がんばって~」
女の子たちの声援を一身に受ける牙門には他の参加者たちの羨ましそうな視線も集中していた。
一礼して始まった先鋒戦、先手必勝とばかりに、相手が小手を打ち込んできた。
「わたり技か!」
それをさらりとかわした牙門は瞬く間に一本を取った。その華麗な動きはまさしく迅雷、美しき稲妻である。
次に胴を狙ってきた相手に打ち落としで応じた牙門はそのまま面を決めた。続けて三本を取った彼の圧勝に、龍たちも応援団もおおいに盛り上がった。
「やったー、一勝いただき!」
「さて、ボクも負けないようにガンバらなきゃね」
開始線の前に立ったロッキーは静かに竹刀の先を下げた。
「おや、あの構えは?」
驚く天盟に、顕篤が答える。
「あれはたしか、下段の構えとか。そう牙門が申していましたが」
「なんと、ワシが説明する前に玄武剣の必殺技の構えを知っておったのかと思ったわい」
「それでは他の剣と同じく、剣道の構えと一致しているのですね」
「そうじゃ。激流轟破剣(げきりゅうごうけん)の構えなのじゃよ」
下段の構えは守りの構え、相手の足元をおびやかしながら自分を守り、相手に隙ができたらすかさず攻撃の姿勢に移る構えなのである。
ロッキーの戦法はこの鉄壁の守りで、そのとおり、なかなか打ち込めずにいた相手が焦りのあまり、不十分な力で打ってきたところを竹刀ですり上げ、そのまま振りかぶると面を打ち込んだ。
「白、一本!」
背中でクロスしている胴紐にくくりつけられた赤と白の紐、これは対戦者を区別するための目印である。
今回の試合では春日道場側は白、武勇会側は赤で、三名の審判はそれと同じ色の旗を両手に持っており、有効打突、すなわち技が決まった者の色の旗を挙げて、その数が多い方を勝ちとするのだ。
審判は全員一致でロッキーの面が有効だと判断し、次は胴を取られたものの、この次鋒戦も春日道場チームの勝利となった。
ハイタッチをして喜び合うロッキーと龍、至の中堅戦は残念ながら、というべきか、仕方ないというべきか、一敗したあとは副将戦、龍の出番である。
「白、一本! 勝者、春日!」
あっという間に勝ちを決めた龍が戻ってくると、面の内側の赤が際立つ全身黒ずくめの美少年が立ち上がり、その姿に天盟は「ほう」と声を出した。
「あの者も、もしや剣士では?」
長の問いかけに対し、この前のいきさつを牙門から聞いていた顕篤は申し訳なさそうに答えた。
「その可能性は高いのですが、本人が認めたがらないようで」
しかし天盟は楽天的だった。
「なあに。本当に剣士であれば、おのずとその宿命を受け入れるだろうて」
元・明武館ナンバーワン、というより、この地区でもナンバーワンの翔の前に敵なし、大将戦はほとんど勝負にならないうちに決着がついた。
こうして準決勝は終了。いよいよヨウ・ハク・ソク率いる明武館チームとの決勝の時を迎えることとなった。
◇ ◇ ◇
腕組みをした翔が見つめるのは明武館チームの様子である。
大将がヨウに替わった以外にも、以前とは違うメンツで構成されている。膳場忠明が語ったところの、チーム再編成の結果なのだろうが、御世辞にも実力があるとはいえない連中が含まれているのはどういうことなのか。しかも、それでいて勝ち進んでいるのだ。
明武館の選手たちの技量、そのレベルは同じ道場で稽古をしていた翔の知るところだった。あの顔ぶれならば楽に勝てるはずだが、ヨウが加わったとなると、ただでは済まない可能性もある。
それは単に剣道の勝ち負けではなく、もっととんでもない展開が待ち受けているのではないか、そんな予感がする。
そして試合開始、翔は自分の予感が当たっていたことを悟った。苦戦するはずのない相手に牙門が、ロッキーが次々と負けた。明武館の選手を相手にするのは、初心者にはさすがに荷が重いからと片付けられたが、そうではないとわかっていたのは彼だけだった。
至も当然負けるだろうと思われたが、相手が転んで自滅し、なんと初勝利を手にしたのである。
「すげー! ラッキーなだけなんだけど、勝ちは勝ちだよな、ドクター」
「龍君、ボクをバカにしていますね?」
至はムッとして龍をにらんだ。
「そ、そういうわけじゃ……」
きまり悪そうに頭をかく龍、とにかく、至の勝利で三連敗を免れた春日道場チームは優勝の可能性をつなぐことができた。残り二人が勝てば逆転優勝となるのだ。
続いては副将戦、翔の出番である。彼はいつになく厳しい面持ちで向こうの副将を見据えた。
相手は同じ六年の中山という少年だが、その実力は翔とは雲泥の差があった。しかし今の彼は以前とは違う、油断してはならない。
「一本目、始め!」
主審の合図で試合か始まった。相手の出方を見守りながら、翔は外線に沿って座っている明武館チームの連中をたえず見張っていた。
すでに試合を終えた三人は正座こそしているが、ぐったりとくたびれた様子で、仲間が戦っているにもかかわらず居眠りしているように見える。
ただ一人、ヨウだけが腕組みをして、こちらをまっすぐに見ていた。面をつけているため、その表情はうかがい知れないが、あのニヤニヤ笑いを浮かべてすることだろう。
すると、ヨウがわずかに頭を揺らし、それに合わせるように中山の身体が動いた。一度や二度ではない、彼らの動きは常に連動していたのだ。
ヨウは中山を操っている、よく注意しないとわからないが、翔の鋭い目はその様子を捉えていた。
(なるほど、そういうカラクリになっていたとはな)
たいした実力のない四人に暗示をかけて操り、選手に仕立て上げた。彼らに自覚があるのかないのか、あの様子からすると、おそらく意識のないまま操られているのだろう。
何の目的があってそんなマネをしているのか、それは試合に勝つため……ではなさそうだ。
(やはり何か企んでいるな)
中山が一本を取り、直後に翔が取り返してその後はにらみ合いとなり、なかなか決着がつかない。試合は延長戦へともつれ込んだ。
「翔―っ! 何やってんだよー!」
苛立つ龍の声が聞こえると、翔はやれやれとため息をついた。
「やかましいヤツだ」
その直後に小手が決まり、副将戦は翔が勝利を収めた。
◇ ◇ ◇
いよいよこれが最後の大将戦、ヨウ・ハク・ソクのお出ましである。龍が決勝の場に進み出ると、
「棄権するなら今のうちですよ」
そう言ってヨウが含み笑いをした。
「そんな脅しに乗るもんか。さあ、さっさと始めようぜ」
龍はヨウの正体に気づいていない。通常の試合のように竹刀を中段に構えた彼は合図と共に出ばな技を繰り出したが、あっさりとかわされてしまった。
「クソッ、まだまだ!」
「ほらほら、それで動いているとでも? ワタシには止まって見えますけどねぇ」
やせてはいるが、すばしっこくはない。そんなタイプに思えたヨウだが、彼の素早さは大会トップクラスの俊足を誇る龍と同等か、それ以上のレベルで、この試合運びは龍に焦りをもたらした。
「ふっふっふ」
ヨウは勝ち誇ったように言った。
「このワタシにそんな竹の刀は通用しないんですよ」
「はあ? 竹の刀だって? おまえ、何言ってんだよ。剣道は竹刀でやるのが当たり前だろうが」
けげんな顔をする龍に、ヨウはさらに続けた。
「剣道ねぇ。あなた方をからかってやろうと思って、いろいろと手の込んだこともやりましたけど、こんなお遊びにはもう飽きてきました。そろそろ決着をつけて、日本とはおさらばしましょうかね」
「何だ、こいつ。頭おかしくなったんじゃ……」
わけがわからずにいる龍の目の前で、異様な光景が始まった。
ピキ、ピキピキッ。
ヨウが身につけていた胴に亀裂が入り、音をたてて割れた。面も小手も、それぞれに悲鳴を上げる。
ヨウの身体が大きく膨れ始めたのだ。身体の膨張に耐えられなくなった防具が破壊されたのち、胴着がビリビリと裂けていく。
「なっ……!」
思わず後ずさる龍の目の前に、赤茶色の柱のようなものが立ちはだかっていた。いや、それは柱ではない、グニャッとくねった生き物だ。
ぬらぬらといやらしく光る肌、何百本となく生えた足、全長十メートル以上はあるかと思われる、身の毛もよだつ大ムカデがそこに現れたのである。
これぞエイ族に封印されていたという大妖怪が正体を現したもの、世にも恐ろしい化け物の出現に、会場はたちまちパニック状態に陥った。
選手も観客も我先にと逃げ出し、助けを求める叫びがこだまする。辺りは大混乱だ。
試合の相手が化け物に変身してしまった、腰を抜かした龍はその場にペタンと座って動けずにいた。
「ど、どうなってるんだよ……」
すると大ムカデはさっきまでのヨウ少年と同じ口調でしゃべり始めた。
「どうしました、春日龍クン。もう戦う気はありませんかね?」
「戦うって……」
「それでも青竜の剣士ですか? 大したことはありませんね。もっとも、それ以上の力をつけられると困りますが」
龍は全身をガタガタと震わせた。「妖怪は剣と剣士を狙っている」との言葉どおり、この大ムカデは自分が青竜の剣士であることを承知の上で挑戦してきたのだ。
「……今さら何を怖気づいている」
放心状態の龍を突き放すようにそう言ったのは翔だった。防具をはずし、手にした竹刀袋から彼が取り出したのは深紅の鞘に納められた剣……
「翔、そ、それって?」
人々は逃げ出し、その場に残ったのは試合をしていたメンバーのみ。もぬけの殻になった観客席にとどまっていた天盟と顕篤が同時に声を上げた。
「……朱雀剣!」
翔がするりと剣を抜くと、それはまるで太陽を取り巻くプロミネンス、紅炎を思わせるような赤い光を放った。
次に彼はその切っ先を憎むべき妖怪の方に向けた。
「そうでしたか。やはりあなたが朱雀の剣士。やれやれ、一番手強い人が覚醒してしまいましたね」
「貴様の正体など、とっくにお見通しだ」
妖怪が気味の悪い声で笑うと、共鳴したのか建物がみしみし揺れた。
それから、翔は座り込んだままの龍に、
「戦う気がないなら、さっさと引っ込め」
と、見下すように言い放った。
「……ク、クソ」
唇を噛む龍、その時、至の声が耳に飛び込んできた。
「龍君、これを!」
大きく弧を描きながら龍の手元にキャッチされたのは青竜剣、龍が受け取ったのを見てとり、牙門とロッキーも駆け寄った。
「とうとう出たな、妖怪めがっ!」
「あのボーイがモンスターだったなんて、なかなかグレイトだね。でも足は二本でしょう、気がつかなかったよ」
青竜、朱雀、白虎、玄武……ついに四人の剣士が勢揃いしたのである。
鞘から抜かれた青竜剣が青く輝き、そこに赤、白、そして紫の光が重なる。美しく幻想的な光景に、龍は気持ちが奮い立つのを覚えた。
オレは一人じゃない、仲間がいる。
「よっしゃ! いっちょやってやるか」
「そうこなくっちゃネ」
「ふん」
「目に物見せてやりましょう!」
一方の大ムカデは宿敵を前にしても、ひるむ様子はない。
「まあ、いいでしょう。それではもう少し遊んでみましょうかね。さあ、我がしもべたちよ、行っておいで」
すると、その場で気絶していたかと思われた明武館チームの四人がむくりと起き上り、竹刀を持って、こちらへゆらゆらと近づいてきた。青ざめた顔は無表情で何とも気味が悪い。
「あいつが操っていたのか?」
龍の言葉に、翔がこともなげに答える。
「おそらく、ヤツが明武館に入門したとき、自分が操作しやすい者を選んで催眠術をかけたのだろう」
「なるほど。じゃあ、おまえみたいなタイプは絶対選ばれないよな」
「そういうことだ」
軽口をたたく余裕がでてきた龍に、ロッキーと牙門が尋ねた。
「どうする?」
「操られている相手と戦うわけにはいかないでしょう」
「だよな。さて、どうしたものか」
天盟たちのそばに避難していた団兵が見兼ねたように大声で呼びかけた。
「その子らを傷つけてはならんぞ! 操っている張本人を攻撃すれば、術はとけるはず。怪物をやれ!」
「そんなこと、わーってるよ。だけど、どうやって……」
そこまで言いかけて、龍はハッとした。天盟に教わった、あの必殺技だ!
無言のまま飛びかかる少年四人の竹刀をそれぞれに受け止めたあと、龍の相手の攻撃をも防いで、翔が叫んだ。
「こいつらは任せろ! 春日、アイツをやれっ!」
「わかった!」
龍はその俊足で妖怪の前に出ると、怯むことなく剣を脇構えに構えた。
「ほほう、アレをやるつもりですね。昔、けっこう痛い思いをしましたが」
こんなガキにできるものかと、バカにしたように笑う相手を龍はキッとにらみつけた。
「そうだ、エイ族の御先祖様がおまえをやっつけるために考えた技だぜ。くらえっ、疾風炸裂剣っ!」
悪いヤツは許さない正義感、どんなに強い相手にも立ち向かっていく勇気、そして友を信じる心を持った少年は今、全力で剣を振り切った。
ゴゴゴゴ……
青竜剣から嵐が巻き起こり、それは竜巻となって大ムカデの身体を吹き飛ばした。ムカデは武道館の壁に激突し、窓ガラスが粉々に飛び散った。
「やった!」
「すごい、竜巻を起こすなんて!」
驚嘆する人々、息を切らして様子をうかがう龍だが、しかし、もぞもぞと動いていたムカデは再び立ち上がった。
「いかん、選ばれた剣士とはいってもまだ子供、いくら実力があっても、彼らの力では必殺技の威力は大人の半分程度なのじゃ」
天盟のうわずった声に、顕篤が
「どうすればいいのですか?」
と、問い質す。
「早く封印の技を……いや、だが、ここには封印の壺がない。何か手立てはないものじゃろうか」
そうこうするうちにも、体勢を立て直したムカデがずるずると引きずる音を響かせつつ迫ってくる。
「予想以上の力ですね、少々みくびっていたようです。今度は本気でいきますよ」
「やべえ、もうパワーが……」
すると、龍を庇うように躍り出た牙門が叫んだ。
「今度は私が相手だ! いくぞ、迅雷閃光剣!」
八相の構えから剣を十字に振りおろす牙門、稲妻が走り、雷鳴が轟く。
雷に打たれた怪物はうめき声を上げたが、致命傷にはならなかったようだ。
「おのれ、よくもやってくれましたね」
次の挑戦者はロッキーだ。彼は天盟を振り向くと、
「ボクの技は何?」
「激流轟破剣(げきりゅうごうはけん)じゃ! 下段の構えから、ふりかぶってまっすぐに叩け!」
「オーライッ」
ロッキーが技を繰り出したのと、ムカデが毒液を噴き出したのはほぼ同時だった。
剣からほとばしった水が降りかかる毒を押し返し、洪水となってムカデの身体を飲み込み、押し流す。
かなりのダメージになったらしく、さすがの大ムカデもふらふらしている。
「いや、それでも、剣士三人の技をもってしてもまだ立っていられるとは……」
顕篤はうめき、団兵は固唾を飲んで見守るのみ、天盟はこの先の手段を模索していた。
トーナメント戦を経たあとの、この戦いである。スタミナを消費する必殺技を使った龍に牙門、ロッキーの三人はヘトヘトで、剣を持っているのがやっとだ。
「……残るはオレか」
明武館の四人を気絶させて片づけたあと、翔は朱雀剣を上段に構えた。
「オレの技の名前は何という?」
「も、猛炎無尽剣(もうえんむじんけん)じゃ」
「焼き尽くす炎か、いい名前だ」
それから彼はロッキーに向かって言った。
「もう一度さっきの技ができるか? 無理なら消防車を呼んでおけ」
耳をすませていた龍が代わりに答えた。
「何かもう来てるみたいだぜ」
会場を逃げ出した人からの通報を受けたのだろうか、警察に消防、救急車も武道館の周りに集まりつつある。ぐずぐずしてはいられない。
翔はふりかぶった剣を斜めに振り下ろした。
「これで終わりだ、猛炎無尽剣!」
噴き出した真っ赤な炎がムカデの全身を包み込み、その身体はメラメラと燃え始めた。
「ギャーッ!」
茫然と見守る龍たちの目の前で、絶叫する妖怪大ムカデの巨体がみるみるうちに縮まっていく。
「今じゃ、封印の技を!」
飛び出してきた天盟が手にしていたのはなんと、ペットボトルだった。
「ホワット? それは何?」
「天盟様、まさかその入れ物に封印するというのですか?」
「えっ、マジかよ?」
「壺を忘れてきたのじゃ、仕方あるまい」
みんなのブーイングにもめげず、天盟は剣士たちに妖怪封印の呪文を教えた。
「青竜は仁、朱雀は礼、白虎は義、玄武は智じゃ。そのあとに全員で最後の言葉を……」
四本の剣の先をひとつに、四人の気持ちもひとつに合わせる。
「いくぜ、仁!」
「礼」
「義」
「智」
「妖邪退散っ!」
普通のムカデほどの大きさになった妖怪の身体が金色の光に包まれながら、天盟の持つペットボトルに、すーっと吸い込まれたかのように見えた。
が、しかし、スポンッと圧縮した空気が飛び出るような音がして、ムカデの姿はいずこかに消えていた。
「……あーあ」
思いもよらない結末に、龍たちは力が抜けてしまいもその場に座り込んだ。
やはりペットボトルでは無理だったのか、だが、あれだけのダメージを受けているのだから、そう簡単に復活することはないだろうと天盟は語った。
「まったく、このじいちゃんは偉いんだか抜けてるんだか、わかんねえよな」
「まあそう言うな」
ばつの悪そうな様子の天盟はそれから、
「剣士の諸君、ようやってくれたの。またおぬしたちの力を借りる時がくるかもしれんが、その日まで腕を磨いておいてくれ。よろしく頼むぞ」
◇ ◇ ◇
照りつける太陽、高く青い空に入道雲、セミがやかましく鳴いて季節はすっかり真夏である。
祖母のみねに頼まれた買い物をすませた龍が自転車から降り、レジ袋を下げて玄関先に着くと、ちょうどロッキーと至が訪ねてきたところだった。
「よう、二人とも早いじゃねえか」
「早すぎたみたいで、道場の鍵が開いていませんでした」
至が苦笑いをする。龍は呆れて、
「じいちゃんめ、鍵かけたまま出かけたな。今日は稽古があるってわかってんのに、これで何度めだよ」
みねに荷物を渡したあと、鍵を手にした龍を先頭に三人で道場へと向かう。
「ここへ来る前に武道館を見てきたんですよ」
「修理はほとんど終わっていたよね。壁も元通りになってたよ」
「そうか。そりゃよかった」
あの大会の騒ぎのあとといったら、それはもう大変な状態で、建物は壊れるわ水浸しだわ、床から天井まで黒焦げ。ここでいったい何があったのかと問い詰められても、説明のしようがない。
人々は口を揃えて「大きなムカデの怪物が出た」と言うが、そんな話を信じられるはずもなく、けっきょく夏樹大二郎が裏から手をまわして事件をうやむやにしたらしい。
「うっひゃ~、あちー」
閉め切り状態の道場内はムッとする暑さで、すべての窓を開け放つと、龍たちは床掃除を始めた。
そこへ牙門がやって来た。
「遅れてすいません」
「おー。じいちゃんいないからさ、掃除中なんだ」
手伝おうと牙門も加わる。モップをかけながら、彼は天盟から便りがあったと告げた。
「そーか。天盟じいちゃんが帰国して二週間ぐらい経つんだっけ?」
「もうすぐひと月ですよ。早いものですね」
至が懐かしそうに言うと、ロッキーもあいづちを打った。
「ミスター天盟、ファンキーだったね」
「てゆーか、人騒がせとゆーか……」
「それに、あんなにファンタジックな体験はできないよ。光る剣から風、炎、雷に水でしょ。いろいろ出てきてワンダフルね」
「おまえ、とことん前向きだよな」
「ポジティブと言ってね」
「まあ、あのじいちゃんがいたお蔭で助かったとこもあったけど。あれからどうなったか聞いたの?」
「特に変わりはないようです。祈祷や占いをやっているらしいのですが、妖怪の気配もないし、占いにも何も出ておらず、現在のところは安泰だと」
「その占いってのがイマイチ信用できないんだけどな」
四人は顔を見合わせて笑った。とりあえず今は平和である、としておいてよさそうだ。
少し遅れて翔が到着した。仲間たちにチラリと目をやり、黙々と準備に取りかかる。
そんな彼に、龍はわざとらしく話しかけた。
「あれ? おまえ、ここのチームへの参加は大会までの間じゃなかったっけ、明武館に戻らなくてもいいのかよ」
翔は表情を変えずに淡々と答えた。
「勝手に移籍した、無断で剣を持ちだした、会場の後始末をさせられた、というわけで、すっかりおかんむりだ。もう戻ってくるなと言われた」
それは祖父・大二郎のことだろう。海外視察旅行から戻ってみればこの有様で、それもこれも孫が引き起こしたこと。祖父の逆鱗に触れた翔は相当小言をくらったらしいが、どうも馬耳東風だったようだ。
「無断で朱雀剣を?」
「骨董部屋の鍵を壊した上に、中を荒らしたからな。何でもかんでも隠しておくのが悪い。少しは懲りただろう」
「いや、おまえが懲りろと言われそうなんだけど……」
口では関係ないと言ったが、翔は朱雀剣の在り処をずっと探していたのだ。
「まあ、とにかく、ありがとな」
「礼を言われる筋合いはない。あの騒ぎで大会は中止、団体戦は決着がつかない上に個人戦は取り止めだった。つまり、夏の大会はなったと同じ、オレの参加は次の冬の大会までということになる」
「まったく、素直じゃねーの!」
憤慨した龍はケンカ腰でまくし立てた。
「それじゃあ冬の大会の個人戦できっちり決着つけてやるからな、吠え面かくなよ!」
「望むところだ。せいぜい精進しておけ」
二人の様子をハラハラしながら見守る至たち、だが突然、龍は大声で笑いだした。
「やっぱ、おまえとはこうでなくっちゃな」
一方の翔もわずかに微笑んで、
「そうだな」
と、言った。
本当は祖父が何と言おうと、大会が中止になろうとなかろうと、彼は明武館に戻るつもりはなかった。
道場の床の間には青・赤・白・紫の鞘に納まった四本の剣が並べられている。再び妖怪が出現して戦う日が来るかもしれない。
その時もみんなで力を合わせて、今度こそ封印を成功させよう、この剣に賭けて。
「よっしゃ。次の大会では絶対に優勝を狙おうぜ。さて、稽古始めるかー」
龍が声をかけると、皆いっせいに素振りを始めた。
少年たちの熱い夏はこれからが本番である。
おわり