プロローグ
赤い炎がかけ抜ける
青いうねりが渦を巻く
世界の終りを告げる悪の声
そうは問屋がおろさない
暗闇照らす光になって
(Get up!)
(Wake up!)
進め! 勝利のその先を
目ざせ! 未来の救世主
戦え! われらの──
「レッドフェニックス参上! この悪党ども、覚悟しろ! ……って、えっ、なっ、何?」
ガバッと机から頭を上げ、時計を見ようと目をこらす。しまった、もう五時だ。
テスト週間とあって学校は午前中で終了。帰宅後、昼食をすませたら翌日の試験に備えて勉強に集中する予定だったのだが……
うたた寝の代償は腕の下でクシャクシャになった数学のノートだ。隼人はイスに座ったまま背伸びをしたあと、ボリボリと頭をかいた。
「赤い炎が~♪か。けっこうおぼえているもんだよな。渦を巻くってのが納得いかないんだけどさー。鳴門の渦潮かよって」
『問屋』にはあえてツッコミを入れないことにしている。
ハイテンションなオープニングテーマつきで夢に出てきたのは幼稚園のころにハマッていた子ども向け特撮ドラマの場面だ。
見目麗しい(要するにイケメン)複数の若者が正義の味方に変身して悪の組織と戦う、いわゆる変身ヒーロー物と呼ばれる番組で、赤いスーツのレッドフェニックスは当時の隼人にとって、あこがれの有名人・ぶっちぎりのダントツ一位だった。
もちろん隼人だけではなく、まわりも同様で、幼稚園での昼休みにおいて仲間が集まれば変身ごっこが始まる。男の子なら一度は通過する儀式、水疱瘡みたいなもんだ。もっとも近ごろじゃ、おたふくかぜにしろ何にしろ、全部注射で予防しちゃうみたいだけど。
ちなみに、あこがれの有名人・第二位は演じる俳優がアイドル系で女子に人気だったブルードラゴンではなく、クールでシブい二枚目のブラックユニコーンである。
それにしても、何で今さら十年以上前のドラマの夢を見たのか。忘れたころにやってくるというやつか。
すっかりやる気をなくした隼人は机上のパソコンの電源を入れた。
「しゃーねぇな。気分転換にネットでもチェックしよう」
先月まで働いていた書店が閉店、ただ今失業中のため、隼人はアルバイト情報サイトをちょくちょく検索しているのだ。
携帯電話の料金は自分で支払えと母から命令されている。新発売のゲームソフトも欲しい、カラオケのお誘いも断れないとなると、毎月のおこづかいだけじゃ、とうていまかないきれない。バイト代が頼りだ。
テストが終わるタイミングでバイト再開となればラッキーだが、不況の波は高校生のお仕事事情にも影響大で、そう簡単には見つからないのが現状だった。
「バイト、バイト、なぁんて、そうそうおいしい仕事があるわけ……なくはない?」
思わずディスプレイにくぎづけ。
「これってマジかよ?」
広告の依頼主は株式会社PHカンパニー。まったく聞いたことのない会社名だが、事務所の所在地は隼人の住む、このA**市の駅前通りとあって近い。バイトをするには好都合だと、ちょっと乗り気になる。
✰ 記 ✰
◎正社員・契約社員・アルバイト募集。経験不問、十六歳以上、四十歳位まで。
(高校生、大学生も可)
※業務内容はイベント補助その他、能力に応じて割り当てる。
※休日と勤務時間は業務に準ずるが、本人の希望を優先する。
(ただし、時間帯によっては年齢制限あり)
※契約形態により各種保険(健康保険・雇用保険・介護保険・厚生年金等)加入。傷害保険は全員加入。(全額当社負担)福利厚生施設完備。
※時間給は千円より。各種手当給付の上、二千円以上も可能。通勤手当支給、交通費全額支給……
記事は「誰にでもできる仕事ですが、やりがいもあります。若い力求む!」という、矛盾を含んだ一文でしめくくられていた。
読めば読むほど奇妙な内容だ。けっきょくどんな仕事をするのか、ハッキリしない表現には首をひねるばかりだが、高校生で時給が二千円以上ももらえるバイトなんて、めったにない。
何度も読み返しながら、とりあえず行ってみて、ヤバそうな仕事だったらやめればいいと気楽に考えた隼人は問い合わせ先の番号に電話をかけた。
夜十時まで受付可能というその電話に──いつもそんな時間まで残業しているのかという不安を感じつつも──ツーコールで出た相手は大喜びで、今度の土曜日にでもどうですかと、面接の約束を取りつけてきた。
「わかりました。それじゃあ、午前十時におうかがいします」
テストは金曜日で終わりだから、こちらにとっても好都合だが、話がとんとん拍子に進みすぎている気もする。
サイトに掲示されたのがいつからか不明だが、こんなに条件のいい仕事がいまだにバイトを募集しているのも、面接希望者が殺到している様子がないのも変だ。
「考えすぎか」
考えなさすぎかも。
シーンⅠ プロミス
次の土曜日。
白いTシャツにジーンズ、スニーカーという普段着姿の隼人はA**駅前の繁華街を足早に歩いていた。
さすがに駅前だけあって、たくさんのビルが立ち並んでいるが、ここをまっすぐに行けばPHカンパニーの事務所が入っているという、目的のビルに到着する。
あと十メートルぐらいかというその時、なにげなくビルの谷間に目をやった隼人は「見てはならないもの」を見てしまった。
数人の男たちが集まっている。そろいもそろってガタイがいい。年齢層は二十代から五十くらいまでとさまざまだが、べつに宗教団体ではない。どちらかといえばヤのつく、ヤバい団体さんのようだ。
やけにテカテカした生地のジャンパーやら、下品なデザインのジャケットを着た、人相の悪い男たちが誰かを取り囲むようにして立っているのだ。
彼らに包囲されているのはくたびれたスーツ姿の、髪のうすい中年男性で、隼人の父親よりも年上に見えた。
オジさんは営業用のカバンを胸の前で抱きしめ、おびえている。ヤバい団体の皆さんにおどされているのはあきらかだ。
(あれってまさか、カツアゲ?)
カツアゲじゃあ、中高生レベル。そんなはずはない。
そうだ、見た感じは脅迫だけど、ホントは単なる営業の光景かもしれない。なんて、どう転んでも友好的な場面ではなさそうだ。
やはりカツアゲ以上の、もっと恐ろしい違法行為ではないのか。
オジさん大ピンチ。
そう考えると、急に胸がドキドキしてきたが、目をそらすこともできない。
(どうするオレ、助けに行くのか?)
飛び出したはいいが、悲惨な結果は目に見えている。
ボコボコにされるだけならともかく、ドラム缶にコンクリート詰めにされて、海にでも放り込まれたら──
想像すると冷や汗が背中を流れ、脚がガタガタと震えた。
(助けるって……そんなの、オレなんかにできるわけないじゃないか)
とばっちりを恐れて、とか、関わりにならないように、といった逃げの言葉が頭の中でぐるぐる回る。
だいたい、見ず知らずの人に、そこまでする義理なんてないし。
子どもや女性ならともかく、オジさんだって立派な大人の男なんだから、自分の身は自分で守るのが筋だ。
そもそもだ、市民を守るのが仕事の警察官や、腕に自信のある格闘家ならいざ知らず、身長は平均値、体重はやや少なく、体格もヤセ型という非力な高校生のガキがお役に立てるはずもなし。出る幕なんてない。
けれど……
(オレに力があったら)
無力感に襲われた隼人は唇をかみしめた。
誰にも負けない力があるのなら、迷わず飛んで行ける。自分の正義を貫けるはずだ。
すると、向こうから警察官が二人、かけ足でやってくるのが見えた。誰かが通報したのだろうか。
とりあえず一安心した隼人は腕時計の数字が示す時刻に「やべっ」と声を上げた。約束の時間まで、あと五分しかない。
オジさんと団体さんがどうなったのか見届けることもできないままにダッシュ、目の前に立ちはだかる五階建てのビルを見上げると、まっさきに目についたのは看板のすき間に設けられた電光掲示板だった。
本日のニュースがオレンジ色の光を放ちながら流れる。国会の決議案、連続強盗犯人の逮捕、為替相場、お天気エトセトラ……
おかげで看板が目に入らず、確認に時間がかかってしまった。
「なんなんだよ。あれじゃあ、わかんないって。看板の役目果たしてないじゃん」
白地に黒の文字、地味なデザインのPHカンパニーの看板は見落とされてしまう確率八十パーセントだ。
とにかく急がねば。
一階のガラスのドアから中に入るとすぐのところに階段とエレベーターがあり、薄暗く静まり返った建物の壁は灰色に塗られ、そこにテナント一覧の案内が掲示してあった。
目的の場所は最上階だ。エレベーターに乗り込み、パネルの5を押す。
エレベーターを下りてから廊下を進むと、クリーム色のドアのすりガラスに『株式会社PHカンパニー』の文字が見えて、そのとたんに緊張感が高まってきた。
初めての場所で、見知らぬ相手と会うのは誰でも緊張するものだ。気合いを入れようと、いったん立ち止まり、両方のほほをパンパンとたたいてみた。
「……これでよしっと。おのおのがた、いざ出陣じゃ! って、オレひとりで誰もいないけど」
ところが、一歩足を踏み出したその時、背後から音もなく近づいてきた黒い人影が彼のわきをスルリとすり抜けた。
しかも、その人影はノックもなしに目前のドアノブへ手をかけたのだ。
(ちょ、ちょっと、それはないだろー)
先を越されたせいで、勢いをつけたはずの隼人の気合いはしゅるしゅるとしぼんでしまった。
人影は黒い帽子に黒いコート、全身黒ずくめの男だった。身長は百八十ほどの長身、年齢は二十歳前後か。長い黒髪を無造作に、ひとつに束ねている。
ぽかんとしてこちらを見ている若者に気づいた男はチラリと冷たいまなざしを向けたが、その恐ろしいほど整った顔立ちに、隼人はドキリとして立ちすくんだ。
(すっげーイケメンじゃん!)
とがったフェイスラインに高い鼻筋、切れ長の目。整いすぎて作り物のようにも見える。黒ずくめの怪しいファッションも、背中を覆う長い髪も、凡人ならばこっけいになってしまうが、彼ほどの美男子ならサマになるところが憎いほどだ。
(なんか戦国バトルのゲームキャラに似てるよな。マジであーゆー顔の人が生息しているなんて驚きー)
男は隼人にいちべつをくれると、何も言わずに事務所の中へと入っていった。
ここの社員なのか。
ゲームキャラみたいな人を雇って、どういう業務をやらせているのだろうか。
(まさか、ゲームの宣伝とか?)
目の前の会社に対するナゾがますます深まるが、ぼんやり立っていては先に進まないし、約束の時間は三分も超過している。
面接には遅れないように、時間に余裕を持ってという、入試および就職の心構えがなっていない。マズい。
よーし、今度こそノックを……と、いち早く扉が開いて、スーツ姿の紳士が顔をのぞかせた。
「十文字隼人(じゅうもんじ はやと)くんですね」
「はっ、はい」
「お待ちしていましたよ。さあ、お入りください」
笑みをたたえた紳士にうながされて、隼人は恐る恐る足を踏み入れた。
内部は一見、普通のオフィスだった。天井には昼白色の管状蛍光灯、窓にはブラインドが下がり、ずらりと並んだ事務机の上はどれもきちんと片づけられている。
一番端の机にさっきの黒ずくめの男が座っているが、他には誰もいない。彼が訪問者の存在を紳士に告げたのだろうか。
帽子をかぶったままで、何やら書類を書いている様子が奇妙だと、つい、気を取られていた隼人だが、
「こちらへどうぞ」
そう呼びかける言葉にハッとし、急いで声のする方へと向かった。
室内の一角をつい立てで区切った場所が接客スペースらしい。
座るよう勧められ、隼人が紺色の布張りのソファに腰かけると、紳士はキャメル色のスーツの胸ポケットから名刺を取り出して、隼人に手渡した。
「申し遅れました、私は社長の立花と申します。よろしく」
名刺の紙面には『㈱PHカンパニー 代表取締役』の肩書きと『立花昭二(たちばな しょうじ)』という名前が印刷されていた。
「えっ、社長さんだったんですか。失礼しました」
隼人はあわてて頭を下げた。
この立花社長、年齢は三十代半ばぐらいか。スマートなインテリという印象を与える好男子だが、腰まで長く伸ばしたストレートヘアーがちょっと、いや、かなり異様だ。
(あの黒ずくめの人もそうだし、ここの社員は長髪が原則? まさかね)
それにしても社長みずから面接にあたるとは。そういえば電話の応対に出たのも、声の感じからして、彼だった気がする。
事務机がいくつも並んでいるところから、他にも社員がいると思えるのだが、みんなどこへ行ったのか。今日は本来なら休みで、二人だけ休日出勤しているのだろうか。
「もうすぐ事務の者が帰ってきますから、そうしたらお茶でもいれましょう」
こちらの心理を見透かしたようなことを言う立花に、隼人はギクリとした。
「い、いえ、おかまいなく」
「キミは高校生としては礼儀正しいですね。感心、感心」
その口ぶりからして「礼儀正しくない高校生」がバイトにきているのかもしれない。そんなヤツでも採用しなければならないほど、ここは人手の足りない会社なのか。
「久しぶりのバイト希望者なんで、私も興奮気味で……」
(やっぱり人手が足らないんだ。けっこう時給が高いのに、何でだろう)
よっぽどヤバい仕事をするのかと、不安がよぎる。
「まずは書類を拝見しましょうか」
隼人はリュックの中から履歴書を取り出すと、向かい合わせに座る立花に手渡した。
「十文字隼人くん……ああ、我が社にぴったりの名前だ。ルックスもイケてますよ、朝のお茶の間にも通用しそうなほどにね」
しみじみと感動したようにつぶやく立花を見て、隼人は不審に思った。
(イケてるって言われるのはいいけど、名前とか、お茶の間って何の話?)
二重まぶたに大きな瞳が特徴の隼人はイケメンの部類に入るらしい。同じクラスの女子数名がそう言ったのだから、一般的にも認めてもらえるだろう。
「しかし十文字という姓は長くて呼びづらい。隼人くんと呼んでいいですね?」
「はあ、べつに何でも」
「ほう、県立羅斐田(らいだ)高校の二年生ですか。あそこは進学校だから勉強も大変でしょう」
「ええ、まあ……」
ギリギリで合格したはいいが、ついていくのがやっとの、落ちこぼれ気味の生徒は頭をかいた。
これ以上成績が下がったらアルバイトどころではない。即やめさせて塾へ通わせると母に宣告されているのだ。
思わずグチをこぼすと、立花は気の毒そうな顔をした。
「そうですか。じつはキミのほかにも羅斐田高の生徒さんがここへバイトに来ているんですよ」
「えっ、そうなんですか」
「いずれ顔を合わせるでしょうから、楽しみにしていてください」
思わせぶりに言ったあと、立花は「それでは我が社の概要について説明しましょう」などと切り出した。
「概要……」
そこから聞かなくちゃならないのか。
「このPHカンパニーには親会社がありまして、その親会社が資本金を百パーセント出資した子会社です。ですから㈱は社名の前につきます、おまちがいなく」
㈱が前か後かなんて、隼人にはどうでもいいことだが、立花は力を込めて、その部分を強調した。
親会社であるドリームクリエイト社は立花の父親が経営していて、息子が子会社を任されている。
会社も経営者も親子の関係というあたりがギャグっぽくて、別におかしくも何ともないのに笑いがこみ上げてしまい、それをごまかすために、隼人はわざとむずかしい表情を作ってみせた。
「当社にはいろいろな方面から仕事の依頼がきます。アルバイトの皆さんにはまず、当社への人員登録をしてもらい、業務内容、場所や時間などがご本人の希望と能力に合えば、その仕事を担当してもらう形になります。人材派遣業と同じ要領ですね」
「はあ、なるほど」
「業務にあたっては親会社が開発したあるものを使って仕事をすることになりますが、その前にキミのエナジー指数を測らせてもらってもよろしいですか?」
「はっ? 何ですか、エナジー指数って」
「勤務する上でとても大切なことなんです。数値が規定に満たない場合は採用不可となってしまう、いわば適性検査とでも思ってください」
ますますワケのわからない会社である。
隼人はバイトの申し込みを後悔し始めていたが、今さら引っ込みはつかない。
立ち上がった立花はエナジー指数とやらを計測する際に、使用すると思われる機械をロッカーから取り出してくると、それをテーブルの上に置いた。
現物を見た隼人は首をかしげた。
「これって血圧計じゃないですか」
上腕に灰色の不織布のようなものを巻いてスイッチを入れると、その布が腕をしめつけて血圧や脈拍を測るというアレにそっくりなのだ。
「この機械もドリームクリエイト社の製品なんですよ。まあ、たしかに、血圧計によく似ていますがね」
立花は布を手ぎわよく隼人の右の上腕に巻きつけた。
まるで健康診断でもしているようだ。隼人は神妙になり、腕をそっと下ろした。
「ではスイッチを入れますので、そのまま動かさないでください」
ピピッという機械音がすると、布がギュウギュウしめつけていくあたりも、ほとんど血圧計である。
黄色いデジタル数字の表示する値が次第に上がっていくと、最初は平静だった立花の表情が変わってきた。
「さ、三百を超えた……こ、これは……スゴイ! 今までの最高記録だっ!」
「さんびゃくぅ?」
高血圧とみなされるのは上の値が百三十か、百四十からだったと記憶している。
十七歳の若さでありながら、自分が超・高血圧になったようで隼人は複雑な気分だったが、そんな様子にはおかまいなしに、
「即、採用しましょう。隼人くん、ぜひとも我が社で働いてください!」
立花は上ずった声で頼み込んできた。断ったら号泣してしまいそうだ。
「えっ、いきなりそんな……」
すると立花は何を思ったか、とまどう隼人から視線を移した。
その先には黒ずくめの男がいる。さっきから一言もしゃべらないまま、もくもくと書類を書き続けていた彼に「海城くん、この数値を見て」と呼びかけた。
黒ずくめの男・海城はどういう反応を示すのだろうかと、隼人もそちらを見たが、立花の盛り上がりとは対照的に、彼は興味のなさそうな顔をしていた。
「エナジー指数が三百以上になった人は当社の設立以来二人目、つまりキミ以来ですよ。これは快挙だと思いませんか」
ところが、海城は低めのよく通る声で、そんなのどうでもいいと言わんばかりの、気のないセリフを返した。
「三百……ああ、そんなもんでしたっけ」
(なあんだ、大げさに騒ぐことじゃなかったのかも)
立花とは大違いの、海城の冷たい反応に、隼人はいくらか失望感をおぼえた。
すっかり白けてしまった、そんな雰囲気が漂う中、バツの悪そうな顔になった立花は隼人だけに聞こえるような小声で言いわけを始めた。
「気を悪くしたら申しわけない。彼はいつもあの調子なんで、気にしないでください」
「いや、べつにそんな」
「容姿端麗にして頭脳明晰。バツグンに優秀な男ですが、あれでもう少し愛想があればと思うんですけどね」
「社員の方なんですか?」
「いえ、大学生です。キミと同じアルバイトですよ」
アルバイト──あの男もここでバイトをしているのか。いったいどんな仕事を──
隼人はますますいら立ちを感じた。
「あの、それで仕事の内容……」
その時、ドアの開く音がして、二十二、三歳ぐらいの若い女が入ってきた。薄紫色のベストに同色のタイトスカートという事務服を着ている。
「社長、ただ今戻りました」
「あ、園田さん。ご苦労さま」
園田と呼ばれた女は手にした茶封筒を机の上に置くと、こっちをジロリと見た。
(こわっ)
スラリと背が高く細身で、きっちりとまとめた髪にフレームの小さなメガネをかけたキャリアウーマンふうの彼女は美人だが、どこか冷たい印象を受ける。
「帰ってきたばかりで申しわけないけど、お茶をいれてもらえますか」
「はい、承知しました」
すぐさま湯呑みをふたつ、盆に乗せてやってきた女を立花が紹介した。
「こちらは園田真奈(そのだ まな)さん。ウチの事務一般を取り仕切っていますから、手続きその他は彼女の指示に従ってください。園田さん、こちらの隼人くんの登録と、仕事の手配を頼みましたよ」
当人が口をはさむ間もスキもなく、手続きはどんどん進められていく。
園田真奈は棚から書類を取り出すと、ボールペンを添えて隼人の前に置いた。
「そちらに必要事項を記入してください」
こんにちはとも、初めましてとも言わずに無表情のまま職務を遂行する真奈の態度に、隼人はア然とした。
(なんつー、無愛想な女!)
「住所、氏名、年齢と、複写式になっていますから強めに書いてください。携帯電話の番号とメールアドレスも記入して、氏名の横には捺印をお願いします。それから右端には捨て印を忘れずに」
機械的な口調は何だか自動販売機がしゃべっているようだ。
いや、近ごろは「いらっしゃいませ」などとあいさつするだけ、販売機の方がよっぽど愛想がいい。
有無を言わさぬその態度に、黙って従うしかない隼人が登録用の書類を書き終えると、真奈は次に細長い箱を持ってきた。
縦は十五センチ、横三十センチ、高さは十センチぐらい。カステラの箱ほどの大きさで、フタに9という数字が書いてある。
「こちらを貸与しますので、その使用許可書にも記入してください」
「これは何ですか?」
真奈に押されっぱなしの隼人がさすがに気の毒になったのか、立花は「私が説明しましょう」と言いながら、箱を開けて中身を取り出した。
それは銀色に輝く、金属製のベルトのようで、いくつかの奇妙な装飾がついている。
「先ほどお話ししたドリームクリエイト社の製品で、我が社の仕事には欠かせないものです。ちょっと腰につけてもらえますか」
立ち上がった隼人はベルトをウエストのまわりに巻きつけ、バックルをはめた。
昔、そう、幼稚園時代にこれと似たものをつけていたおぼえがある。
「こんな感じですか?」
「けっこうです。それから、そこに並ぶ黄色いボタンを押してください」
ベルトの真ん中の金属部分には何やら記号が書いてあり、その横に赤・黄・青のボタンが並んでいる。
隼人が言われたとおりに押した瞬間、信じられないことが起こった。
シューッという激しいすきま風のような音が聞こえたかと思うと、キーンと金属音が響き──
「これって……何?」
Tシャツとジーンズを着ていたはずの彼の身体は不思議な感触のする赤い生地に覆われていた。海に潜る時のウェットスーツ、アレに似ている。
そればかりではなく、顔全体がマスクですっぽりと包まれ、目の部分だけがゴーグルをかけたように透明な素材でできており、そこから外が見えるようになっているが、意外と息苦しさは感じられなかった。
「ほう、すばらしい! さすがに指数が高いだけあって、色は赤になりましたね」
隼人の変身を見て立花が感嘆すると、そっけない態度をとっていた海城までもが振り返って自分を見ているのがわかった。
「オレはいったいどうなってるんですか?」
とまどう隼人の鼻先からあちらへと、立花の指が弧を描いた。
「鏡をごらんなさい」
応接スペースの隅に置かれた鏡の前に走り寄る隼人、彼が目にしたのは鏡の中の真っ赤な姿──
赤いスーツにシルバーのライン、赤いマスクにも稲妻のような銀の模様とスモークのゴーグル部分、足元はもちろん赤いブーツ。
「……レッドフェニックス?」
いや、デザインが違う。あのキャラじゃない。
そこには隼人が初めて見るレッドヒーローが立っていた。
◇ ◇ ◇
PHカンパニーの主な業務は「ヒーローを派遣する」こと。
この場合のヒーローとはスポーツの試合などで用いる、優勝の立役者などとは異なり、超人的な力で悪を倒す存在を意味する。
Pはプロミスすなわち契約で、Hはもちろんヒーロー。隼人の、いかにもそれらしい名前が歓迎された理由はそこにあった。
そこでヒーローといえばスーツに身を包み、顔にはマスク、腕は手袋、足元はブーツといういでたちが基本で、さらに腰に武器をぶら下げたりしているものだが、その時使用するのがこのベルトだ。
すなわち、ベルトはスーツ装着装置とでも呼ぶべきシロモノで、着用している衣服を原子レベルにまで一瞬にして分解、別の素材の分子へと再結合させて、スーツへと作り変えてどうのこうの……と立花は説明したが、隼人にしてみれば当然、ちんぷんかんぷんの内容である。
ただし、同じベルトを使っても──貸し出されるベルトはすべて同質の製品である──それぞれの持つエネルギーによってスーツの色が違ってくるらしい。
エナジー指数とは個々のエネルギーの量や質を表わすらしく、隼人の場合は赤だが、ほかの人が9のベルトを使ったとしても、スーツは赤ではなく別の色になるのだ。
「それじゃあ、オレの赤以外にも、青や黄色の人が存在するわけですね?」
「そうです」
隼人の頭の中に二十四色入りの色エンピツのケースが思い浮かんだ。
「特撮ドラマじゃ使われない、こげ茶とか黄土色とか、深緑も?」
「そういう色の人もいるでしょう」
「パステルカラーは?」
「あいまいな色は区別がつきにくくて不便かもしれませんね」
「うぐいす色や萌黄色、浅葱色なんかは?」
「日本人ですから、ありえるでしょうね」
色の種類についてはもういいだろうとか、なぜ和風の色にこだわるのかというツッコミはなかった。それどころか、日本人ですからときた。
もう一度黄色のボタンを押すと、スーツ装着が解除される。
元の姿に戻った隼人はソファに座り直してから、立花に問いかけた。
「ベルトのことはわかりましたけど、こんなかっこうをして、いったいどういう仕事をするんですか? ヒーローを派遣すると言われても、具体的な内容は何も聞かされてないんですけど。もしかして、悪の秘密結社と戦えとか、そんなんじゃないですよね?」
日本の一企業にこのような優れた技術があったなんてと驚かされたのはたしかだ。創った人はノーベル賞が受賞できるかも。
だが、奇妙なベルトや血圧計もどきの機械を開発するその親会社といい、ヒーロー派遣などという、けったいな業種の子会社といい、あまりにも怪しすぎる。
もしかして、こういう会社だとわかっていたから、バイト希望者が集まらないのか。そうかもしれない、事と次第によっては登録をやめた方がいいかも。
しかし、立花はあいかわらずにこやかな笑顔のままで、隼人にこう尋ねた。
「ヒーローになれるなんて、ステキだとは思いませんか?」
「あのですね」
隼人はムッとして立花をにらみつけた。
「そりゃオレだって、幼稚園児のときはレッドフェニックスのファンだったし、雑誌のふろくのなりきりセットで喜んでいましたよ。誕生日のプレゼントには変身ベルトを買ってもらって、どこへ行くのにもつけていったおぼえがあります」
「そうでしょう、そうでしょう。男の子なら誰でもヒーローに憧れ……」
「けどまさか、高校生になってまでも、それを喜ぶとでも思ってるんじゃないでしょうね?」
いきり立つ隼人に対して、立花はすまして答えた。
「そのまさかですよ。ヒーロー派遣はエナジー指数の数値が一定以上の人しか就けない仕事なんですから、選ばれた者としては光栄でしょう」
「『誰にでもできる仕事』のうたい文句に矛盾していると思いますけど」
「あれは勧誘用のハッタリですよ。どこの誰が高い指数の持ち主か、なんてわかりませんから、とにかく面接の数をこなすしかない。人集めにもいろいろと工夫がいりますね」
(ハッタリだとー? 求人広告でそんなのアリかよっ)
サイトの管理者に怒られても文句は言えないぞ。
エナジー指数が規定値を超えないと、ベルトの機能は一切作動しないようになっている。社員やアルバイトを採用する際に指数の測定を行なうのはそのためで、適性検査という表現にウソはなかった。
規定値は百以上で合格となっているが、これは年齢性別、身体能力の優劣には関係がない。見た目で判断できないところがやっかいであると立花は述べた。
いくら人を募集しても、指数の問題があるから、その中に規定値を満たす者が少ないから、慢性的な人手不足なのだ。
残念ながら指数が満たなかった者に関してはお引き取り願うか、場合によってはドリームクリエイト社のもうひとつの子会社を──M&Gプロダクツという社名だ──紹介するらしい。
さてさて今回、久しぶりの大当たりは指数三百以上の男子高校生。隼人という人材を欲しいと思うのも無理はない。
「我が社ではこれまでに八人が登録を済ませています。キミのようなアルバイトもいれば正社員の仕事をしながら副業としている人、派遣社員としてフルタイムで働いている人などさまざまですが、皆、この仕事に誇りを持っています」
そんなモノ好きが八人もいるなんてと内心あきれていたら、ずっと沈黙していた真奈が冷静に言い放った。
「十文字さんは九番目の登録なので、これからは九番と呼ばせてもらいます」
「きゅっ、きゅうばん?」
ちなみに、タコの足にある、ピタッとくっつく円型のものではない。
事務処理の都合もあるが、名前を呼べない場面で──いったいどんな内容の仕事なのだろうか──便宜上、このナンバリングを使うらしいが、それにしても赤い不死鳥・レッドフェニックスの呼び名とは大違いだ。
(九番ってなんだよ、そりゃ。ヒーローなのにカッコ悪すぎ……)
ガックリする隼人を尻目に、真奈は立花に問いかけた。
「社長、手始めに三番と四番、八番が派遣されている保育園の仕事に行ってもらうということでよろしいですね。今から彼らに連絡をとっておきますので、直接現地に向かっていただければと」
「ああ、今日はあの三人が行ってましたね。そうそう、そのつもりでいたんだ。隼人くんがレッドでちょうど良かった」
立花は両手で両方のひざをたたくと、大きくうなずいた。
「『百聞は一見にしかず』ですよ、隼人くん。とにかく現場に行ってみればいい。キミと同じ高校生を派遣していますから、彼らの仕事ぶりを見れば納得いくでしょう」
そこで立花は海城を手招きした。
「改めて紹介しましょう。こちら海城尊(かいじょう みこと)くん。泉泰(せんたい)大学医学部の二回生で登録ナンバーは二番。我が社のエースともいうべき人です」
紹介を受けて隼人は目をむいた。
(えーっ! 泉泰大学って、あの超難関校の、それも医学部だと? そんでもって、めちゃイケメンなんて、そんなヤツがこの世に存在していいのかよって)
天は二物どころか、何でもかんでも与え過ぎではないのか。許せない。
超エリートにしてウルトラ美男子・海城尊はニコリともせずに答えた。
「買いかぶりすぎです、社長」
「まあまあ、そんなに謙遜することはないですよ。隼人くん、海城くんのお父さんはドリームクリエイト社の研究員で、ベルトの開発にも携わっていた人でして、その縁で我が社にバイトの登録をしているんですよ」
「はあ……」
「海城くん、こちらは今日からバイトに入った十文字隼人くん。初心者ですから、先輩として親切に指導してくださいね。よろしくお願いしますよ」
ペコリと頭を下げた隼人を見やると、尊は「よろしく」とだけ言った。
「それで、お疲れのところ申しわけありませんが、追加の仕事をお願いできますかね。今日は諸星くんたちが交通安全のアレに行ってるんですよ。ですから、隼人くんを連れて、とりあえず午後の部までに間に合うように、会場にて合流してもらいたいのですが」
「わかりました」
(えっ、この人と一緒に行くの?)
何を話したらいいのかとか、あれこれ気をつかってストレスになるのはあきらかだ。
ひとりで行けるからと、同行を辞退しようとした隼人だが、とても言い出せる雰囲気ではない。
そんなこんなのいきさつにより、強引な社長と強力な事務員に丸め込まれ、送り出された隼人はクールな美青年・海城尊と共に事務所を出発し、ヒーロー派遣という、謎のバイトに挑戦するはめになったのであった。
……❷に続く